こんにちは
今日は終戦の日です。
今年は戦後78年目です。
戦後まもなく生まれた両親も、とても歳をとりました。
大正生まれの祖母も十五年前に亡くなり、祖父は二十五年前に亡くなりました。
祖父はシベリア抑留を経験しており、当時のことを話すことはほぼありませんでした。
ただ一度だけ、兄の夏休みの自由研究のインタビューという形で話してくれた事がありました。
極寒のシベリアで、ボロボロの服で、食べ物といえば黒いカチカチのパンと具のほとんどない味の薄い氷ってしまったスープを食べ、
あまりの寒さの為に少しの刺激で指先が裂けてしまうほどの痛みや苦しみの中、
いつの日か日本に帰れることだけを希望に、強制労働に耐え、生き抜いたそうです。
まだ幼かった私は祖父の鹿児島弁(出身が志布志だったのでほぼ外国語)が聞き取れず、内容全部を把握できませんでしたが、
ぽつぽつと感情を抑え、遠くを眺めるような深い瞳で静かに話してくれた姿は今でも記憶に残っています。
祖父はとても静かで穏かで忍耐強い人でした。
その祖父の心に刻まれた戦争の記憶はどんなにつらかったでしょうか。
誰にも話さず自分の心の中にだけ秘め続けた記憶。
それを感じさせず、私たちにいつも穏やかに接してくれた祖父の崇高さ…
感謝と尊敬の念に堪えません。
私はぎりぎり、祖父の話を聞くことができましたが、
これからの若者たちは難しいでしょう。
戦時中の苦労や戦後復興の時代を知る人々が少なくなってきているのを感じます。
私の両親は戦後の復興後~高度経済成長期を知る人間です。
ですが、やはり当時の事を話すことはほとんどありません。
ただ、やはり日本は貧しかった、貧しかったので自分たちの世代は一生懸命働いた。
どんなに大変でも、子供のころの貧しさを体験していれば、
たいていのことは何てことはないのだと話してくれた事がありました。
両親は七十代ですが、この世代はとても逞しいものを感じます。
それはきっとそういう背景があるからでしょう。
今の恵まれた時代は、そういう時代の延長線上にあるのだと改めて感謝し、
これからの日本をどうしていけば、先人たちにも未来の日本人にも恥じることのない国になるか…
そんな教育や文化、そして政治についてもう一度、考え直してみる日にしたいですね。
さて話を変えまして、
まっきーの美しい歌をご紹介したいと思います
アルバム「太陽」より「彗星」です。
ピアノから始まるこの歌は壮大で寂しくて美しくて、なんとも言えない気持ちになります。
人間の儚さ、煌めき、を彗星に見立てているこの歌は、若い男女の物語と同時に、いまはもう会えない人々の姿も浮かんできます。
それでは今日はこのへんで
最後までお読みいただきありがとうございました。
今日もみなさんの素敵な願いが叶いますように