今日は母の誕生日です。
お母さん、お誕生日おめでとう。
私を生んでくれた母の事を色々書いてしまいましたが、
今朝、電話をしてお祝いを伝える内に、やっぱりこの人の子どもで生まれたのには意味があったのだと感じました。
過去を振り返ると、母には心無いことを事あるごとに言われましたが、
いつまでもそれに囚われたまま、自分の世界に籠ったままではどうにも自分自身が可哀そうではないか…
と、ふと感じました。
そして、そんな風に思われているとは露とも知らずにいる母親が、なんだか気の毒になりました。
もう、そういう負の感情で見るのは自分の為にもやめようと思いました。
(そういうのは今年三月の時点で整理したつもりでしたが、日記を書いてる内に昔の記憶が思い出され、またその当時の気持ちが現実の出来事として蘇り増長し、負の感情が大きくなってしまい、この一か月ほどは母と距離をとっていました)
実際、現実の今の母と話せば、昔よりずっと理解をしようと心がけてくれている、言葉を選んでくれている、ということを感じられるのですから、人間の妄想力、被害者意識というのは恐ろしいものだと感じます。
なにより、親のせいにして、現実から目を背け、
何かに挑戦することや、誰かと競争することを避けてきた自分の弱さを
しっかり見つめようと思いました。
私は、何かを挑戦したり誰かと競争しなければならないとき、
ずーーーっと、心のどこかで親のせいにしてきましたが、
(母親に何かをしようとするたびに気持ちを挫かれる言葉を言われたり、父母の思惑通りに意見しなければ怒られるため積極性が失われたのだ、とか…)
本当は自分の本当の姿、本当の実力がそれに及ばないこと、惨めな姿を他人に見られるのが怖かったからです。
恥ずかしさで死にたくなるからです。
なぜ死にたくなるほど恥ずかしいと感じてしまうのか、
それは、私が私自身のことをあるがままの等身大の自分を、
直視できなかったからです。
認めていなかったからです。
でもね、この十か月、社会に出てから初めて、こんなにも長期間、全くの無職になって気づいたんです。
私の周りにいる人々でただの一人として、働かない私を責める人はいないのだ、ということに。
そして、ヘタくそだからと描かないでいた絵が、夫に頼まれ描いたイラストの絵が、
夫だけでなく夫の職場の方々にも喜ばれ、自分の世界では想像もしなかった世界があったのだということ。
こんな絵でも喜んでくれる人がいるのだと、本当の自分の部分を見せても笑われずに
喜んでもらえるという嬉しさ、
今の自分でもいいのだ、と認めてもらえた嬉しさ。
ヘタでもいいじゃないか、
それで喜んでくれる人が一人でもいたらいいじゃないか、
あとは自分が楽しむ為、夫が喜んでくれる顔をみるのを楽しみとして描き続け、向上していけばいいじゃないか。
笑いたい人は笑わせとけばいい、
悪意のあるそちらにだけフォーカスし、描くのを止めてしまうのは(とても傷つくし辛い気持ちは痛いほど知ってるけれど)
自分の気持ちを殺すことと同一だ。
せっかく喜んでくれる人々がいるのに勿体ないよ!
もっと自分を喜ばせることに集中しようよ
そういう感じで、最近はやっと自己受容ということの意味がわかったような気がするんです。
これまで社会に出て、結婚してからも、私はずっと働き続けてきました。
それは勿論生活のためでしたし、何より自営業の実家への支援をするためでしたが、
何より私の中の大部分を覆っていたのは、「働いて家族の役に立たない私は生きてる価値がない」という思い込みでした。
親にお金を送る時、感謝されるとき、私は凄く良いことをした!という、ものすごく生きている実感を得ていました。
(実際、実家は自転車操業で何度か貸してほしいとの申し出はありましたが、仕送りをしろなどと言われたことはなく、私が勝手に使命感にかられてしていたことでした)
そのくせ、「親に仕送りをしないといけないから子供を産んで育てる余裕がない」とか、「子供を産んでも私みたいな不幸な子どもにしてしまうだけだから可哀そう」とか思って、一方的に親を恨んでいたのです。
(恨んでいたと自覚したのは今年の二月でしたが)
夫には大変迷惑な話だったのに、何も言わず、むしろ応援し、協力し続けてくれたこと、いくら感謝してもしきれません。
表面上はそんな理由で自分を誤魔化して正当化していましたが、本当の理由は違いました。
私は本当は、子供を育てる中で、あの学校社会に再び関わらなければならないことが嫌だったのだと。
子ども云々、親云々、の前に、自分がもう二度と学校生活と関わりたくなかったから、
集団生活の中で、うまく馴染めず、
いつもどこか浮いていて、友だちと呼べるようなクラスメイトがいなくて
毎日が泣きたいくらい嫌だった、あの頃の惨めな自分を思い出したくなかったから、
誰からも友だちになってもらえない、
そんな自分が恥ずかしかったから、でした。
過去の話は次回書きます。
今日は、母の誕生日で、なんだか気持ちが昂ってしまい、気持ちのままに書いてしましました。
まとまらない文章ですみません。
もうしばらくお付き合いいただけると嬉しいです。