今振り返ると母は全く私を見ていなかったわけではなく、他の家族があまりにもわかりやすい形で手助けせねばならない状況だった為に、私に割ける時間が取れなかったのだとわかります(当時もわかってはいましたが、私も見てほしい願望が捨てきれませんでした)。


毎日お弁当を持たせてくれた事、制服のアイロンをかけてくれた事、話を聞いて貰えなくても、学校生活に必要な事だったからだとしても、毎日お弁当を作って清潔な服装で送り出してもらえた事は、感謝以外ありませんよね。


アイロンは私もかけてましたが、母がかけるワイシャツのシワ1つないパリっとした着心地はとても気持ちよく、袖を通す時とても嬉しかったのを覚えています。


母はよく私の事を「気が利かない子」と言っていましたが、今思うと毎日お弁当やご飯の支度をする母の姿を見て「私が作るよ」と言って欲しかったのかもしれませんね。

(掃除洗濯物干しはしていましたが)


当時は母が台所でピリピリ食事の支度をする姿を見て『手伝ってはいけない』と思っていました。

というのも、一度「手伝おうか」と言った事がありましたが「時間がないからいい!邪魔になるから!」と断られて以来、『台所を手伝うと邪魔になる』と思い込んでいたのです。


でも、その「一度」は私が小学生の頃の話です。

中学高校の娘ならいざ知らず、小学生の娘に五人分の食事の用意はさせませんよね。

にも関わらず、大きくなった私はそんな事にも気が付かず、大昔に言われた言葉を鵜呑みにしてずーーーっと手伝わなかったのです。


それは母もイライラするのも仕方のない事でしょう。


そういう感じで、私もだいぶぼんやりとした頭の悪い娘だったのです。



もし私が母の立場であったなら…と考えると、


自営業の仕事を手伝い夜は経理や事務仕事をし、家事をやり子どもを三人育てた事。

そして祖父母の介護。


私にはとても真似できません。


母はよくがんばったな、凄いなと思います。


今となっては、両親ともに高齢になり、

昔では考えられないくらい穏やかな人たちになりました。


父は本当に変わりました。

幼い頃の私が見たらびっくりするほど別人のように変わりました。

元々気持ちの優しい人だったのでしょう。

(だからこそあれだけ子どもの頃から家族の為に働き続けてきたのだと思います)

弟に仕事を根気強く教え、私が帰省するとニコニコと迎えてくれます 。

足の悪い母の事をいつも気に掛け、買い物などを代わりにしてくれています。


母も、今は明るい本来の性格が戻りよく笑い、私によく「ありがとう」と言ってくれます。

お互いの近況を報告しあったりしています。

兄や弟の事を私に相談するのは相変わらずですが…私の指摘することが通じているのか今一つわかりません。

私には何を話しても良いのだと、思ったことをそのまま口にする母は…素直といえばそうなのですが、なんというのか…肝心なところが欠けている風に思えます。

確かに働きものですし、よく気がつく人で人当たりは抜群です。家族のこれからを心配し、自分に出来る事をやろうと頑張ってくれています。思いやりもあります。

でも、なんというのか…自らの発言で相手がどんな気持ちになるのか…を想像する力が今一つなのです。

(ちょっと説明するのが難しいです。思いやりがあるのは本当なのです。支離滅裂に聞こえるでしょうね…)


母の人の心をわからない所は、

きっと一生変わらないのでしょう。


母は、自分の子育ては「失敗」だったと言います。

(その理由は次回以降書きます)


「失敗」と言われた私たちはどんな気持ちになるのか…そこは想像しないのでしょうか。


私が自分の心の整理をしていた段階の時、母と深く話す中で言われました。


※母は本当に悪気なく自分の意見を押し付けたり、自分が一番上でいたい願望だったり、自分以外の人間を見下しているのだろうな…と感じさせる言動を私たち家族に対してするので、話しているとやりようもないくらい嫌な気持ちになるときがあります。


そしてこの時、『あぁ、本当に変わらない人は変わらないのだ』とあきらめることが出来ました。


私や兄弟が本当に求めていることは、母の期待にこたえることで貰える愛情ではなくて、そのままでもいいよ、という愛情が欲しかったのです。


母の期待にこたえられなかった私たちは『失敗』だったのです。


悲しい気持ちでしたが、スッパリとあきらめようと思えた言葉でもあったので、

聞けてよかったのだと思っています。



また、とある心理セラピーでエンプティチェアをしていただきました。


その中で、私から見た視点と、母から見た視点、父の視点、兄、弟の視点をそれぞれのイスに座り考えた時、自分だけでなく家族みんながそれぞれ苦しんでいたし、私が思うほど親に悪気は無かったのだ…と気がつくことができました。


それがストンと入ってきた時、両親への憎しみがあった自分の事も受け止められましたし(まさか自分が親を憎んでいたとはその直前まで思っていませんでした)、親に悪気は無かったかも知れなけれど傷つけられた事も、いつまでも抱えていたって仕方ない、許そうという気持ちが自然と湧いてきました。


そしてセラピーで思い切り私の思いを吐き出し、全てを受け止めてもらえる体験をした後、これまでの人生で泣いた事のないほど自分の声で無いような…獣みたいな泣き声で号泣しました。

そしてそれが落ち着いた頃、自分は愛されていた部分も確かにあったのだと感じられる自分が現れました。


あれはとても驚きました。

貴重な経験でした。


そして胸の奥から込み上げてくる温かな光のようなぽかぽかした熱を感じて、その感覚をずーと忘れないでね、という先生の言葉とあの感覚を胸に、今も生きています。


あの温かさは言葉にできませんが、

あの温かさが私に、『自分の為の人生を生きて良いのだ』と勇気をくれました。



今年の2月~3月のお話です。

最近過ぎて驚きますでしょ?(笑)



ずいぶんと遠回りして生きてしまいました魂が抜ける


けれど、(言い方が悪いですが)親と自分の思い込みという呪縛から解放された今、夫の支援や昔からの友だちの言葉が素直に入ってきて「よし!やってみよう!」と昔ならやる気にもならなかった事(母に否定された事)にも挑戦してみようという気持ちが湧いてきています。


人からの言葉を穿った見方をせずに、素直に受け止めてみようという気持ちになれました。


成功しても失敗してもいいか!という楽観的な自分が現れました。



ここまでくるのに、出逢って以来20年以上支え続けてくれた夫には本当に感謝しています。


この人に出逢えて良かったです

本当にありがとうニコニコ

毎日感謝しています




次回は兄の話をしたいと思います。