朝夕がぐっと涼しくなりましたね。

金木犀のよい香りが風に乗って鼻腔をくすぐり出すと、
良い季節だなぁ…という気持ちとニコニコ黄色い花
胸がちくっとする痛みを感じます。


この香りを嗅ぐと、
今は遠くにいってしまった友人のことを
思い出すのです。


あれからもう十数年経ちます。



笑顔が可愛い子でした。
とても気持ちの優しい子でした。

優しすぎるあまりに、
ずる賢い人たちにつけこまれてしまい、
その度に傷付く。
それでも、
人を求めて求めて、
求め続けて、
でも満たされなくて、
疲れ果ててしまった。

そんな友人がいました。


そんな彼女が好きだった花が金木犀でした。

毎年、この季節になり香ってくると
とても嬉しそうに金木犀の話をしていたのを思い出します。

家庭が少々複雑な子で
幼少期より、母親が我慢をする姿を見てきて育ったせいか
こちらがハラハラするくらい
我慢強い子でした。

我慢強いと言うことは、
弱音も吐かないということです。

いつも笑顔で、
周りを楽しませようとサービス精神旺盛で
決して人を傷つけるような言葉を言わない子でした。

逆に、自分が言われて嫌な言葉を吐かれても
笑って流す子でした。

人間の中には、
言われて嫌な言葉を言わないように気をつけている相手に対して、
同じように敬意をもって接する人間と、
何を言っても大丈夫なんだと、
平気でその相手を傷つける人間がいます。

そして、彼女の周りには
きっと半分半分の割合でそういう人間たちがいたのだと思います。

反対に言えば、半分は優しい人たちがいたということです。
私は彼女じゃないので本当のところはわかりませんが、
私の友人たちは少なくとも、平気で傷つける側の人間ではありませんでした。


けれども、
人間というのは、自分の見たいように現実を見ようとしてしまいます。

タイミングもあったのだと思います。

我慢強いばかりに、
自分の悲しみや怒りを内側に
溜めて溜めて、
溜め続け…

そんな彼女が疲れはてたタイミングで
更に傷付けられるような出来事が起こってしまい、

彼女は誰も信じられなくなってしまいました。


あんなに素直で優しかった彼女に、
私の声は届きませんでした。


あの時の自分がもっともっと

せめて今くらいの想像力で
彼女の気持ちに寄り添えていたら、
もっともっと、関われていれば、
諦めずに言葉をかけ続けていれば…

今でもその気持ちが消えません。
自分の未熟さ、おめでたさを、今でも後悔しています。



巷では、弱い人間、利用されるような人間が悪い、自己責任だ、などと論じられるかもしれませんが、
果たしてそうなのでしょうか。


心の優しい人間や、弱いところのある人間の
デリケートな部分をつついて
利用したり、傷付けたり、
我慢強さを利用して、
彼女に全責任を押し付け逃げる、
そういう人間こそ、非難されるべき対象なのではないでしょうか。


私の中には、今でも自分にも、
当時彼女の周りにいた関係者にも
怒りが燻っているのです。




金木犀の匂いがする度に、思い出します。




生きているからには、という気持ちを忘れずに生きて行きたいですね。