物騒なタイトルですが、今回この本を手に取ったのは、この1節のためです。

「100分de名著」は、NHK Eテレの連続番組です。2011年から放送していますから、5年ほど経つことになります。その名の通り、週1回25分、1ヶ月4回で1クールですから、25 x 4 = 100分で1冊の名著を読み解いていきます。私は2012年あたりから見ています。
既読本、未読本、いろいろですが、解説の先生の視点や、司会の伊集院光さんの絶妙なコメントがあって、なかなかおもしろいです。
この番組で原作を読んでみようかなと思うことは時々あるのですが、テキストはほとんど買ったことがありませんでした。
しかし先月4月のものは、放送時間の変更で1回見逃したことと、ひとことにあげたフレーズ(第3回に登場)にびっくりしたのとで、テキストを買ってみることにしました。何より、「名著」が「歎異抄」。心得のないものがいきなり読んでも呑み込めないのではないかと思ったためです。

「歎異抄」は、浄土真宗の開祖である親鸞の教えを説く書物ですが、親鸞自身が著したのではなく、没後20数年後に成立したと言われています。著者については諸説ありましたが、現在は弟子の唯円とするのが定説のようです。
体系立って仏教を学ぶための本ではありません。また過激にも思える箇所もあることから、「信心のないものにやたらと読ませてはならない」とまで言われたこともあります。しかし、親鸞の教えを端的に示すものとして、浄土真宗の信者であるかどうかに関わらず、古来から、知識人はじめ、愛読者の多い1冊でもあります。

番組とテキストでは、住職でもあり、大学教授でもある釈徹宗さんが、歎異抄の成立や親鸞の生涯といった背景に始まり、歎異抄の構成、各条の解説、エピソード紹介、全体の解説といった形で読み解いていきます。

「歎異」というのは、「異端を歎く」の意で、親鸞死後、教えが誤った形で広がっているが、親鸞が説いていたのはそういうことではないと解説することを目的としています。
最もよく知られるのは「悪人正機説」=「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや」という、一見、逆説的なフレーズでしょう。
常識(?)的には、善人が極楽にいく方が普通に思われますが、そもそもは仏さまは悪人を救おうとされているのであり、悪人こそが「正機」(機は対象の意)である。そうした仏さまが善人も救うのであるから、悪人が救われるのは当然である、ということになります。
また、よく他人任せの無責任なイメージを伴って使われる「他力本願」は、浄土真宗の言葉から出ているものですが、こちらも世間の捉え方はだいぶずれているようです。自分で努力をしないことを意味するというよりは、いかに努力しても限界のある自分であるから、仏の力(他力)におすがりするしかない、といったことになりそうです。
このあたり、先の「悪人」「善人」ともつながってきて、自分で「善人」と思うような人は、そこそこの善行を積んだくらいで、自分は「善人」であると驕っているのではないか、自分は「善人」だから極楽へ行けて当たり前と思い上がっているのではないか、との戒めのようでもあります。

底知れない深さがありそうですが、反面、一見すると逆説的な言説も多いことから、「どうせ救われるんだから、悪いことしてもいいじゃん」とか「どうせダメダメな自分なんだから努力しても無意味」となる危険性はあり、その辺が「不心得者に読ませるな」との指摘につながったのでしょう。

さて、私ががつんときたのは、第13条です。ある日、親鸞が「私のいうことを信じていますか」と唯円に問います。唯円は「もちろんです」と答えます。「では私の言うとおり、これから千人の人を殺しなさい。そうすれば往生できます」。唯円は驚いて、「千人はおろか、1人たりとも殺せません」と答えます。親鸞は「そらごらん、何事も思いのままにいくならば、往生のために千人を殺せるだろう。しかし、そうはできない」と言います。そしてそうさせないのは「業縁」である、「わがこゝろのよくてころさぬにはあらず」と言うのです。千人殺さないのは、良心のためではない、人を殺す「業縁」にないからだ。逆に言えば、その「業縁」にあれば、何人でも殺すはずだ、と。
これはすとんと胸に落ちました。ひとたび、そうなるべき立場や状況にに置かれてしまえば、危うく人も殺しかねない自分、その弱さは確かに自分の中にある、と思います。

もちろん、親鸞は、だからダメダメでよい、と言っているわけではありません。
「業縁」次第でどうにでもなってしまう弱い「こゝろ」を自覚しつつ、しかし、やはり「仏道」を求めていく。そこが大切な点なのでしょう。
「ありのままの」「ダメな」私への救いがありつつ、一方で、そこに安住するなという厳しいものも含まれているように感じます。

そこには、絶えず鏡を突きつけられているような、内へ内へと自省を求められているような厳しさを感じます。禅には真剣で切り結ぶような厳しさを感じますが、また違う厳しさがあるように思います。

釈さんは、解説の中で、宗教を聞きかじって「いいとこどり」をすることの危険性にも触れていますが、なるほどそれもその通りだろうと思います。体系の中で学んでこそ見えてくるものなのでしょう。
不信心ものとしては、手に取ることに躊躇いもありますが、とりあえず歎異抄の文庫本は1冊入手してみました。ご縁があればそのうち読むことになると思います。


*ほんというと、実家は浄土真宗なんですが(^^;;)。100分de名著 2016年4月―NHKテレビテキスト 歎異抄 (NHK100分de名著)/NHK出版

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