この度の東北地方太平洋沖地震で
被災された皆さまに、
心よりお見舞い申し上げます。
昨日25日、
宮城県にご実家がある
大学テニス部の同期と連絡が取れました。
地震当日から1週間は
本人もバタバタされているだろうから、
連絡を控えて無事を祈る日々だった。
その後は携帯に連絡しても繋がらず
メールは返ってきてしまい。。
男女計15名の私たちテニス部。
卒業してから10年以上が経ち、
地方で暮らすメンバーが多い事もあり、
最近では誰かの結婚式で再会するのを
楽しみにするくらい
連絡の頻度は低かった。
私も特別に仲が良い子とは
日常的に連絡を取っていたけれど、
他のメンバーとは年賀状だけのお付き合いに
なっていたところだった。
彼にいたっては2年くらい連絡が
取れていない状況で。。
地震から1週間過ぎたころ、
1人からメールが届く。
「○○と連絡つかないんだけど。」
みんな同じ事を思っていたんだなあと。
このメールを皮切りに、
それぞれが連絡を取るのに奔走。
安否情報だけは、それを見たら
いろいろな事が現実になりそうで、
怖くて見られなかった。
同期の彼以外に東北に実家がある
後輩たちの無事も伝えられた。
私の記憶の中では20歳くらいで
時が止まっている彼らの顔や
彼らとの思い出が脳裏を廻って
泣けてきた。
昨日の夕方、同期の1人から
「○○と連絡取れた!本人もご家族も無事。
津波で家の1階まで浸水していて
携帯も流されたから連絡が取れなかった。」と
メールがあった。
無事である事がわかったと共に
連絡が取れていなかったこの2年間の
彼の様子も明らかになった。
重い病気にかかり、東京で2年近く
入院していたこと、車椅子生活になって
リハビリのために宮城のご実家に帰っていたこと。。
言葉にならない。
夕方以降の仕事も、正直手につかなかった。
無事がわかって良かったが、
大学4年の全てを費やしたといっても
過言ではない部活の仲間が
こんな状況に遭っていることを
私も、誰も知らなかったのだから。
この震災と津波による
今でも夢であって欲しいと願うほどの
甚大な被害は、寄付や社会貢献を
日常としない私をでさえ、
「私にできることを何かしたい!」と
駆り立てるほどの重い現実だ。
今回同期と連絡が取れたことで、
私は被災地の中に居る個人を明確に意識した。
被災者の顔がくっきりと見えた瞬間。
私は彼とつながりたい、つながり続けたい、と
強く思う。そのつながりが広がれば。。
私は私で、今できることをやる。
やり続ける。
深呼吸して、笑顔で。





