文責: 清山 孝三郎


 私につながる豊後國 國東郡 田福(多福)村 字有安の筒井家の祖は、慶長13(1608)年に徳川家によって改易とされた筒井定次の二男・筒井春俊(つつい はるとし)です。一般には筒井春次とされているようです。 


 昭和35(1960)年11月3日に、一族の人間であり、豊後高田の郷土史家であった筒井清芳(つつい せいほう)氏によって纏められた田福有安・筒井家の家系譜『筒家里 (とうかり)』には、以下の記述があり、その伝承が書き物として残されています。

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田福に於ける筒井氏の祖

 元和元(1615)年5月、大阪は落城して豊臣氏は亡びた。

これに味方した多くの武将は、領地を没収せられ、その家は断絶した。

家臣たちは諸国に分散流浪して次第に影をひそめた。

大阪に籠城して奮戦した筒井氏一族も、この例外たるを許されない。

その嫡流の一人 筒井春俊という若武者は、艱難をなめた末、豊後國高田城外の田福有安の地に流れ着いた。

それは大阪落城の年か、その翌年元和2(1616)年の頃であったと思われる。

この地に佐々木長左ェ門森重(ささき ちょうざえもん もりしげ)という人があって、春俊を庇護し、遂にその長女を娶せ夫婦とした。

時に高田の城主竹中伊豆守重隆の子重興は府内(大分)に移封し、そのあとの城主はまだ決まっていなかったが、世は徳川氏の天下となり、其の勢力は厳しくこの地方にも伸びていた。

春俊は保身の為に姓氏を隠し、長左ェ門のすすめに従い、佐々木の氏族の中に没入して農民となり、名を重右ェ門と改めた。

この重右ェ門殿こそは、我が田福有安に住む筒井一族の祖であって、三男一女があり、長男を金二郎と言い、のち金兵衛と改めた。

 重右ェ門殿は延宝の頃(1673年が延宝元年)死亡、金兵衛殿は正徳の頃(1711年が 正徳元年)死亡、共に樋口(ひのくち)墓地に葬られた。

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 また、その後約250年の時を経て、筒井の氏に復したことについても記載されています。

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筒井氏と佐々木氏

 樋口墓地、および、山田墓地の古い墓標の中には、筒井一族の人で佐々木の苗字を冠せられている人が少なくない。

これは次の理由に依るのである。

 田福有安に於ける筒井の先祖 重右ェ門殿が、元和の昔、佐々木の氏族に没入したのは、徳川幕府の目をのがれる為の保身の手段であった。

爾来、約250年間の江戸時代は、農民として表面姓氏を名乗る必要もなく、形式上佐々木氏に同化していたからである。

しかし、明治3(1870)年庶民に苗字を許されることになって、にわかに大きく転回して一気に筒井の氏に復帰したことは、実に驚嘆に値する大英断で、子孫たるものの感激にたえない処である。

 そもそも日本民族は、遠い昔から、家柄や門閥を誇る風習があっかたが、特に源平時代以降、鎌倉、室町、江戸の各時代を通じて、武家政治の発達伸展は、此の傾向を更に強からしめた。

我が筒井一族の人たちも例外ではなかった。

表向きに苗字を名乗るとすれば、250年も同化していた佐々木とすれば、何の煩わしさも無かったのに、敢えて筒井に帰ったのは、そこに大きな理由があったればこそである。

我が田福有安に於ける一族にとっては、この苗字決定は先祖を顕彰し、子孫に栄光をもたらす重大事件であるから、当然全戸の会議を開いた結果、保身の為の辛抱や隠忍も、徳川幕府は倒れ明治の新政にかわったのだから、何の顧慮を払う必要もなくなった。

堂々と筒井と名乗ることに踏み切ったのである。

其の時の主だった人を次に掲げて其の徳を称えたい。

  筒井休蔵、筒井俊平、筒井俊八、

  筒井周平、筒井長平、

  筒井健十、

  筒井久八、筒井弥八

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 さて、『筒家里』には、昭和35(1960)年時点で十分調査仕切れなかった樋口墓地の奥の 古いご先祖様の墓標についても記述がある。平成17(2005)年に、それらの一部を荊の中で偶然見つけることが出来た。今後このサイトで、その後の調査で判明した情報と共にご紹介したい。

 ちなみに、私の9代前のご先祖様が、筒井清芳氏との共通のご先祖様になります。


 このページの内容は、平成26(2014)年8月22日にYahoo!ブログに掲載していたものですが、令和元(2019)年12月15日をもってYahoo!ブログのサービス自体が終了になりました。どのように再掲すべきか検討しておりましたところ、この度「筒井氏同族研究会」のホームページが立ち上げられることになり、縁あって私の記事も研究会のホームページに掲載させて頂ける運びとなりました。


当ページの写真は、『筒家里』の表紙。




via 筒井氏同族研究会
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