日本は個人主義ではなく集団主義の文化です。

個人主義では、一人一人が独立した個人、社会を構成する完全な単位です。

すなわち、基本的には自分のことは自分が決める、面倒をみるという考えです。

一方、集団主義では個人は全体の一部であり、完全な単位である必要はありません。

集団や社会の中で機能する一部であれば、それ以上個人として独立した機能、

単位を形成する必要は無いのです。

集団主義はある意味個人に取っては、楽で居心地の良い社会です。

何しろ何か一つ集団のためにできさえすれば、その他の必要なことは、

他の人が面倒をみてくれるのですから。

相互依存によって社会は円滑に機能するのです。

これは家族にも当てはまります。

男性は外で働いて一家を養う能力がありさえすればよく、

家事やその他のことには関与せず、奥さんに任せておけばよいわけです。

逆に奥さんは、生活の糧を得る能力は無くてもよく、

家事と子育てができればよいのです。

夫と妻が一人の独立した単位として社会で生存して行く機能を持つ必要はないのです。

従って、日本の夫婦というのは、一人一人の独立した個人の繋がりというよりは、

むしろ役割で結ばれた関係になります。

相互依存だと、他の人は自分の生存になくてはならない人達ですから、

お互いを大事にし合う傾向が高くなります。

従って親切で礼儀正しい人が多くなります。

医療の現状から日本人のお任せ主義の医療の背景を考えてみましょう。

kenhei-01
biz-journalより抜粋---

■お任せ主義の医療

我々日本人は健康保険制度に慣らされてしまったせいか、

こと医療に関してはお任せ主義である。

車や家の購入を人任せにする人はまずいないのに、

体のこととなると人任せになってしまう。

このお任せの弊害が、米国と日本の100歳以上の寝たきりの比率

(米国35%、日本65%)にも現れているのだ。

これまで皆保険制度がなかった米国では、

高額な医療費がかかるため簡単には医療機関を受診できない。

これに対し日本は、皆保険制度のおかげで簡単に医師を受診し、

受診すればなんでも治るかのように思い込んでいる。

多くの患者が死にたくないと言って医療機関を受診する。

人間は100%死ぬものであるにもかかわらず、

近年、死を受け入れない傾向が高まってきているのである。

老衰を理想的な死だと思い込む節があるが、

先日、老衰で祖母を亡くした若者が「老衰では死にたくない」と言う。

理由は、年単位で襲ってくる機能不全(肢体不自由、食べられないなど)で、

医師に相談しても改善が得られず、

亡くなる前の20年間は本人も家族も地獄だったからだそうである。

■健康寿命と平均寿命の差

「世界保健統計2011」では日本人の平均寿命は83歳で、193カ国中、第1位であり、

これは日本が世界に誇る国民皆保険制度によるところが大きいだろう。

しかし、単純に喜んでよいかというとそうでもない。

04年のWHO(世界保健機関)の健康レポートでは、

日本人の健康寿命は75歳で、これも世界一なのだが、

平均寿命と比較すると7~9年の開きがある。

言い方を変えれば、7~9年は健康でないまま生きるということになるのだ。

医師は「死は敗北」「命を救うのが使命」と教えられ、それを実践してきた。

その結果、寿命は延びたが、決して健康に延びたとはいえない。

寿命を延ばすために医療費が膨れ上がり、

財政を圧迫し我々の生活を脅かしかねないものになりつつある事実は、

大きな問題である。

しかも自立できないで生きる期間が7~9年にも及ぶのだ。

日本医師会は、日本の国民医療費は先進諸国に比較して決して高いものではない、

という見解を示している。

確かにGDP比で見ればそうかもしれない。

しかしながら、日本の医療費は国民皆保険で支えられている。

つまり、その多くが公費でまかなわれているのである。

それが税収を上回ってしまうことが問題なのだ。

医療費の削減は待ったなしである。

医療の質を落とさずに医療費を縮小するには、

一人ひとりが疾病予防に努め、医者への需要を少なくすることである。

今こそ日本人の意識改革が必要なのである。

(文=川嶋朗/医学博士、医師)


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