別に普段から会えないような、離れた所で活動をしているわけではないのだが、実際に会うのはかなり久しぶりになったようだ。
これは私の性格なのだが、すごく強がりと言うか、とても見栄っ張りな性格で、今回の場合、「久しぶりに会ったから色々とお話ししたい」と心中では思っていても、その気持ちを顔や行動には一切出そうとしないのである。
つまりは、相手が話を始めてくれると、それには喜んで乗っかるということである。
そしてもう一つ、久しぶりに会う知り合いに対して、「あまり最近会ってないけど、私のことをどう思っているのだろう」と勘繰る癖が私にはある。
先日その知り合いに会ったときは、その両方が相俟って、話をすることはできたが、何となく個人的に腑に落ちない部分があって、すごくモヤモヤしていた。
要するに…、「自分のことをちゃんと見てもらっている」「自分のことを忘れてはいないんだ」という明確な保証が欲しかったのだろう。心配性の私を如実に表しているのかもしれない。
しかし、ある時その人がソファで私の隣に座るシーンがあった。
やたら「距離」が近いのである。
社会心理学の知見によると、人には他者との関係に応じて、その人が近づくことを許される「縄張り」みたいなものがあるという。
親しい相手であれば、多少、近いと思う距離であっても、その場所にいることが不快にならないどころか、容易に受け入れることができるのだとか。
アメリカの文化人類学者、Edward Hallは、その「縄張り」の範囲・距離を4つのカテゴリに分類した。
1. 密接距離 0~45cm
まさに身体と身体が触れる距離で、ごく親しい人のみが、この場所にいることを受け入れられる。
2. 個体距離 45~120cm
手を伸ばすと触れることのできる距離で、一般的に友人との関係でとられることの多い距離。
3. 社会距離 120~350cm
身体に触れることのできない距離で、仕事上付き合いのある人との関係でとられることの多い距離。
4. 公衆距離 350cm以上
1.~3.で対象となった対人関係よりもさらにあらたまった場でとられる距離。
私は心理学専攻でも何でもないので、このように拙い知識をひけらかしていることを始めにお詫び申し上げたい。
先日の私の経験では、ソファで隣に座った知り合いとの「距離」はまさに1.に該当するものであったと記憶している。
今から思えば、私とその知り合いはそういう関係だったのかと振り返っている。
しばらく会わなかったとしても、やはり今まで長く関わってきた知り合いとの関係は、そう希薄にならないものだということを改めて感じさせられた瞬間であった。
嬉しい出来事のはずなのに、嬉しそうに書かず淡々と述べていく、これもやはり、私の性格なのかもしれない、というか、きっとそうなのだろう。
