「ほぼ日」

 
ほぼ日刊イトイ新聞というサイトをご存知でしょうか?
 
アプリやネットから見れるサイトで、糸井重里さんの「今日のダーリン」という毎日更新されるエッセイや色々なインタビューなどのよみものとおすすめの商品や書籍などを紹介しています。
 
糸井重里さんのコピーや言葉が良いなあーとなんとなく思っていて、あとこれは僕の勝手な意見ですが、ほぼ日を見ていると少しの「わかってる感」が出て上質な大人になれるかなという邪な気持ちでなんとなく覗いたのが数年前。
 
そのサイトの中は、平和で穏やかで、けれど押し付けがましい正義感はありませんでした。人の一生懸命を笑うこともないし、少しくらいサボることを責め立てる感じもない。そういった空気感をネットなのに感じました。
 
そこで紹介される商品も、決して安いものでもないけどハイブランドとも違うもので、「いいもの」を紹介していて(僕基準ですが)魅力的で実用的でもあり、ご褒美的でもあり手に入れたら生活を少し楽しくしてくれるモノでした。
 
そんな「ほぼ日」のとあるエッセイで(このエッセイにバックナンバーはないのではっきりと言葉があっているかは分かりませんが)皆勤賞的なものについて書いてあった事がありました。
 
それは糸井さんが毎日エッセイをあげている事について偉いと言われるけれど、それは実はサボり屋さんだからという内容だったと思います。
 
毎日やっているという事は、毎日やっているという事に価値がでるから、たまにちょっと内容が良くなくても許してもらえるというような事を書いてありました。
 
僕は、この内容に非常に感銘を受けました。
 
実際、僕はこれまで何かを始める前に、まず思う事は始めは気合が入って頑張るけれど、それをずっとは続けられないだろう、完成度の低いものを発表するくらいならやらない方がマシだろう、たまの完成度の低いものに文句を言われるならやりたくないと思い始めない事がほとんどでした。
 
もし始めたとして、休んでしまった時には次にまた書き出す時、休んだのは良いものが出来なかったから、その代わり出す時には完璧なものを出す、僕が休んだのはこの素晴らしいものを出すためのインプットの時間だったんだ、僕の発表の価値は続ける事ではなく、不定期でも素晴らしいものを出す事だと散々言い訳して、結局は休んだ分だけの理由に見合う事など思いつかず、いやただめんどくさくなっただけなのですが辞めてしまう事がほとんどでした。
 
しかし、糸井さんのエッセイを読み「そうか別にいいんだ」と思いました。
 
その、いい加減さの思いに背中を押されて、今僕はインスタグラムで毎日密着映像をあげているのです。
 
そうして、すっかり僕はほぼ日のファンになり、ほぼ日のイベントの「生活の楽しみ展」でO2のTシャツやNAOTの靴、万年筆や日記帳などなど、
 
そして
 
レトルトのカレーを先日買いまして、これが美味いんです。レトルトなのにこの美味さとかじゃなく美味しいんです!僕の中でこれはレトルトというかもうテイクアウトだと思ってます。
 
こんな事を勝手にSNSであげていたら、先日このカレーと最近でたこのビーフ味
 
 
をほぼ日さんに頂いんたんです!
 
ラッキーーー
 
この美味しいものをもらえた事はもちろん
 
好きなほぼ日に!芸人以外で働くならほぼ日と思っていたそんなほぼ日さんに認識して頂いんだという事が何より嬉しかったんです!
 
 
なんか、長くて、カレー貰ったから宣伝してるだけだろ、アピールしてるだけだろと思う方もいらっしゃるかもしれませんがすいません。それほど嬉しかったのです。
 
思いが届くってのは嬉しいという話でした。
 
カレーありがとうございました。