先月、ブログ始めて2年経過した鉛筆

 

アメブロのホーム画面には

”2年前の2月に書いた記事があります”

なんてお知らせしてくれるようになった

 

どうだろ、

この2年で、ちょっとは大人になったかな

なんて…

 

 

以前のブログを読み返すと、

子どもに早期教育をもっとさせようとか

他人の評価を気にするのとか

自分のこだわりとかもっと極端だったんだなとわかる真顔

 

今思うのだけど(現在進行中だけど)

なんか、そこには「形しかない」

つまり中身がなく、本質が分かっていないんじゃないかって

 

 

 

ちょっとずつだけど、丸くなってきている自分がいてるかも

(心も、体形も。笑)

 

ベタだけど、子育て通して親は成長するっていうけど本当だ

子どもを育てる過程で、いやでも自分自身を直視せざるを得なくなった。

甘いもの過食だって、育児ストレスで甘いものばっか食べる癖が加速して、これ以上は、おかしい!!こんな食生活はおかしいしやめたい(けどやめられない)って心の限界がきてやめることになった。

子育てがきっかけをくれたともいえる。

 

 

さて、今朝はざっと過去のブログを読み返してみた

その気づき

 

今読めば、うわー恥ずかしいってこともいっぱい書いてあるんだよね、これが爆  笑まぁこれも成長の証拠としてみるか

 

 

右差し現在は常識としてして思っているようなことも新鮮な視点で書かれている

いかに自分が無知だったか、わかる

 

右差し幼少期の親の言うことがいかに重要で子の人生変えるか

この2年でよーくよーく分かった

 

右差し細かいことにこだわって本質が見えていない

特に甘いもの断ち初期の頃。細かい糖質とかにこだわっているけど問題はそこじゃない。でも、後々気付くためのプロセスだから必要だったんだな

 

 

右差し感情を「コントロール」しようとしていた

が、今は「コントロール」すると悪化するのがよくわかっている

怒りも、悲しみも自分自身で受け容れてこそ

 

右差し子育て・生き方の「正解」を探し途方に暮れていた→

「正解」など無い、自分のやりたいようにやるべきと思う→

自分の「正解」を追求すること自体よりも、追求するために悩んだり自問自答したりすることそのものが大事なんだと思った

 

複雑にこねくりまわすと、「正解はない」ということ自体が「正解」になっていたりする。悪用すれば考えたくない・反論されたくない時の「逃げ」にもなるし、責任逃れとも考えられる。

本当に病んでいる時はそれも有りだと思うけれど。「自分の好きにやればいい」も一歩間違うと「惰性に流されたい言い訳」になる

 

平たく言うと「ちゃんと考えてるか?」「自分と向き合っているか?」ということが大事なんだと思う。

結果はともあれ。その過程の方が大事ってのはこのことだね。

 

右差し糖質は控えめだけど脂質摂りすぎなのはやっぱ考えモノ

乳脂肪の摂りすぎと女性特有疾患の癌の関係が気になる

 

右差し甘いものを過食するクセは治したけど、ストレスで過食するのは治っていない

 

右差しかずのすけさんのスキンケア法が自分に合っている。

前までかけてた美容費がなんだったんだろう?ってくらいお金かけてないのにお肌元気

※おやつをご飯にしなくなった影響も大

 

右差し「あの人が悪い」「あの人が私を怒らせた」→「私の心が怒りを選択した」「人は変えられない、私の心次第」という思考に変ったが、それは楽になったわけじゃない。

逆にしんどい時もある

 

 

 

前よりも‥

自分のことがよくわかったかな

子に対して、ちょっと寛容になったかな

そして自分に対してもちょっと優しくなったかもな

(甘やかし気味だけど)

 

 

これからも、生きやすくなるといいな

楽しく、生きる。

そのために自分を成熟させる

 

自分を成長させるために生きるんじゃなくて、

「楽しく生きる」ために成長させる

 

もちろん、成長のためには「努力」「何かを頑張る痛み」が必要だからいつもルンルンというわけではない

これ、忘れがちだけど重要