人に依存する系の友達と会わなくなった


会わなくなったし

合わなくなった


私は的を得た言葉を何気なく言うから

私から見えないところに行ったみたいですぶー



依存関係を続けても

その友達に対して失礼だし

いつか気づくと思うほっこり

気づく力は、あると思っている


何年先か、何十年先か分からないけど

死ぬまで気づかないかもしれないけど


私にできることは

そういうあなたにOKを出さないこと

ダラダラその場かぎりの慰めや同調をして満足させて

今の状態を長引かせないこと

ただそれだけ


NOをいうと恨まれるし

めんどくさいので、関わらない



今まで、そうだねそうだね。

頑張ったね。私もそう思うよ。

と言い続けても

言い続けても

同じことの繰り返し

何も変わらない


私が何かしようと新たに何か始めると

暗に足を引っ張る



たぶん私にできることは何もなく

あるとしたら

私は私で楽しく生きていくことなんだと思う



例えば

あなたが話を聞いてくれなくなったから、悪いんです。私のことなんて、誰も気にしないし、私なんてどうなってもいいし、何かの拍子に死んでしまったとしたらあなたのせいです。


とそう思われたとしても

それでいいと思いますうーん


今までは、死ぬなんていっちゃいけない。

私が話し聞いてあげるし

私がいるから安心してといい

結果、依存させてしまっていました。

私にも依存してくれる人が必要だったからだと思いますショック


私がそう言いその責任が取れなくなったことが原因でしたぐすん

自分の言葉にも責任が取れないんだ

私ってこんなもんだと自分自身呆れていますぼけー

自分を分かっていなかった・・・


似たようなこと

以前のブログにもアップしたと思うけど

今回もうちょっと突っ込んで

自分の気持ちをはっきりさせたいと

書きながら考えています



死に執着するということは

生に執着しているということ

執着するって苦しい

なんか暗いドロドロした感じがする



突然訪ねてくる友達がいるけど

早めに帰ってもらおうと笑顔で対処する

その友達も、勝手に決めた私のイメージに執着してる

私が自分のために必要らしい

本人は、気づいていないのでめんどくさいショック



私も執着していた時期が若かりし時あったな

ジャルジャルかゲラゲラ


男に執着したりショック

でも年齢重ねていくうち、こだわりがなくなっていく

何かあったとして明日死んでも後悔ないわウシシ


辛いこともたくさんあったけど、楽しいこともたくさん経験して、間違ったこともしたけど、一生懸命生きてきた



いずれは、みんな死ぬんだから

それまで自分の楽しいって思えることをしたらいいだけだと思う



執着の輪とは違う別の

楽しいとか面白いとかそういう明るい輪の中で

生きていこうと思う


最近面白いこと思いついたので、またやってみようと思っているところウインク


忙しくなりそうなので、更新しばらくないかも

また何か書きたいことがあったら戻ってきますニコ