そしてもう一つの良かったことは、自分も両親も、年を取ったなぁ、ということを身にしみて感じたこと。
そそられた郷愁の正体だ。
映像の中の両親は、まだ三十代半ば。
それが三十年弱の時を経て、今となってはおじいさん、おばあさんという立場になり、四歳だった自分も親の立場になった。
当時からすれば、途方もないほど遠い未来だった三十年後。
しかし、過ぎてみればあっという間だ。
映像を見るうちに、まだかすかに残っている自分の四歳の頃の記憶が呼び覚まされる。
それと同時に、抗う術もなく過ぎていった時間を思い、とても切ない気持ちになった。
きっと、あっという間に日々は過ぎて、気付けばこうやって娘と一緒に、昔の映像を見る日が来るのだろう。
まだそこに辿り着けるかどうかは分からない。
相変わらず未来がどこに向かっていこうとしているのかも分からない。
だけど、間違いない事は、過ぎてしまえばあっという間なのだ。
目の前の両親がそうであるように。
そして、四歳の自分がここにいるように。
いるのが当たり前だった両親も、老い先がどれほどあるか分からない。
それはもちろん自分もそうだ。
老い先がどれほどあるのか分からない。
そうやって、命は巡っていく。
どこかで途切れてしまう不安を常に抱えながら、見えない未来に絶望を感じながら、何とか手探りで一秒一秒進んだ先には、見えなかったはずの未来が確かにある。
娘様のことを笑顔で見つめ、楽しそうに触れ合う両親の姿を目の当たりにしながら。
泣きそうになるほどの切ない郷愁にそそられながら。
素っ裸の自分を改めて見させられる拷問に耐えながら。
いつもと変わらない、平凡と言う名の幸せな一日は過ぎていった。
(つづく)
