慣れとか面倒とかじゃない。気絶しないために、頑張り過ぎない事が大事だから、とっても大きな疲労を伴う『食事の準備』というものは、出来るだけ関わらないようにしている。
納豆のパックを開けてかき混ぜて、ご飯にかけて食べる、はできる。
卵を割って、ご飯にかけて、かき混ぜて食べる、はできる。
その食事を準備するために、大体十個から十五個以上の工程を必要とするようなことは、なるべくやらない。だったら、他の事をやった方が、まだ嫁様のサポートの意味がある。
ちなみに、お箸を準備する、も、一つの工程。
飲み物を準備する、も、一つの工程。
これですでに二つ。
ご飯をお茶碗につける。
これで三つ。
薬を飲む。
これで四つ。
卵を割る。
五つ。
ゴハンに乗せる。
六つ。
しょうゆをかける。
七つ。
味の素を少しかける。
八つ。
ごま油を少しかける。
九つ。
かき混ぜる。
十個。
はい、これが自分の中では、ほぼ精いっぱいに近い、料理に対するキャパシティなのだ。
料理とは、恐ろしく工程の多い作業だ。
だって、『きゅうりを切る』とか、そもそも『包丁を用意する』とか、全てが自分にとってはバラバラの工程であるからして、普段嫁様や実家の母親が料理をしてくれている工程を全て自分がこなすためには、おそらく50とか100とかの工程を追っていかなくてはいけない。
しかも、モノによっては時間制限やタイミングが関わってくる。
自分の知覚統合の低い頭にとって、こんなに途方も無くて、恐ろしい作業は無い。
だから、料理には出来るだけ携わらない。
疲れるから。それで気絶するよりマシだと嫁様に教わったから。
だから、娘様の離乳食なんて、ほんとに雲を掴むような話だ。
(つづく)