2022年、あけましておめでとうございます
明けたばかりで何ですが、
「スナック遠藤 古着狂の詩」は今回で終わりです
2017年11月から、四年一ヶ月と一週というなんとも微妙な期間ではありましたが、とりあえず毎週木曜日のお昼(時々遅刻あり)に欠かさず投稿し続けるという目標は達成できて、安堵しております
そもそもこのブログを始めたのは、自分の孤独を癒したいという身勝手かつ切実な思いからでした
心の穴を埋めるように買い続けた古着の数々
日々の生活で感じるよしなし事
誰かに見せたい風景
伝えたい気持ち
そんなことが誰に伝えることもなく長い時間をかけて自分の内側に少しずつ積もって膨れ上がって
ある日、このままでは私は寂しくて死んでしまう、と思ったのです
思い浮かべたのは小さなスナックでした
そこではお客さんが、一杯ひっかけながらママや他のお客と一緒に時間も立場も気にせず、どうでもいいようなことをひたすら喋る
ささやかなお喋りをすることで、自分と誰かがちゃんと繋がっていることを確かめるような、日々の生活の中のオアシスのようなお店
そんな、スナックのママと話しているようなくつろいだひとときを提供できたらいいな、と思ってこのブログ始めたのですが…
いかんせんスナックのママのような余裕も包容力もテクニックも持ち合わせておらず、
毎度毎度溺れているような無様なモノを書き散らかす羽目になり、せっかく読んでくださっている方にかえって多大なストレスをかけてしまったことを改めて詫びします
それでもできないならできないなりに、毎回その時の自分にできる限りの力を出し切って製作しよう、と自らにミッションを課してひたすら作り続けました
ひとつ投稿するたびに空っぽになり、そこからなんとか奮い立たせて次に取り掛かるの繰り返し
ムリヤリ育てた巨神兵のようなドロドロの投稿もしばしばで、自分の才能のなさが情けなくて仕方ありませんでした
曲がりなりにもフルタイムで働いている身としては、かなり重たい鉄下駄でした
ひとりで製作に打ち込んだことでリアルの人間関係はますます希薄になって皮肉にも孤独は深まり、心身ともに消耗しましたが、この活動が日々を生きる糧となり救われていたところが多分にありました
頑張ることで頑張れたのだと思います
結局大層なものは作れませんでしたが、この活動を通して、私は自分で決めたことならここまで粘れるんだ、自分に厳しくなれるんだ、と改めて自分を信頼することができて少し安心しました
このブログをやめることにした理由は、このやり方でできることは全てやった、という感覚があったからです
この情熱を他のことに振り向けてみたい、という気持ちも芽生えてきました
もしここまで読んでくださった方がいらっしゃったら、何とお礼を言ったらいいのかわかりません
孤独な作業の向こう側にきちんと誰かの存在がある
そう信じることで今まで続けることができました
本当にありがとうございました
このブログは終わりますが、ボサっとしているとまた寂しくなってしまうので、また何か生きる糧を探す作業に入ります
きっと人の命ひとつひとつがそれぞれのお店の看板の光です
路地裏にぼんやり光を灯しながら、スナック遠藤もこれからも独自の活動を続けます
いつかどこかで顔を合わせてお会いしたら、小さなスナックで時間も立場も気にせず、どうでもいい大切なことを一緒に喋りましょう
みなさま、どうかお元気で!