ネットゲームとPCと私 | おいしい山ごはん

おいしい山ごはん

僕の山ごはんはおいしく無いので山で食べた物を書き綴りながら
おいしい山ごはんを目指します。
山行記録も兼ねます


こっそりと右側のサイドバーにぽんちず(地図印刷ソフト)のダウンロードリンクを追加しました。
ウォッちずの地図データを印刷するソフトです。

山へも行けない日々が続きネタも無いので更にタイトルと関係ない事書いちゃいます。

ゲーム好きです、いや・・・好きでした(w
と言うのもココ何年かは全然やらなくなっちゃったし。

最近やらなくなった原因の一つが、最近のゲームは「ぬるい」からが一番の要因と思ってます。
(お!上から目線来た。)


昔のPCゲームって俗に言う洋ゲーが多くて
結構ハードなゲームが多かったのです。
死んだらキャラロストとか。

当時のゲームやPCの話をすると一部の人には受けが良いので書き綴ります。
興味の無い人はまったくつまらないと思います。

そして登山とは1%も関係ありません・・・



僕が最初にやり始めたオンラインゲームはBlizzard社のDiabloと言うゲームでした。
それ以前はオンラインゲームと言うものがまだ無くて(0では無いですけど)
世界初の本格オンラインゲームでした。

1997年に米で発売(14年前)日本では当時未発売でした。
しかし秋葉まで行くと勝手に輸入して売っているらしいとの情報はゲットし
やりたい!こういうのを小学生の時からずっとまってた!!と思い即決断

以前に使っていたMS-DOS機に別れを告げてWindows機を購入(IBM製だった)
即座にNTTと電話線契約、自室に線を引っ張る工事をし
プロバイダとも契約(たしか県内は一社しかなかった気が・・・)
翌週には秋葉原へ電車に乗ってお買い物しに行き無事Diablo購入!

説明書も何もかも英語だったので良く解らなくて辞書引きながらインストール&設定
当時はまだネットワークの知識も無く苦労しましたがネットワークに接続完了
⇒(・∀・)キター!!


無事ログインを果たして夢にまで見てた世界に入る事が出来ました。
もう、超興奮! エロいサイト見てる場合じゃないし
合コン??おれそんな事やってる暇無いわ。って断るくらい・・・

とりあえず普通にゲームするのにも全部英語だしヘルプも英語、説明書英語・・・
しかも英語嫌いなので、説明書を読むのは放棄してとりあえず「Create」ボタンを押してゲーム始めてみました。

しばらく一人でゲームしてると誰か入ってきて
「Hello」(←当たり前ですが英語か・・・)

「○~☆!♪△бж∀ you?」(←え?何?何?)
その後もさらに人が入ってきて
3名の外人さんに英語でガンガン捲くし立てられる(ひぃ~・・・・)

何言ってるのか良く解らないのですが、初心者なのか?とか
こんなアイテム有るけど居るか?とか
結構面倒見てくれそうな感じの事を言ってる様でした。なので・・・

「I can not Speack English」とマッハ1で入力
全員にお前が今喋っているのが英語だと突っ込まれ
ならばと
「I can speak english very little」とマッハ2で入力
「OK、 Where Come From?」との問いに
「Japan I'm Japanese」と答えると何故か
一斉に「Cool」と褒められて(w

当時日本人ですって言うとかなりの高確率で「Cool!」って言われました(なんで?)


その後ゲームを進めるとゲーム自体の専門用語などもでて来て
「???」が多くなり他プレイヤーとの意思の疎通が難しくなりファーストコンタクト失敗><
この時点ではまだ、ゲームのシステムすら認識してませんでしたし・・・


ファーストコンタクト失敗後に、すぐに英語の辞書を引っ張り出して
辞書片手にゲームスタート。
何か言われると、とりあえず「Little Wait Plase!」と打って辞書引いて・・・答えて。

ゲーム自体もだんだん解ってきて徐々に面白くなってきました。
そして感じました「英語イラねーとか思ってたけど、勉強しておくべきだった・・・」と

当時の日本だと、企業ですらネットに繋がって無いような環境が多くて
個人ではネット環境以前にPCも無いって家が多かったです。
なのでオンラインゲーム(しかも日本未発売)をやるのは相当障壁は高かったです。
なので、日本人は結構少なくて
たまに居るのは大学の研究室とかの人が多かったです。

そんな中、しばらく一緒にゲームしてた人とゲーム外の会話になって
どっから来てるの?とか何やってる人?ってな会話になり
相変わらず「Japanese」と答えると「Cool」とかって褒められて
「で何歳なのさ??」って聞いたら
「10Years Old」と・・・
一緒にやっていた人がなんとアメリカの小学生でした、
衝撃を受けました。
アメリカすげ~!!って言うかアメリカのインフラの整備されっぷりと
パソコンの浸透し具合がびっくり。
丁度今の日本の小学生達みたいな感じでしょうか??


当時Diabloやってる日本人はかなりの高確率でホームページを持ってまして
当然ワタクシも・・・
「ぽんちよのホームページ」ってなタイトルで
背景が趣味の悪い緑色で・・書く事無いので自己紹介のページに
趣味はスキーとパソコンとギターです。
「管理人写真」と自分のスナップショット乗せたりして。

今それを誰かに見られたら全力で口止めするレベルです(w
いや、発見した人事態を消すかも...

当時のPCはまだまだスペックが低くて、ちょっと高負荷を掛けると
フリーズしたり、処理が重くなってりして
ゲームするには結構パワー不足を感じました。

なので、上記のPCを購入した一ヵ月後には部品の交換を始めて。
半年後にはメーカーPCに限界を感じて自作PCを作り始めてしまい
またその頃から自作PCが流行始めだしたり、年々CPUのクロックが倍に倍に上がっていったりして、長く深いパソコンオタクへの道を踏み出したのでした・・・


最後まで読んで戴いてありがとうございます。
果たしてコメントが付くのか不安です・・・(笑)