久しぶりの投稿になってしまいました。
3月に息子が幼稚園を卒園し、入学まで3週間ほど日本に一時帰国し、息子が入学して、本当に忙しい小学校生活を送る中、娘が高熱を出しました。
25日の水曜日のお昼頃発熱。
14時からの診察に合わせてタクシーで病院へ。
普通の診察で解熱剤をもらい、金曜日まで熱が下がらなければまた来て下さいと言われ帰宅。
夕方の離乳食後、1回目の解熱剤。
薬は4〜6時間間隔で1日4回までとなってました。
すぐに熱が上がってしまうので、4時間間隔であげてましたが、翌朝、日中は少し様子みようかと朝は解熱剤をやめておんぶでお昼寝。
起きてからお昼の離乳食に白がゆだけあげようと準備して、オムツを替えようとするととても嫌がり、泣きながらもオムツを脱がしたところで、熱性痙攣に!
聞いたことはあったけど、息子はなった事がなかったので、本当に焦りました。
しっかりと知識もなく何分続くかと、様子を見ておくくらいしかわからず、あまりの不安に抱き抱えたまま、パニックに。
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせ、まずは時間を確認。でも結局終始パニクって、泣けてきて、ダメダメだった。
痙攣開始は12時3分だったかな。
とにかく不安で、まず救急車を呼びました。
台湾でも日本と同じ119とは知っていたので電話するものの、熱性痙攣の中国語がわからず、言葉が通じない事をわかってもらうために、自分は日本人で、10ヶ月の赤ちゃんがいて、高熱で、助けて下さい!みたいな内容で伝え、住所と電話番号、名前を言い、その後何か言われたけど理解できず、混乱。でも救急車を出していいか?みたいな感じだったと思ったので、お願いしてなんとか呼べました。
その後、旦那さんに電話をし、熱性痙攣で救急車を要請した事を伝え、病院が決まったら連絡すると伝えました。
そして、不安すぎて、マンションの同じフロアの2件に助けを求めインターホンを押しに行きましたが2件とも留守でした。
この後くらいに娘はチアノーゼが少し出ました。
顔が真っ白になり紫色になり、本当に本当に怖かったです。
娘の名前を呼んで、泣けて泣けて、でも、色々やらないと。
救急車が来たらすぐに行けるように、母子手帳、海外旅行保険の書類、保険証、オムツ、お財布、携帯、ミルク、哺乳瓶、ガーゼのおくるみ的な布を準備。
準備の途中に救急車が到着し、守衛さんから連絡があり、家に救急隊員の方々と、マンションの守衛さんの方々が到着。
その時まだ準備の途中だったので少し手伝ってもらい、家を出ました。
後で旦那さんがネットで調べたら、本当は安全な所に寝かせていないとダメだったと。でも、私は娘を抱き抱えたまま行動してしまいました。
インターホン押しに行く時も、準備をする時も。
でも、娘の様子を見ていないといけないという頭と一人で置いておくのは不安だったので、抱き抱えたまま行動してしまいました。
正しくはどうするべきだったのだろう。
寝かせて側で用意をしっかり観察して、準備は救急車が着いてからすればよかったのかな。
あの時は一刻も早く連れて行くために準備しないと!と思ってしまった。
痙攣の時間も開始はしっかり見たけど終わりの時間見てないし。
左右対称だったかどうかも、思い出せない…
母親として、もっと事前に知識を持って、冷静にできなかったのかと、猛反省です。
今、思い出しても怖くて怖くて本当に不安だった。
救急隊員の方にどこの病院に行くか聞かれたと思うので、近くの病院名を伝えました。
中国語なので、聞かれたかどうかはしっかりわからないけど。
救急車に乗ってから、1番近くの病院は私が言った病院かどうかを確認したら、そうだと。10分くらいで着くだろうと言われました。
旦那さんに連絡すると、マンションの守衛さんが本当に良い方で、すでに連絡して下さってました!
この時には痙攣はもう終わってました。
泣き声が出ると安心し、すぅーっと静かになってしまうと大丈夫かとても心配でした。
救急車の中では血圧を測ったくらいかな。
で、熱性痙攣になった瞬間、オムツを脱がした状態だったので、痙攣になってから履かせるどころではなく、薄いガーゼのおくるみで巻いて救急車に乗りました。
その道中か、病院の入り口で待ってる間に娘はなんと大きい方が出てしまったようで、大変でした。
でも、命を心配してる時って、そんな事はとても小さな事でした。病院の方には申し訳ない気持ちでしたが。
汚してしまったのに、気にしないで、気にしないで!と本当に親切でした。
長くなってしまったので、続きはまたいつか、書きます。