成人すると、何故子供の頃に比べて時間が速く流れるように感じるのだろうか。
時間の物理的な流れを川の流れに譬えた文章を読み、なるほどと感服したことがある。内容は、おおよそ以下のようであったと記憶する。
大人になってからの時間は、子供のときと比べて、同じ一日、一年であっても、驚くほど速く過ぎ去っていく。それはなぜか。おそらく自分の生理的活動が遅くなっていくのを漠然と感じるのことによるのであろう。
物理的時間は、一定の速度で流れていく。それに対し、生理的活動は、段々遅くなっていく。
両者は平野を通って流れる大河と、その脇を歩く人に譬えられる。
人は、堤に沿って歩きながら、物理的時間という流れ行く水を眺めているのである。
人生の暁には、ヒトは堤に沿って元気よく歩き出す。その速さは川の流れより速い。
人生も半ばとなると歩く速度は低下してくる。その速さは川の流れと同じくらいである。
人生の後半ともなると、歩く速度は、一層低下してくる。速さはいつの間にか川の流れのほうが速くなっている。
そのうち、人は遥か後方に取り残されてしまう。そして遂に立ち止まり、永久に横たわる。
その間も、川はずっと容赦なく流れ続けている。川は実際には、流れの速さは変化していない。
ところが人は年を取るにつれて、歩く速度が遅くなってくる。そのため、川の流れが速くなったかの如く感ずるのである。
ブログは、最近読む(見る)ことの方が多くなってしまっている。興味深いものがたくさんあるなーと感服している。「読むことは人を豊かにする」、というからこれもブログの一つの利用方法といってもいいだろう。
「書くことは人を確かにする」というから書くことも同じく重要だけど。
ついでにいえばこのカッコで括った部分はフランシス・ベーコンの言葉で、正確には
「読むことは人を豊かにし、話すことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする。」である。
ブログの文章を読むことや、手書きでなく、打ち込むといった感じで作成される文章にどこまで適用できるのかよく分らないが。全く当てはまらないということはないだろう。
違うのは時代だけで、十分当てはまっている可能性だってあるワケだし。
日記は実はつけているが、どれを公開してよいものやら分らない。何故こんなに気にするのだろう、と自分でも不思議である。
この文章は今書いてるものだけどね。
文体を変えたりしたのも書いてアップしたいと考えてはいる。昔フライデーに掲載されていた「番長日記」の口調で書くとかね。^^
今書いてるのも日記なんだし、も少し自由に書いて、試していいハズだが。まあいい。
それと、写真などはどうやってアップするのだろうか。方法がよく分らない。分ったとしても私がアップする写真はそう多くないだろう。が、その方法を知っておきたいとは思う。
・・・、少し疲れてきてしまった・・・。書いてる時間は左程でもないので、この疲れはその前に他のブログを見ていたことによるものと思われる。
文の結び方もなかなか難しいものだ。しかし、ブログの場合は尻切れトンボでもまあイイだろう。それにしては文体が固いような感じもするが・・・。
時には少なく、時には大量に、またある時は、何回もアップする。・・・そういう感じにしたいものだが・・・。
NHKの「みんなのうた」でタモリが歌唱担当(つまり歌っているのはタモリ)の曲が流されたことがある。
曲名は、「ミスターシンセサイザー」
愉快なミスターシンセサイザー・・・という言葉で歌い終わる。