昨日の日記に質問があったので
答えておきます。
> はじめまして。3DCGに携わるものの一人です。
> いつも楽しみに読ませていただいてます。
>
> > 1作1作確実に課題を克服して
> > 精度をしっかり上げて今の位置まで来ている。
> > ボクはその進化していく
> > 方向がぶれていないことに
> > 脅威を感じる。
>
> ここについて「なるほど!」と思ったのですが、なぜアメリカ映画の作品は方向性がぶれることなく進化し続けることができているのでしょうか?
> 日本の制作現場と、アメリカとでアプローチの仕方に違いがあるのでしょうか?
>
> PONさんの見解を聞かせていただけると嬉しいです。
> よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
この件に関しては3DCGが専門ではないので100%
正解という答えを出せないと思います。
私はこう考えます。
まずピクサ―を代表とするアメリカは
圧倒的に資金があり、常時次から次へと
仕事がある。受け皿がしっかりしているから
若い才能も集まる。
資金があるということはCGで問題だった
肌の質感、髪の質感、メタモなどの挑戦など
モンスターズインク、Mrインクレディブル、etcで
次々と「CGでここまでできるんだ・・」
という成果を売りに成功していったと思う。
常時仕事が発生しているから、
その時点でクリヤできたスキルは
生かしつつ次の作品の課題は何か?
それをクリヤするためには何が必要か、
ピンポイントでプラスしていく。
今までのスキルをちゃんとためて
生かしていることが明白だ。
ピクサ―でも、ドリームワークスでも
古い順に想像してみてください。
確実に進化してるのがわかる。
10年、20年単位での
しっかりした戦力を感じる。
ラプンツェルがいままでの軌跡を
受け継ぎ、最高のスキルであることが
見れば一目瞭然なんだ。
歴代の作品群を考えて見てください。
まず人形、動物、子供、老人・・・
と描きやすい対象から少しづつ
クリヤしていき、最終形の
「大人の人間」をできるだけ避けて
く創ってきた。
今回はその「大人の人間」を真っ向勝負で
しかも心の機微をしっかり
演技と表情で描ききっている。
感心するのは視線の違和感のなさ。
対象物をちゃんと見ていない視線が
多かった。今回の
「ラプンツェル」ほどくるくると感情が
変化して愛らしいキャラクターははじめてだ。
それほどキャラクターに存在感があり
臨場感があった。しかも現代の観客に
対して白けないように、
リアルなキャラクターとして工夫がある。
共感できるように等身大の19歳として
描いている。
ボクがぶれていないと言っているもの。
それはディズニーの伝統的な
2Dのアニメーションスキルだ。
ピクサ―のラスターがオールドディズニー
をリスペクトしており、
3DCGにおける「命」を2Dアニメーションに
目標に置いているためにゴールが
はっきり見えているのだ。
TVアニメが日本で独特な道を歩んできて
枚数制限のために演技をおろそかにして来たツケが
今の日本のアニメの危機だと思う。
ストーリー、演出、カメラワークは
洗練されすぎていったん壊して構築
する必要があるくらいかもしれない。
反面演技をずっとおろそかにしていた。
それは2Dアニメで枚数をかけるということが
作品成立の足かせになっていたから。
日本の3DCGの始まりは
「ファイナルファンファジー」だった。
視線も定まらず、演技らしい演技もできず、
退屈な作品だった。
スタート時点から戦略と呼べるものはなかった。
それが現在も行き当たりばったりということ。
日本独特の3DCGアニメを発展させていく!
とみんな言うがそう簡単じゃない。
できれば恒常的にチームとして
技術、などの蓄積と応用、トライ&エラー
ができるようにならないと難しいだろう。
それと2Dアニメーションスキルを持った人を
スポイルするのではなく互いに尊敬しながら
作っていく必要があると思う。
ラセターが行ったように。
なぜか日本では3DCGに2Dアニメーターが
関わる機会が少ない。2Dアニメ関係者と
3Dアニメ関係者がもっと交流していいと思う。
よく聞くのはお金がないから2Dアニメーター
の指導を受ける余裕がないと。
2Dアニメ関係者はもっと3DCGの可能性を
信じていかないとどちらも不幸なことになる。
どちらも必要なことでうまく
融合できたものが今後の3DCGアニメーション
を創っていくと思う。
答えになっただろうか?
まだまだ考えられることはたくさんあるのだけど、
うまくまとめられない。
答えておきます。
> はじめまして。3DCGに携わるものの一人です。
> いつも楽しみに読ませていただいてます。
>
> > 1作1作確実に課題を克服して
> > 精度をしっかり上げて今の位置まで来ている。
> > ボクはその進化していく
> > 方向がぶれていないことに
> > 脅威を感じる。
>
> ここについて「なるほど!」と思ったのですが、なぜアメリカ映画の作品は方向性がぶれることなく進化し続けることができているのでしょうか?
> 日本の制作現場と、アメリカとでアプローチの仕方に違いがあるのでしょうか?
>
> PONさんの見解を聞かせていただけると嬉しいです。
> よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
この件に関しては3DCGが専門ではないので100%
正解という答えを出せないと思います。
私はこう考えます。
まずピクサ―を代表とするアメリカは
圧倒的に資金があり、常時次から次へと
仕事がある。受け皿がしっかりしているから
若い才能も集まる。
資金があるということはCGで問題だった
肌の質感、髪の質感、メタモなどの挑戦など
モンスターズインク、Mrインクレディブル、etcで
次々と「CGでここまでできるんだ・・」
という成果を売りに成功していったと思う。
常時仕事が発生しているから、
その時点でクリヤできたスキルは
生かしつつ次の作品の課題は何か?
それをクリヤするためには何が必要か、
ピンポイントでプラスしていく。
今までのスキルをちゃんとためて
生かしていることが明白だ。
ピクサ―でも、ドリームワークスでも
古い順に想像してみてください。
確実に進化してるのがわかる。
10年、20年単位での
しっかりした戦力を感じる。
ラプンツェルがいままでの軌跡を
受け継ぎ、最高のスキルであることが
見れば一目瞭然なんだ。
歴代の作品群を考えて見てください。
まず人形、動物、子供、老人・・・
と描きやすい対象から少しづつ
クリヤしていき、最終形の
「大人の人間」をできるだけ避けて
く創ってきた。
今回はその「大人の人間」を真っ向勝負で
しかも心の機微をしっかり
演技と表情で描ききっている。
感心するのは視線の違和感のなさ。
対象物をちゃんと見ていない視線が
多かった。今回の
「ラプンツェル」ほどくるくると感情が
変化して愛らしいキャラクターははじめてだ。
それほどキャラクターに存在感があり
臨場感があった。しかも現代の観客に
対して白けないように、
リアルなキャラクターとして工夫がある。
共感できるように等身大の19歳として
描いている。
ボクがぶれていないと言っているもの。
それはディズニーの伝統的な
2Dのアニメーションスキルだ。
ピクサ―のラスターがオールドディズニー
をリスペクトしており、
3DCGにおける「命」を2Dアニメーションに
目標に置いているためにゴールが
はっきり見えているのだ。
TVアニメが日本で独特な道を歩んできて
枚数制限のために演技をおろそかにして来たツケが
今の日本のアニメの危機だと思う。
ストーリー、演出、カメラワークは
洗練されすぎていったん壊して構築
する必要があるくらいかもしれない。
反面演技をずっとおろそかにしていた。
それは2Dアニメで枚数をかけるということが
作品成立の足かせになっていたから。
日本の3DCGの始まりは
「ファイナルファンファジー」だった。
視線も定まらず、演技らしい演技もできず、
退屈な作品だった。
スタート時点から戦略と呼べるものはなかった。
それが現在も行き当たりばったりということ。
日本独特の3DCGアニメを発展させていく!
とみんな言うがそう簡単じゃない。
できれば恒常的にチームとして
技術、などの蓄積と応用、トライ&エラー
ができるようにならないと難しいだろう。
それと2Dアニメーションスキルを持った人を
スポイルするのではなく互いに尊敬しながら
作っていく必要があると思う。
ラセターが行ったように。
なぜか日本では3DCGに2Dアニメーターが
関わる機会が少ない。2Dアニメ関係者と
3Dアニメ関係者がもっと交流していいと思う。
よく聞くのはお金がないから2Dアニメーター
の指導を受ける余裕がないと。
2Dアニメ関係者はもっと3DCGの可能性を
信じていかないとどちらも不幸なことになる。
どちらも必要なことでうまく
融合できたものが今後の3DCGアニメーション
を創っていくと思う。
答えになっただろうか?
まだまだ考えられることはたくさんあるのだけど、
うまくまとめられない。