自分を責めていることの理由を手放してみる その①は

クレーム相談の仕事を全うできなかったこと。


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ネガティブなことって
ブログとかで発信しないほうがよい、

ってよく言われているけれど


これも含めて全部わたし!


て、自分を責めてることもそろそろ認めてあげようと、

少しずつ、溜めてきた想いを公開しています。


また、いま同じように

クレーム対応で悩んでる方へ
手放しをしてみようと思っている方へ
バセドウ病の初期症状で不安な方へ

このブログが何かしらの一助となりますように。


ご興味のある方はお付き合いください



〜〜前回からの続き〜〜

自分に合わないと思いつつ
クレーム対応の仕事を続けた結果、
心身ともに病んでしまい、
ついには職場で倒れてしまったわたし。
それと時を同じくして、
別のことでも心が病んでいきました。

それは、
息子の野球チーム内での、
親同士ののいざこざでした。

まず、父親同士の飲み会で、
わたしの夫が吊しあげに合ったのです。

うちの夫が監督の悪口を言ってると、
根も葉もないことを他の親が監督の耳に入れ、
それを事実と思った監督が激怒し、夫は監督の前で土下座させられました。

また、我が家は真剣な思いで野球に取り組んでいたので、
上手くなるため、
ケガをしないフォームを身につけるためには、
激しい練習も厳しい叱責も当然のことと思ってましたが、
野球チームにはいろんな人が集まります。
当然考えの違う親もいて、
野球を習い事のひとつと考えていて、
こどもが楽しく過ごせるように
野球にレクリエーション的な要素を求めている親から、
当時コーチを努めていた夫に対し、
わたしの夫と息子がチームにいると、
子供がこわがって野球に行きたがらないと言われたのです。
でも実際そんなことはなく、
その息子さんは楽しそうにうちの夫の指導を受けていたし、むしろ懐いているくらいで
息子とも仲良くやっていました。

これは何か裏がある、、、

と勘ぐっていたら、

わたし達と同じ考えで、
味方をしてくれていたチームの他の親御さんから聞いたところによると

うちの息子と同学年の親が、
どうも裏で手ぐすねを引いていたようなのです。


同学年は三人しかいなく、
三人のうちからキャプテンを決めることになったのですが、
例年一番上手な子がキャプテンになり、
そしてその父がコーチ、
母は代表になる決まりがありました。

手前味噌ですが、
我が息子は持ち前の運動神経と、
幼い頃から夫に鍛えられた技術とで、
野球では一番難しい守備のショートを守らせてもらっていたので
息子にキャプテンの白羽の矢が立ちました。

それを良く思わなかった同学年の子の両親。
父はコーチになりたかったし、
母は代表をやりたかったようなのです。

夫だけでなく、わたしも連絡用のグループLINEで
その母にまだ決まってもいないスケジュールや
場所のことを執拗に聞かれたり
あるいは無視されたりするようになりました。

仕事のことと相まって、野球チームのことも絡んできて
ほんとにメンタルは崩壊寸前でした。

いえ、もう崩壊してたのでしょうね。
わたしは、チームの母達の前で、

どんな風に話し、
どんな風に接し、
どんな表情をしたら良いか、、、

完全にわからなくなったのです。

今までの人付き合いのなかで、経験のない感覚でした。
自分を、どう表現したらいいのか分からず、
意識が宙に浮かんでいるような気がしました。

そのうち、

悪口を言われてるのかも、、、
嫌われてるのかも、、、
彼女がわたしの悪口を広めてるかも、、、


そればかりが気になるようになってしまったのです。

しばらくして我々は
方針の合わないチームにいても仕方ないと考え
もっと野球に真剣に取り組んでいるチームに
移籍することを決断しました。

この件では火事場から離れられたので、
わたしのメンタルはいったん治まりましたが、

次のチームでも、

悪口を言われてるかもしれない
嫌われてるのかもしれない

というトラウマだけが残りました。 

集団から無視される
悪口を言われる恐ろしさ。

身震いするほどの孤独感と恐怖心を
また何度か味わいました。


これらのことを経験して
心理学に関することなどを学び
少しずつ回復してきた今なら、

人はひと
自分はじぶん

と、線引ひすることができます。
(と、頭ではわかっていても、
まだ本心からそう思えないことを認めます)

そしてここまで語ってきて
心の中をさらけ出して気づいたのは
やっぱり心の根っこにあるもの、それは


悪口を言われてるかもしれない
嫌われてるのかもしれない

これなんですね。


クレームの仕事においても、
自分は悪くないのに責め立てられて
自分ごと以上に捉えてしまって

人はひと
自分はじぶん

この住み分けがまるでできていなかった。


次の野球チームでも、息子の活躍を妬んで
裏で操作してる人物がまた現れましたが

(わたし達があとから入って
立場的に弱かったこともあったから
妬みの対象にされてしまったということは否めません。
いじめというものは
多少なりとも弱みのある側が対象になると
最近読んだ文に書いてあり、
この時の状況をそれに当てはめると、
確かにそうだなと頷かざるを得ません)

それは妬むほうが悪いのであって
妬まれる側は堂々としていれば良かった。

人はひと
自分はじぶん

と割り切って堂々としていれば
どれだけ心が楽だったことか。

ただ不思議なもので、
妬む側の人ってそれだけのパワーがみなぎっているので
周囲から嫌われないんですよね。
どちらかというと、
周囲から気を使われて、おだてあげられてる図式がありました。
一方こちらはその人からは無視され陰口をたたかれ、
大勢のなかでの孤独を味わい、、、
その当時は血の気が引くほどの恐怖を感じました。

でも今になってよくよく考えてみたらそれってすごく滑稽。
おだてられてることに気づかず傲慢になって
恐怖でしか人を操ることができず
本当の信頼を他者から得ることができないなんて、
可哀そうな人だな、て思います。


そういわれてみると、、、

わたしが恐怖を感じてやたら気を使ってしまう人、
今も何人かいますが
なんだかみんなタイプが似てます。

悪口を悪口と思わず
人に聞こえるように思ったことを発言するタイプ。

確かに、悪口ではないのかも知れませんが
受け取る側によっては悪口になってしまうもの。
わたしのような心のクセがあると
つい悪口だと受け取ってしまうんですね。。。
(でも、ほんとの悪口も含まれてることもあるんです、、、)


でも待って。

そうやって、悪口や不満を口に出して聞こえるように言ってしまうのって、、、

それこそ、

人はひと
自分はじぶん

の住み分けが、その人こそできてないのではないでしょうか?

何か自分と考えや行動が違うことがあると

「あのひとなんなの?」

と、こそこそ話す声が聞こえてくるようなきがします。


我が家がその人とは違った選択をした時。
その人よりも特異能力を発揮した時。
あるいは、その人とは違った方法で問題を解決しようとした時。


そんなようなときに

「あれなんなの?」

と聞こえてくるような気がします。

でもって、こちらも住み分けができてないので(笑)

なにか違ったことをすると非難される
→攻撃が怖い→また無視されるのか?

といった方程式が出来上がり
ついついその人らに気を使って合わせてみたり
言葉を選んでしまったり、、、
負のループになるのかも知れません。

でもそれって
こちらが勝手に恐怖心を抱いてしまうだけで
当事者はきっと何とも思わず発言してるんですよね。

やはり、住み分けの訓練がこれからも必要なようです。



クレームのお仕事の話しからは逸脱しましたが

要は、
クレーマーも恐怖心で支配しようとするので
わたしが苦手なタイプの人たちと同じなのかも知れません。

クレームが起こったのは自分のせいではない
怒っている人は私に怒っているのではない

この住み分けができていたら
きっとこの仕事も全うできたのかも。

とは言いつつ、
このときのわたしはそれをすること自体無理だった。

そういった教えも心構えもないまま
業務についてしまったということも
一因だったかも知れません。

仕事の内容、問い合わせ内容については少しばかり研修がありましたが

クレーマーに対する心構え
心のケア

これらにつては何も事前のレクチャーが無かったことも事実です。

もともと、愚痴を聞いたりするのも苦手なわたし。

それがわかっていながらこの仕事を引き受けてしまったのも事実。

事務作業のように
慣れればシステムが使えるようになるとか
慣れれば仕事の流れに沿って進められるとか

クレーマーに慣れたらできるような仕事ではなかったんです。

やはり、元々のわたしの心の構造の問題であって
鍛えられたらうまくできるようなものではなかったんです。

カウンセラーの先生がこんなことを言っていました。

人にはみんな心の壁があって
それが薄いひと、厚いひとがそれぞれいて
でもそれは厚いからいいとか
薄いからだめというわけではないのよ。
よほどのメンタル力があれば、鍛えれば厚くなる可能性もあるけれど
それには相当な努力が必要。
もともと持ってるものだから、簡単には厚くならないの。
あなたの場合は壁が薄いから、
文句や悪口を受け止めきれないのよ。


その当時は、
そんなことはない。
あと少し、あと少し慣れればできるようになる、、、

そう思って続けようとしてしまいました。
それが、心身ともに病んでしまったり
仕事を全うできなかった悔いとして残ったり
自分を責めるてる理由として
いつまでも残ってしまっている原因なのかも知れません。

仕事は全うするべき
任命されたからにはやるべき

この「べき」に翻弄されて
わたしの心の壁の薄さを考えたら
慣れるわけがないのに
いつまでもしがみついてしまった。

もっと早く、手放してしまえば良かったんですね。

ここまで告白してきて
やっと少し、自分を許せた気がします。




さて、話を休職した出来事に戻します。

一ヶ月も休むと、バセドウ病の薬が効いてきて、
つらかった身体の全ての症状が嘘のように収まりました。

わたしの場合は、手術を受けて甲状腺を切除するほどではなく
薬でコントロールが効くタイプのようだったのです。
よくバセドウ病になると目が飛び出る症状があるといいますが
わたしの場合それもなく、見た目にはバセドウ病であるとわかりません。
ただ、薬の副作用で太ってしまったのと
(症状が出てるうちは激ヤセするので、
太ったのは症状が治まったともいえますね)
髪が抜けて、ほわほわの前髪になったということはありました。
が、症状がほんとに治まった今は
薬の服用を減らしているので副作用も治まりました。
(でも今度は別の問題、、、
更年期で肥えていってます(^_^;)

病気の症状は治まりましたが
だからといってまたあの仕事に戻れるのか、、、
別の職場を用意してくれるのか、、、?


復職する前に、人事部との話し合いが始まりました。

そこでは人事担当から心ないことを言われ
今度は会社への不信感を募らせるようになっていったのです。

つづく