自分を責め続けている理由を手放してみる

クレーム対応編途中で更新がすっかり途切れていました。

久しぶりに続きを書いてみようと思います。



その前に、なぜ更新が途切れたかというと、、、



今の仕事をまだ続ける気になったから。



手放しを始めていたおかげで

今の仕事をイヤイヤやってる自分を完全ではないけれど許せるようになり

同時に仕事を全うできなかった過去の情けない自分も薄れてきて、

続きを書かなくても落ち着いていられるようになったみたいなんです。


でも、残念ながら派遣から正社員への切り替えは失敗に終わりました。


会社側から一般の人と同じように入社試験を命ぜられ

人事との二次面接で正社員は不採用。


契約社員もだめ、その前の段階の時間給のアルバイトなら直雇用で採用します、との結果でした。


契約社員もダメでアルバイト。



アルバイトって、、、?



その結果が腑に落ちず

派遣会社の営業さんを通じて何度も人事と話し合いを重ねましたが、、、


アルバイト採用というのは一歩も譲ってくれず

アルバイトとして働きながらまた正社員の試験を受けて欲しい

でなければ無期雇用派遣でとの結果になり


営業さんも、長らく功労してるのにアルバイトはない、あなたならいくらでも派遣先はすぐ見つかりますよ!

と言ってくださり


わたしもいくらなんでもアルバイトは無いよな〜と思い

(アルバイトなのにやることは正社員といっしょで、研修とかイベントとかに積極的に参加しないと直雇用として認められない社風、、、)


また、家庭の事情で今の環境を変えたくないということもあって

結局無期雇用の派遣を選びました。


営業さんも会社側に脅しをかけてくれてw

時給もかなりアップしたし、生活環境維持を優先で今回はステイとなりました。



でも、なんだか前より気楽です。


仕事を振られても派遣だからそこまでは踏み入れないよ、とハッキリ断ることもできるようになったし

古参の先輩との話し合いも、なんなら上長とのミーティングで自分の立場からの意見もしっかり言えるようになったし。



ほんとはほんとは


直雇用はお休みの面とかそりゃ魅力的でしたが


でもほんとのほんとは


この会社とこの仕事にこれ以上魂を注入できないと心の奥底の本音では思っていたので 派遣のままでいることに本音との齟齬がないので、心が健やかなんだと思います。


今は生活を変えないことが優先。

(実際ここまでやってみて、仕事が変わったり今の95%在宅勤務から出勤メインの仕事に変わってたりしたら、心身もちませんでしたー)


あとは別の環境が整って、また友達メインでもネイルで左脳を喜ばせてあげられたら

より心身ともに健やかになるかなー、なんて思います。


そりゃ、バリバリ仕事してた時もあったから、またやってみたい気持ちもするけれど


人生にはステージってものがあるのかなと、最近思うようになってきて。


一般の会社でいったら、そろそろ役職定年の歳ですからね。

これからは家族を支える生き方、穏やかな生き方を選んでもいいのかな〜、なんて思います。




さて、休職から復帰して6ヶ月

またメンタルがやられてしまい半年を目処に辞める決断をした私はどうなったかというと、、、、


現在、


クレーム対応の仕事を全うできなかった自分

を赦し、手放しをしている途中ですが


少しずつその効果が表れているのか、

慣れない異業界で自分を出せるようになってきたと

前回のブログの冒頭で書きました。


自分の気持ちに変化があるってすごいことで

苦手で嫌われていると思ってた先輩達と

仕事の話し合いをしたり

雑談も頻繁にするようになって


ああ、嫌われてたと思ってたのは

自分がこの仕事も先輩のことも

受け入れてなかったからなんだ、、、


と気付いたのです。


この業界とも人とも縁なんてない

素通りなだけ。


好きでもない業界で働く自分を卑下していたので、そう自分で決めつけてたんですね。


自分が受け入れてなかったことに気付き

少しその受け皿を大きくしてみたら

仕事の進みもスムーズになり

イヤイヤだったこの業界のことも認められるようになってきて

この環境なら、まだこの仕事を続けられるかも?

と思うようになりました。


そしたら、そこから変化のスピードはほんとに早くて

派遣社員から正社員へのオファーがありました!


田宮さんのブログでもよくお話されているように

脳のマイナス回路がどんなに長いこと続いたとしても

褒め回路(わたしの場合、許しの回路ですが)に切り替えるとその効果はほんとに早いものなんですね。


クレームの仕事で泣いてた自分を

恥ずかしいとか悔しいとか思ってきましたが

手放しのおかげで、それも自分の一部と認められるようになったと思います。


まだ結末まで書き上がってないので

続きはまた来年ぼちぼち。


それと、ほんとは仕事以外にも手放さなきゃいけない過去があり、、、

でも、大切な想い出でもあるので、手放しちゃいけないとか

いろんな葛藤がありますが


クレーム対応の仕事を手放せたら

そっちの話もしていけそうです。





突然始まった手放しのお話、

お付き合い頂きましてありがとうございました。


取り急ぎ、手放し効果の中間報告でした☆



自分を責めていることの理由を手放してみる その①は


クレーム相談の仕事を全うできなかったこと。


 前回までと、それまでの回へのリンクはコチラ


この手放しのシリーズをたくさんの方に読んでいただけているようで

微々たるものですが何かしらの一助になってることを嬉しく感じます。

とは言っても
ネガティブなことを発信しているわけなので心苦しさが伴いますが

おかげさまで
少しずつ手放しが出来てきているようで

クレーム対応がうまくできなかったことへの自責の想いはだいぶ薄れてきました。


当時自分を責めていたこと、
クレーム対応ができなかったこと
そのせいで長年勤めた会社を辞めたこと
またその流れで
生活のために好きでもない業界の仕事をしてる情けない自分

そんな自分を少しですが
許すことが出来てきたように想えてきたんです。


と同時に
馴染めなかった異業界の今の職場で
本来の自分を出せるようになってきて、楽になったことも感じています。


いま同じように
手放しをしてみようと思っている方へ

このブログがさらに何かしらの一助となりますように。


ご興味のある方はお付き合いください。



〜〜〜ここから前回の続き〜〜〜

かくして、クレーム対応の仕事が再開しました。

とは言っても、一応部内での配慮があり
電話対応はなく、仕事はメールでの問い合わせ対応のみでした。

が、メール振り分け担当のおじさまが
わたしに依頼してきたメールの件数は20件。
普段はその数を課員5名に振り分けるのですが。

ひとりで20件。

電話でも1日に対応する件数はそこまで多くないのに。
おじさま、いつも電話で10件も対応してないのに、、、

さすがに言いました。

メール20件って、電話の対応件数と比べて、どうなんですか?

そしたらおじさま、

んじゃ、今日は16件ね。
これで打ち止め。

わたし:
いや、、、いいですよ
わたし、電話出れないので20件やりますよ。

おじさま:
んじゃ、追加の2件もお願いね。


久しぶりに出社して、いきなりこれにはブチギレましたw
でも、メンタル弱ってるのに
怒りの感情はきちんと芽生えるのって不思議です。

しかしながら、電話に出れないのは事実。
もくもくとメールの対応をしましたが

鳴り続ける電話、、、
誰もでない、、、

おかげで2本ほど電話対応もするはめに。

ほんとなら電話に出なくても良かったんですが

この年で最年少、わたしが電話対応しなくちゃ。
お客様を待たせてはいけない。

そんな思いからついつい対応してしまいました。。

この、

「ねばならい」
「するべきだ」

が自分のなかで発動してたから
電話に出てしまったんですね、このとき。

この「ねば」「べき」を開放しないと
自分軸で生きることはできない、って
最近よく見聞きするようになって、
それにとらわれないような気持ちの持ち方を学んでるところなのですが
この時は、それにまだ気づいていませんでした。

もちろん電話に出ることが仕事なので
電話にはでなくちゃいけないんですが
休職明けなんですもん。
もっと自分を労って、ゆっくり慣らしていけばよかった。

が、
やはりメンタルが落ち着いてなかったのか
半ば自虐的に電話に出たのを覚えています。

これでまた倒れたりしたら、
今度こそ会社を辞める決断ができる。
と、ほのかに期待している自分もいたのですが
どうしてもこの仕事に慣れない、全うできない自分が、それを打ち消してました。
全うできてないわたしの中のわたしは、それを隠すように平気なふりをして、電話対応を続けていったのです。

そんな調子で半年ほど過ごしていたころ
ある日、また電話でクレームを受け、

はい。誠に申し訳ございません。。。

と答えたら、

はい、じゃない!!
申し訳ないじゃない!
なんで配信メールを止められないのよー!!

といきなり激昂され

やっぱりうまく対応できない自分、、、
こんな自分はいやだ、、、
ただただ不満をぶつけられる日々。
なんでこんな仕事続けなきゃならないのか、、、

いろんな感情が混ざり合って
さすがにもう、その日はデスクで泣きました。
精神崩壊して、人前で泣くことの羞恥心も忘れてました。

ただただ、もうこの仕事がつらい。
もうできないのに代われない。

休職明け、初の泣きでした。

このままでは仕事を続けられないので
医務室に行ってしばらく休みましたが
休んでいられるのも1時間まで。
それ以上は職場にもどるか、帰宅するか
どちらかを選ばないといけない、とのとこ。

もちろん帰宅しましたが

帰宅するには荷物を取りに一度職場に戻らなければなりません。

一番歳の近い同僚が気遣って通用口まで送ってくれましたが

ここまで精神状態が悪いわたしを見ても
その後、会社、上司からは相変わらず異動の提案はありません。

また職場で体調不良になるようなことがあったら辞める。
そう決断して復職したわたし。

このとき、半年後を目処に辞める決意をしました。

つづく




自分を責めていることの理由を手放してみる その①は

クレーム相談の仕事を全うできなかったこと。


前回はコチラ
(これまでの回のリンクあり) 




ネガティブなことって
ブログとかで発信しないほうがよい、

ってよく言われているけれど


これも含めて全部わたし!


て、自分を責めてることもそろそろ認めてあげようと、

少しずつ、溜めてきた想いを公開しています。


また、いま同じように

クレーム対応で悩んでる方へ
手放しをしてみようと思っている方へ
バセドウ病の初期症状で不安な方へ

このブログが何かしらの一助となりますように。


ご興味のある方はお付き合いください



〜〜前回からの続き〜〜

自分に合わないと思いつつ
クレーム対応の仕事を続けた結果、
心身ともに病んでしまい、
ついには職場で倒れてバセドウ病を発症してしまったわたし。
それと時を同じくして、
息子の野球チームでの問題を抱え、
人とどのように接したら良いのか
全く分からなくなりました。
バセドウ病と適応障害で3ヶ月の休職を経たあと、
会社人事部との復職面談が始まりました。



休職前の産業医との面談で
「どんな仕事なら続けられると思いますか?」
と聞かれていました。

今の部署で心身共に病んでしまったので、
以前勤めていた内勤の仕事ならできます、
と答えていました。
元のところに戻ったら、
また適応障害になるのは必然です。

産業医もそれを分かってるのね。
さすがだな。

と、その時は思いました。

当時の上司も、管轄する他の部署への異動ができるかも、と言っていたので
少し安心して復職の面談に臨んだのでした。

が、面談の内容は全く異なるものでした、、、


契約の形態上、元の部署に戻るしかない。
戻れないなら辞めるしかない。

と、人事から通達されたのです。

わたしも、必死で抵抗します。

産業医からどんな仕事なら続けられるか聞かれてます。
上司の◯さんから、異動できるかもとも言われてます。

人事担当はこう返しました。

産業医は人事権がないので、単なるアンケートだったんじゃないのかなぁ、、、

同席していた上司の◯さんも言い訳です。

契約の関係で、元の部署に戻らなくちゃいけないみたいなんだよね。


間違った発言をしたことへの謝罪もありません。


そんな、、、
またあの仕事でまた毎日怯えながら過ごすしかないなんて、、、

わたしの心身の状況をわかってもらうため
もちろん、診断書も出してますが
病状についての説明を口頭でもしました。



クレーマーの対応は、この診断書からもわかるように精神的にもう無理なんです。
バセドウ病はストレスから発症することもある病気なんです。


つらかったことを思い出し、説明中に涙が溢れ出しました。

人事担当は泣いてるわたしを変な人でも見るような眼差しで見て、
さらにこう言いました。


今はうつ病のいい薬もあるから。
飲みながら仕事してる人もいるよ?
診療内科にいってうつの薬をもらったら?


わたしはうつ病ではないのに。
この仕事が心情的にできないと訴えているだけなのに。

ついに決定打を言われました。


基本は元の部署に戻るしかない。
それができないなら、そうゆうこと(辞めること)も含めて、家族と相談してください。


、、、、なんだか今まで見聞きしたやり取りです。

これって、希望退職(とは名ばかりのリストラ)の
マニュアルに沿った面談の流れなのでは??

会社の経営状態はとても悪く、すでに2回のリストラを行っている状況でした。
これで人を減らせるのなら、辞めてほしいというのが人事の本音だったのでしょう。

悲しいとゆうよりも、悔しくて仕方ありませんでした。


人事担当はこうも言いました。

一昨年の会社のイベントで会った時はあんなに笑顔だったのに。
今はどうしたの?


だから、、、
仕事が合わなくて精神的に病んだということを、まだ認めないのでしょうか、、、

まったくわたしの訴えは、受け入れる様子もありませんでした。


人事との面談のあと
日をおいて人事立ち会いのもとで産業医との面談がまたありました。

少し会話をした後、
精神状態も落ち着いているようなので、お仕事への復帰はできますね。

という答えが出ました。

元の部署に戻ったら、またつらい日々なのに、、、
ほんとに、産業医の役割っていったい何なのでしょうか?
あくまでも人事権がないので、この方はこの仕事は無理そうなので、異動させてあげてください、なんて助言は一切ありません。
ただ、なにかしらの仕事ができる状態ではある。
という判断をしただけでした。

ここで辞める選択もできたかも知れませんが
当時は夫が転載してばかりでお給料も低く、私が働くしかありませんでした。

それに人事の冷たい対応。
もしかしたらリストラされるのかという怒り。
上っ面だけの産業医の対応。

言ってることはわかります。
会社の決まり、産業医のきまりとして
彼らも仕事をしているのですから。


わたしは、色んなことをひっくるめて考え、
元の仕事にまたチャレンジするという答えを出しました。

でも、今回は期限付きで。

また同じようにメンタルが耐えられなくなったら今度こそ辞める。


そう決断して復職したのでした。

つづく





自分を責めていることの理由を手放してみる その①は

クレーム相談の仕事を全うできなかったこと。


初回はコチラ


2回目はコチラ


3回目はコチラ


4回目はコチラ
 




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これも含めて全部わたし!


て、自分を責めてることもそろそろ認めてあげようと、

少しずつ、溜めてきた想いを公開しています。


また、いま同じように

クレーム対応で悩んでる方へ
手放しをしてみようと思っている方へ
バセドウ病の初期症状で不安な方へ

このブログが何かしらの一助となりますように。


ご興味のある方はお付き合いください



〜〜前回からの続き〜〜

自分に合わないと思いつつ
クレーム対応の仕事を続けた結果、
心身ともに病んでしまい、
ついには職場で倒れてしまったわたし。
それと時を同じくして、
別のことでも心が病んでいきました。

それは、
息子の野球チーム内での、
親同士ののいざこざでした。

まず、父親同士の飲み会で、
わたしの夫が吊しあげに合ったのです。

うちの夫が監督の悪口を言ってると、
根も葉もないことを他の親が監督の耳に入れ、
それを事実と思った監督が激怒し、夫は監督の前で土下座させられました。

また、我が家は真剣な思いで野球に取り組んでいたので、
上手くなるため、
ケガをしないフォームを身につけるためには、
激しい練習も厳しい叱責も当然のことと思ってましたが、
野球チームにはいろんな人が集まります。
当然考えの違う親もいて、
野球を習い事のひとつと考えていて、
こどもが楽しく過ごせるように
野球にレクリエーション的な要素を求めている親から、
当時コーチを努めていた夫に対し、
わたしの夫と息子がチームにいると、
子供がこわがって野球に行きたがらないと言われたのです。
でも実際そんなことはなく、
その息子さんは楽しそうにうちの夫の指導を受けていたし、むしろ懐いているくらいで
息子とも仲良くやっていました。

これは何か裏がある、、、

と勘ぐっていたら、

わたし達と同じ考えで、
味方をしてくれていたチームの他の親御さんから聞いたところによると

うちの息子と同学年の親が、
どうも裏で手ぐすねを引いていたようなのです。


同学年は三人しかいなく、
三人のうちからキャプテンを決めることになったのですが、
例年一番上手な子がキャプテンになり、
そしてその父がコーチ、
母は代表になる決まりがありました。

手前味噌ですが、
我が息子は持ち前の運動神経と、
幼い頃から夫に鍛えられた技術とで、
野球では一番難しい守備のショートを守らせてもらっていたので
息子にキャプテンの白羽の矢が立ちました。

それを良く思わなかった同学年の子の両親。
父はコーチになりたかったし、
母は代表をやりたかったようなのです。

夫だけでなく、わたしも連絡用のグループLINEで
その母にまだ決まってもいないスケジュールや
場所のことを執拗に聞かれたり
あるいは無視されたりするようになりました。

仕事のことと相まって、野球チームのことも絡んできて
ほんとにメンタルは崩壊寸前でした。

いえ、もう崩壊してたのでしょうね。
わたしは、チームの母達の前で、

どんな風に話し、
どんな風に接し、
どんな表情をしたら良いか、、、

完全にわからなくなったのです。

今までの人付き合いのなかで、経験のない感覚でした。
自分を、どう表現したらいいのか分からず、
意識が宙に浮かんでいるような気がしました。

そのうち、

悪口を言われてるのかも、、、
嫌われてるのかも、、、
彼女がわたしの悪口を広めてるかも、、、


そればかりが気になるようになってしまったのです。

しばらくして我々は
方針の合わないチームにいても仕方ないと考え
もっと野球に真剣に取り組んでいるチームに
移籍することを決断しました。

この件では火事場から離れられたので、
わたしのメンタルはいったん治まりましたが、

次のチームでも、

悪口を言われてるかもしれない
嫌われてるのかもしれない

というトラウマだけが残りました。 

集団から無視される
悪口を言われる恐ろしさ。

身震いするほどの孤独感と恐怖心を
また何度か味わいました。


これらのことを経験して
心理学に関することなどを学び
少しずつ回復してきた今なら、

人はひと
自分はじぶん

と、線引ひすることができます。
(と、頭ではわかっていても、
まだ本心からそう思えないことを認めます)

そしてここまで語ってきて
心の中をさらけ出して気づいたのは
やっぱり心の根っこにあるもの、それは


悪口を言われてるかもしれない
嫌われてるのかもしれない

これなんですね。


クレームの仕事においても、
自分は悪くないのに責め立てられて
自分ごと以上に捉えてしまって

人はひと
自分はじぶん

この住み分けがまるでできていなかった。


次の野球チームでも、息子の活躍を妬んで
裏で操作してる人物がまた現れましたが

(わたし達があとから入って
立場的に弱かったこともあったから
妬みの対象にされてしまったということは否めません。
いじめというものは
多少なりとも弱みのある側が対象になると
最近読んだ文に書いてあり、
この時の状況をそれに当てはめると、
確かにそうだなと頷かざるを得ません)

それは妬むほうが悪いのであって
妬まれる側は堂々としていれば良かった。

人はひと
自分はじぶん

と割り切って堂々としていれば
どれだけ心が楽だったことか。

ただ不思議なもので、
妬む側の人ってそれだけのパワーがみなぎっているので
周囲から嫌われないんですよね。
どちらかというと、
周囲から気を使われて、おだてあげられてる図式がありました。
一方こちらはその人からは無視され陰口をたたかれ、
大勢のなかでの孤独を味わい、、、
その当時は血の気が引くほどの恐怖を感じました。

でも今になってよくよく考えてみたらそれってすごく滑稽。
おだてられてることに気づかず傲慢になって
恐怖でしか人を操ることができず
本当の信頼を他者から得ることができないなんて、
可哀そうな人だな、て思います。


そういわれてみると、、、

わたしが恐怖を感じてやたら気を使ってしまう人、
今も何人かいますが
なんだかみんなタイプが似てます。

悪口を悪口と思わず
人に聞こえるように思ったことを発言するタイプ。

確かに、悪口ではないのかも知れませんが
受け取る側によっては悪口になってしまうもの。
わたしのような心のクセがあると
つい悪口だと受け取ってしまうんですね。。。
(でも、ほんとの悪口も含まれてることもあるんです、、、)


でも待って。

そうやって、悪口や不満を口に出して聞こえるように言ってしまうのって、、、

それこそ、

人はひと
自分はじぶん

の住み分けが、その人こそできてないのではないでしょうか?

何か自分と考えや行動が違うことがあると

「あのひとなんなの?」

と、こそこそ話す声が聞こえてくるようなきがします。


我が家がその人とは違った選択をした時。
その人よりも特異能力を発揮した時。
あるいは、その人とは違った方法で問題を解決しようとした時。


そんなようなときに

「あれなんなの?」

と聞こえてくるような気がします。

でもって、こちらも住み分けができてないので(笑)

なにか違ったことをすると非難される
→攻撃が怖い→また無視されるのか?

といった方程式が出来上がり
ついついその人らに気を使って合わせてみたり
言葉を選んでしまったり、、、
負のループになるのかも知れません。

でもそれって
こちらが勝手に恐怖心を抱いてしまうだけで
当事者はきっと何とも思わず発言してるんですよね。

やはり、住み分けの訓練がこれからも必要なようです。



クレームのお仕事の話しからは逸脱しましたが

要は、
クレーマーも恐怖心で支配しようとするので
わたしが苦手なタイプの人たちと同じなのかも知れません。

クレームが起こったのは自分のせいではない
怒っている人は私に怒っているのではない

この住み分けができていたら
きっとこの仕事も全うできたのかも。

とは言いつつ、
このときのわたしはそれをすること自体無理だった。

そういった教えも心構えもないまま
業務についてしまったということも
一因だったかも知れません。

仕事の内容、問い合わせ内容については少しばかり研修がありましたが

クレーマーに対する心構え
心のケア

これらにつては何も事前のレクチャーが無かったことも事実です。

もともと、愚痴を聞いたりするのも苦手なわたし。

それがわかっていながらこの仕事を引き受けてしまったのも事実。

事務作業のように
慣れればシステムが使えるようになるとか
慣れれば仕事の流れに沿って進められるとか

クレーマーに慣れたらできるような仕事ではなかったんです。

やはり、元々のわたしの心の構造の問題であって
鍛えられたらうまくできるようなものではなかったんです。

カウンセラーの先生がこんなことを言っていました。

人にはみんな心の壁があって
それが薄いひと、厚いひとがそれぞれいて
でもそれは厚いからいいとか
薄いからだめというわけではないのよ。
よほどのメンタル力があれば、鍛えれば厚くなる可能性もあるけれど
それには相当な努力が必要。
もともと持ってるものだから、簡単には厚くならないの。
あなたの場合は壁が薄いから、
文句や悪口を受け止めきれないのよ。


その当時は、
そんなことはない。
あと少し、あと少し慣れればできるようになる、、、

そう思って続けようとしてしまいました。
それが、心身ともに病んでしまったり
仕事を全うできなかった悔いとして残ったり
自分を責めるてる理由として
いつまでも残ってしまっている原因なのかも知れません。

仕事は全うするべき
任命されたからにはやるべき

この「べき」に翻弄されて
わたしの心の壁の薄さを考えたら
慣れるわけがないのに
いつまでもしがみついてしまった。

もっと早く、手放してしまえば良かったんですね。

ここまで告白してきて
やっと少し、自分を許せた気がします。




さて、話を休職した出来事に戻します。

一ヶ月も休むと、バセドウ病の薬が効いてきて、
つらかった身体の全ての症状が嘘のように収まりました。

わたしの場合は、手術を受けて甲状腺を切除するほどではなく
薬でコントロールが効くタイプのようだったのです。
よくバセドウ病になると目が飛び出る症状があるといいますが
わたしの場合それもなく、見た目にはバセドウ病であるとわかりません。
ただ、薬の副作用で太ってしまったのと
(症状が出てるうちは激ヤセするので、
太ったのは症状が治まったともいえますね)
髪が抜けて、ほわほわの前髪になったということはありました。
が、症状がほんとに治まった今は
薬の服用を減らしているので副作用も治まりました。
(でも今度は別の問題、、、
更年期で肥えていってます(^_^;)

病気の症状は治まりましたが
だからといってまたあの仕事に戻れるのか、、、
別の職場を用意してくれるのか、、、?


復職する前に、人事部との話し合いが始まりました。

そこでは人事担当から心ないことを言われ
今度は会社への不信感を募らせるようになっていったのです。

つづく