同様の理由で、玄関のドアにこまめに鍵をかけることもなくなりました。
台所に二つ並んでいたご飯皿はいつの間にか一つになって、通院に使っていたキャリーバッグは物置の中に片付けられました。
朝、時間のないときに「なでて!なでて!」とつきまとわれることもなければ、部屋のドアを「開けて」とカシカシと引っかく音も聞こえず、いつの間にか足元で寝ていた黒い影を蹴飛ばしてしまうこともない。
そういう、日常の小さな変化の一つ一つを、毎日一つ一つ確認して、その度にたびのいない現実を突きつけられます。
二度と。絶対に。一生。逢えない。
重たくて重たくて、目をそらしたくて、でもそらした先にもたびはいなくて、結局認めるしかなくて、でもあまりにもたびのいる毎日が当たり前すぎたから、信じられなくて。
それでも、少しずつ、受け入れられるようになってきた気がします。
ベッドの上、ベッドの下、出窓、爪とぎの上、玄関の靴箱の上…たびが寝ていた、たびのお気に入りの場所。
どこを探しても、たびはいない。それが現実。
二週間に一度通っていた病院。
少しでも間隔を長くしてあげようと7月末に薬を三週間分もらって、お盆明けに行く予定だった病院。
「良かったね、たびちゃん。今度は三週間病院に行かなくていいよ。」って話したのに、結局その一週間後に体調を崩して、そこから毎日通って、お盆が明けた今は、もう病院に行くことすらできない。
新しいお水が好きで、お水を入れ替えると、喜んで飲んだ。
体調を崩してからは、水を入れたお皿の前で、飲みたそうにうずくまっていた。でも、舌を口の中で動かすだけで、飲めなかった。
ご飯を食べるのが大好きだったのに、一週間近く食べられないまま、逝ってしまった。
先代猫の“スミ”を亡くしたとき、私は後悔ばかりで、今度こそは後悔のないように、と誓ってぽんたとたびを迎え入れました。
でも、結局後悔ばかり。
元気なたびを見た最後の時、いつものように「なでて!」と部屋に甘えに来たたびを、満足になでてあげなかった。
その後、部屋を出て行って爪とぎの上で寝ていたたびを気にかけることもなく、体調を崩していたことにも気づきかなかった。
元気になったらたびの気が済むまでたくさんなでてあげようと思っていたのに、そのまま元気になることはなく、甘える声も、喉を鳴らす音も、二度と聴けるときは訪れなかった。
最期の瞬間、病院で息を引き取らせたのもそう。
朝、母が病院に連れて行って、時間をかけて点滴をしてもらって、夕方私が迎えに行く予定でした。
金曜日の16時半頃、病院から「容態が急変した」と家に電話があり、母が駆けつけたときにはもう意識がなく、たくさんの管につながれて心臓マッサージをされていたと。
母は、「もういいです。」と言ってたびを抱きしめたかったけど、できなかったと。
最期は、お腹にたくさん溜まった血を吐いたんだと。
怖くて、嫌いで、病院に行くときはいつも逃げ回っていたのに、そこでひとり死なせてしまった。
きっと不安で寂しかったのに。ずっと、家にいたかったはずなのに。
「こんなことならずっと家に置いておいてあげれば良かった。」そう、声を震わせて呟いた母の気持ちが痛いほどにわかった。
ご飯だっておやつだって、もっとたくさん食べたかったよね。
嫌なことや怖いことなんて何一つさせず、好きなように生きさせてあげればよかった。
子猫の頃はずっとカラー生活を強いて、それが終わる頃には避妊手術をして、大きくなってからも薬を飲み続けて、何度も検査して…たびばかりがいつもつらかった。
挙げればきりがないけれど、あまりにも短かったたびの一生に、私が出来たことの少なさを痛感して、後悔せずにはいられません。
私の一つ一つの選択の誤りがいくつも積み重なって、結果それがたびを死なせたのではないか。
他の人が育てていたら、もっと長生きできたのではないか。
そう、考えてしまいます。
終わり良ければすてべ良し、と言うけれど、じゃあ、終わりが良くなかったら?最期の瞬間がひとりぼっちだったら?それまでのすべては、否定される?
誰かに言われれば、「そんなことないよ。」って迷わず言えるのに、自分にはそう言い切ることができません。
たびが、苦しい中知らない人に囲まれて、ひとりぼっちで心細かったのは、本当のこと。
見放された、と思っていなかっただろうか。
だって、たびには人間の事情なんて分からないのに。
ごめんね。ごめんね。何度謝っても足りません。
それでも、たくさんの後悔はあっても、あの子と出逢ったことを後悔しているわけではありません。
たびと過ごした時間は、他の何にも代えがたく、一生私の記憶に残り続ける大切な大切なものだから。
最後の朝、寒いとき以外は決してくっついてこないたびが、ベッドに飛び乗るのもきつかったろうに、頑張って飛び乗ってきて、いつの間にか私の足にくっついて寝ていました。ぴったりと。
私の部屋に来る前、母のところでも、同じように寝ていたそうです。
きっと、とても不安だったのだと思います。
それが不憫であると同時に、不安なときに身を寄せる場所として選んでくれたこと、それがとても嬉しくて、その一つの出来事が、私の心の中の光です。
たびと過ごした時間。
毎日思い出しているけれど、「楽しかったな。幸せだったな。」って、笑顔で思い出すことはまだできません。
「どうして…。」「もっと…。」って、泣きながらしか思い出せません。
でも、笑顔で思い出せる日も、きっと来ます。スミ子のときがそうだったように。
たびが私にくれたものは、間違いなく笑顔だったから。
たびの記憶の一つ一つ、どんな些細なことも忘れずに、ずっと抱きしめていきたいです。
笑って過ごしたことも、悪さに手を焼いたことも、クールなところも、甘えん坊な一面も、いつものようにキャリーバッグに入って帰ってきた、動かないたびを囲んでみんなで泣いたことも、その後ベッドで一緒に寝たことも、朝起きた時に触れた、たびの冷たさも。
全部全部、忘れたくありません。
たびが生きていたこと。
過去形になってしまったことがどうしようもなく悲しいけれど、その事実はとても尊く、きっとずっと、光を失うことはないと、そう思います。
三年という短い間だったけれど、たびは最期まで懸命に生き抜きました。
ほんの少し、心の片隅でいいから、褒めてあげてもらえると、とても嬉しいです。
がんばったね。偉かったね。あなたは私の誇りだよ。

何度言っても足りないから、毎日言うよ。
大好き。