私が生まれる前からそこにあって、当たり前にあって、それはもう家の一部と言ってもいいくらい、常に家に寄り添うように立っている木でした。
それが、仕事から帰ってきたら、切られてしまっていました。

びっくりして、目の前の姿が理解できなくて、とてもショックで、じわじわと色々な感情がこみあげてきて、涙が止まらなくなりました。
近所のおじさんが、切ってしまったのだそうです。
不格好だから、と。
母も止めはしたそうですが、遠慮していると取ったのか、切られてしまったと。
いつも無償でうちの家の庭の剪定をしてくれる方なので、悪気なんてないんです。
ただ、外から見て格好悪かったから、剪定をするのと同じ感覚で、純粋に善意からの行為で、切ってくれたわけです。
悪いけど、本当に、余計なお世話。
通行の妨げになっているとかなら分かりますが、ただ、そこに立っていただけです。
たくさんの思い出があるんです。
葉っぱと赤い実を使って、雪だるまうさぎの耳と目にしたな、とか、鳥が毎年実を食べに来ていたな、とか。入学や卒業の記念に撮った写真の背後にも、モチノキがありました。
今は亡き先代愛猫の“スミ”は、いつもこの木の幹で爪を研いでいて、その爪痕は今もしっかりと刻まれていました。
取るに足らない、小さくて大切な、たくさんの思い出。
その思い出と自分が、切り離されてしまったような気がしました。
思い出だけじゃなくて、あの木そのものが、とても大切でした。
これからもずっと、静かにそこに立っているはずだったのに、何も言わない変わり果てた姿がとても悲しかった。
夢であってほしかったです。
たかが木です。
他人から見れば、木が1本切り倒されたくらいで、何故泣く必要があるのか、理解できないかもしれません。
くだらないことですらあるのかもしれません。
でも、私にとっては大切だったんです。大切だったんです。とても大切だったんです。
悲しくて悔しくて腹が立ちます。
これから、外出するたびに、帰宅するたびに、あの姿を見なければなりません。
そのたびに、こんな風に空虚な気持ちになるんだろうか。
なんだか、胸にぽっかりと穴があいてしまった気分です。