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高校の時の生物の先生で、1・3年の時の担任だった先生が、私にとっての恩師です。
高校の時の生物の先生で、1・3年の時の担任だった先生が、私にとっての恩師です。
流しそうめんやったり、焼き芋やったり、夜中に海に連れて行ってくれたり。
勉強だけではなく、色々なことを経験させようとしていてくれたんだと、今になって思います。
高校1年生の時、クラスに置いてある、購買で買った物(お弁当やパン)を捨てる用のゴミ箱がいっぱいであふれていることがありました。
それを見て、「誰も捨てに行かんなら、ゴミ箱撤去するぞ。各自ゴミ捨て場まで捨てに行け!」と怒ったことがありました。
たかがゴミくらいで何をそんなに怒ってるんだ?と思っていたのですが、
ゴミが溢れていたのは「誰かがやってくれる」と誰もが思っていた結果で、その無責任さについて怒っていたんですよね。もしくは、「購買で物を買わないから、自分には関係ない」という無関心さについて。
至極当然、怒られて当たり前。
「クラスで出た」ゴミなのだから、「クラスで片付ける」のです。関係ないわけがない。
あと、ずっと感謝しているのが、高校3年の受験生の時のこと。
センター試験の結果が思わしくなく、私は志望校を第2志望に変更しようとしていました。
その旨を伝えると、「何や、随分弱気に出たな~。俺はいけると思うぞ」と。
私はそれで背中を押された気がして、第1志望の大学を受け、合格することができました。先生がいなかったら、受験すらしていないと思います。
思えば、推薦入試で落ちたときも、「お前ならいけると思ってたんやけどな~」と言っていました。
通知表に、「クラスの牽引力になっています」と書いてくれたことも。
私はそれがたまらなくうれしかった。
時として期待はプレッシャーになるけど、そのときの私にとって、「期待されている」「できると信じてくれている」ということは、とてつもない力になったのです。
そして、卒業文集には「最後まで頑張って道を切り開け。君ならできる」との言葉が。
「君ならできる」、この言葉は、今でも私に勇気を与えてくれています。
逃げ出したくなったら、この言葉を自分に言い聞かせるのです。
今思うと、あの頃先生もたくさんの葛藤を抱えていたんだろうなと思うことがあります。
でも、手を抜かずに・・・いや、いい意味で手を抜きながら(笑)、私たちに色々なことを教えてくれた。
1~10まですべてを教えずに、答えを模索する姿を見守ってくれた。
「何でちゃんと意見を言ってくれないの!?」と思ったこともあったけど、その方が難しいことだったんだと今になって思います。いつも私たちに考えさせてくれました。
そして、クラスの一人一人をよく見ていたんだなと思います。
私は地味で目立つタイプではないけど、「あいつは面白いやつや」と言っていたことを人伝に聞いて、すごくうれしかった。「真面目」とか「優等生タイプ」とか思われがちなのに、「面白い」と思ってくれていたなんて。
もう何年も会ってないけど、元気にしてるのかなー?
そういえば、卒業数年後の同窓会で、「こいつは最初っからケンカ売ってきよった(きてた)」と言われたことがあるんですが、どういうことでしょうね?意味が分かりません(笑)