カレーライスと同じ、家庭で人気メニューのシチュー。

シチュー自体は様々な国の料理で見かけますが

「クリームシチュー」は日本が生んだ和製洋食です。

カレーが日本で生まれたのは明治時代でしたが、

シチューは戦後にある目的のために生まれました。

では、その目的とは何だったのでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【答え】

(給食で)パンを食べさせるため

 

 

 

 

【解説】

終戦直後から始まった学校給食でシチューが登場しました。

GHQの指導の下「洋風の食事を子供達になれさせる」という目的があって、

パンに合う料理として考案。

もちろん慣れさせるは建前。

本音は、アメリカの小麦粉の輸入を増やすことの目的がありました。

 

 

このシチューは「より栄養がつくように」と脱脂粉乳が使われ、

それが「白いシチュー」として広まりました。

 

といってもこの時のシチューはホワイトソースではなく小麦粉を

溶いた物でとろみをつけた代用食みたいなものでした。

 

それでも子供達には外国風の料理として好評だったのです。

子供達が家庭でもそれを食べたいと言い出したことから考え出されたのが、

ハウス食品の「シチューミクス」。「ごはんのおかずになるように」と“とろみ”を

つけた固形ルゥタイプとして1966年に発売され

 

 

 

それがヒット商品となり、「クリームシチュー」という言葉と料理が広まりました。

日本のクリームシチューは、ハウス食品が生んだ和製洋食なのです。

ホワイトソースは一般家庭にはハードルが高いということで

カレーと同じ要領で作れる、しかも一般家庭で食べるということを

考慮してご飯に合うシチューとして開発されています。

 

 

 

では、日本でシチューっていつから食べられてるの??

 

1872(明治5)年に発行された仮名垣魯文著『西洋料理通』には

「スチュードビーフ」や「スチュードポーク」などの牛肉や豚肉を

使ったシチューのほか、トマトシチューなどの野菜の

シチューが紹介されているが、鶏肉を使ったクリームシチューらしき記述はない。

 

 

 

 

豚肉、羊肉、牛肉および仔牛肉のシチュー

材料…

肉…1.2kg12枚に切る)

塩、こしょう

葱…2

砂糖…小さじ1

作り方…

材料を蒸鍋に入れて10分加熱する。小麦粉を振り入れて1.8Lの冷水を注ぎ、

静かに加熱する。豚肉、羊肉の場合は2時間、牛肉は3時間、仔牛肉は1時間半。

 

 

お店で提供した日本で最初は??

 

1875(明治8)年に開店した芝浜松町の牛鍋屋「たむら」の広告には、

「シチウ8銭」の文字があります。

牛鍋屋というからには、おそらく提供されていたのは

ビーフシチューに近いものだったと思われます。

 

その後、

1907(明治40)年に発行された「和洋惣菜料理見立」という

洋食番付表には「シチウチキン」という料理があるが、

これが現在のクリームシチューと同じものであるとは言い切れない。

 

さらに、

牛乳入りの鶏肉のシチューが料理書に初めて登場するのは

1924(大正13)年の『滋味に富める家庭向西洋料理』

(手塚かね子著、文化生活研究会)でした。

 

 

 

 

大正時代と言えば、牛乳や牛乳入りのコーヒーを飲ませる

ミルクホールやカフェーの全盛期。

1925(大正14)年当時、しょうゆが181銭なのに対し、

牛乳は80銭という値段になっていました。

(『日本史総覧6』、今井尭ほか編、新人物往来社、1984年)

 

この頃には、牛乳は一般にも普及していましたが、

クリームシチューが盛んに作られるようになったかと言えば、

そうではない。当時の料理書では、バターと小麦粉を使っただけの

牛乳なしの鶏肉のシチューがほとんどだったのです。

 

 

その後、戦時中に入り、戦後までシチューの姿は見えなくなるのでした・・・。

 

 

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