ハングル語のラジオが入り込むような土地

天草の西海岸にある崎津地区に。

教会正面に佇む民家が母の実家。



6月の世界遺産登録に向けて景観が

整備され、街の統一が進んでいる中、

母の実家が街に溶け込めてないのは明らか。

雰囲気を台無しにしてるのは承知してます。


申し訳気持ちがあり

なんとかしなきゃだなと思い訪問。

さてどうしよう。


崎津は今のところ、がっかり世界遺産。

私見です。

母の実家もその構成要素の1つなのですが

いま崎津を訪れたとしても、、

満足度は高くないのではないか。


街を散策してる中で我思う。

なんだか街の呼吸が止まってる。


もちろん小さな小さな漁村であり

高齢化が加速するなか、空き家も多く

単に人気がないというのもある。

でも猫はいっぱいいる♡





トンビの鳴き声と青い空。

心地よい潮風と海の香り。

それでいいじゃん。とも思う。


キリスト教を引っさげて

ザビエルがやってきた1549年。

その後、弾圧により宣教師が完全に居なくなってしまうが、指導者がいないにもかかわらず、キリスト教を守り続けること1873年(明治6)までの約230年間。

ユネスコが認めたのはこの時期の特異性であり、ここがやっぱり面白いポイントだと思う。


崎津以外の天草に点在する資料館には、この潜伏期間の生活に関する資料が沢山ございます。

箪笥のカラクリ十字架や加藤清正像の背中に隠れ十字架など、生活の息を感じるものが沢山で面白い。

苦しみからの逃げ道として

笑いを必要としていた感じがするのです。


この潜伏の生活感をなんとか崎津集落で感じてもらう事は出来ないものだろうか。


感じる事によって、いま息を殺したような街の様子も納得に変わるのではないか。

だって元来が隠れ漁村だから。

シーンとしてるのが日常なのだから。


そして、これはここだけのお得なお話しなのですが、天草四郎が隠した財宝はまだ見つかっていないのです。


潜伏キリシタンの街

隠れ漁村の街、崎津。

隠し財宝が眠る島、天草。


まだまだ街を好きになってもらえる

ポイントが多く眠る街。


観光者に教会だけ見て帰らせてはいけない。

そんな想いがふつふつと。母の実家を資料館として活用出来たらいいなあと思うところでした。