今日は3月11日。
東日本大震災から1年という節目の日ですね。
外は寒いですが、快晴です。
あれから1年いろいろありました。
でもみんな、少しずつ頑張っているように思えます。
今回はtakuyaが撮影した震災発生の写真を載せていこうと思います。
この写真などを見て、間違いなく1年前に悪夢のような災害があった事を来年も再来年も、何十年後も一生忘れないで欲しいという想いを込めて載せます。

↓津波が一瞬にして橋を破壊しましたね↓

↓コンクリートの建物内に津波が押し寄せた直後↓

↓津波直後↓

↓360度この光景を見て言葉を失いました↓

↓海が目の前の幼稚園、震災後半年経ってもこのような状況でした↓【2011年9月撮影】

まだまだ写真はありますが…写真で見るだけではなく俺達の心の中に一生忘れない出来事と焼きついた事でしょう。
次に、震災後に被災地福島県からタレントデビューした諸橋沙夏ちゃんから当ブログ充てにメッセージを頂きました。紹介しますね。
紹介する前に一言。沙夏ちゃんとは震災後に知り、お互いブログなどで交流を取らせて頂いて復興イベント等に出演する際には俺も取材という形でお会いしています。震災がなければ俺自身、正直福島県に住んでる事もこのブログ内では非公表だったと思います。…でマスコミのお仕事も今は全然やっていませんので、普通に占いや福祉や介護のお仕事をしてたと思います。でもブログは世界中からアクセスしてもらい、今の被災地の現状や震災当時本当に今何が必要なのかを呼び掛ける事も出来たし、何か少しでも誰かの役に立てれば良いと感じ無我夢中で現在に至りました。
さぁ、では沙夏ちゃんお願いします。
諸橋沙夏(タレント)震災後にタレント活動を始めた諸橋沙夏。昨年4月ヤマハミュージックパブリッシングタレントオーディションにて1000人の中からグランプリ獲得。彼女は東日本大震災の被災地である福島県いわき市出身のタレント。
震災から1年。。。まだ、完全に復旧したわけではありませんが、福島はじょじょにいい方向に向かって来てると思います☆-( ^-゚)v
これからも皆さまと一緒に福島を盛り上げていきたいです(*^_^*)

takuya:今後も復興イベントのオファーが来たら参加したいですか?
沙夏:もちろん×1000×OOで!(≡^∇^≡)
次に…前回も大好評だった高橋佑果さん
3月11日は埼玉県内の調剤薬局で事務員として勤務中でした。今までに感じたことがないくらいの大きな揺れに恐怖を感じましたが、まずは患者様の安全確保が第一なので平常心を保つのに精一杯でした。
東北の方々に比べたら私の被害なんて本当にちっぽけなものです。
テレビで見た現実。毎日、涙が止まらなくて、自然の恐ろしさ、自分の力の無さに情けなくなった日もありました。
ですが、例え小さな力でも、一人一人が手をとりあえば大きな力が生まれるという事をこの一年を通じて感じました。
一人でも多くの笑顔が生まれるように、微力ではありますが私にできることを精一杯していきたいと思います!

その他、スピリチュアルアイドルぴんくからもメッセージお寄せ頂きました。
皆さん、ありがとうございました。
次に一般の方から当ブログに寄せられたメールやコメントです。
(編集の都合で3月9日までにお寄せ頂いた方を載せてます)
(岩手県:K・Tさん)
私は岩手県の北上に住んでます。震災後、3日間ライフラインがマヒして、3日後にテレビなどで今回の震災のニュースをみて他も大変な事になってると感じました。当時、ガソリンも手に入らず自転車で職場まで出勤した記憶が今でも鮮明に忘れていません。あれから1年経ちますね。みんなでがんばりましょう!
(東京都:Ayana.Kさん)
人生の一部だった競泳を辞めざるおえなくなった
せっかくできた高校の友達とも離れて転校して1人ぼっちで、不登校ぎみになったけど今は普通に通ってます。
今でも戻りたいけど、夢を叶えるためには東京の方がいいと思い頑張ることにしました。
3月11日たくさんいろんな大切なものを失いました
(福島県:てりぃ@東北魂さん)
あの日は休みで市内を運転中でした。携帯の警報に驚いてコンビニに停車したと同時に激しい揺れに襲われました。
街のすべての音が家や電柱のきしむ音に掻き消されていたように感じました。
そして大津波警報による初めての避難…自宅は新舞子ビーチから数分の場所にあるので…
結局津波の被害は受けませんでしたが、後日新舞子街道の惨状を見た時はかなりショックでしたね。
また自分は小学生時代を富岡町で過ごしました。いわきに来てからも仙台に行くときなどは富岡を通るのでずっと記憶に残っている町です。
今度いつ行けるのかと考えると、とても悲しくなりますね。
正直、福島復興はまだまだ長い時間がかかるでしょうね。風評被害も含めて…
でも後ろ向きじゃ何も始まらないので、辛いときでも斜め前くらいは向いて進んでいきたいですね。
(福島県:こんたけさん)
大震災の時は、仕事中でした。金曜日でもあり、2日後の日曜日には、バドミントンの大会があり、メンバーもベストメンバー揃い、楽しみでしたね。勿論、中止になりました。
あとは、サッカーファンでもあり、地元チーム、マリーゼのボランティアもやってたんですが、休部になったのは、残念です。
地震が起きてしまったのは仕方ないとして、原発問題がでなければ、風評被害も無かったと思うと、非常に残念です。
(福島県:少年@さん)
まだ避難中です…
あれから一年がとても早かったです。
(宮城県:nanakoさん)
うちは祖母と母を津波のせいで失いました。今でも信じられない感じで1年前の悪夢から時間が止まっています。早く現実を見つめ前に進みたいとは思うのですが、家族2人を失ってこれからどう生活していいかぁ分からないです。ときどきうちも津波にのまれて亡くなってれば今こんなに辛い想いしなくていいのにと思います。それが震災から1年経っても今のうちの心理状況です。
(福島県:とんびさん)
結婚して3年目で今までに経験した事のない自然災害。しかも俺の住んでる所は福島県の楢葉町。東電の原発事故のせいで1歳の子供と愛する妻を連れて、すぐに県内から脱出して現在は神奈川県で避難生活してます。俺は故郷に戻りたいって言う気持ちはありますが、子供の事などを考えると戻りたくても戻れないというのが現実です。
(茨城県:R/Mさん)
震災は東北ばかり取り上げられてるけど茨城も被災したし、原発で風評被害にも遭ってます。茨城や千葉なども忘れるなよ~
(広島県:こずえさん)
東日本大震災が起こって早1年になるのですね。早いですね~。私は広島県に住んでますが震災当時は毎日のように被災地の様子がテレビで拝見して見てると胸が引き付けられる想いです。当時、私に出来る事は何かなと思い、まずは義捐金を少しですが日本赤十字社に振り込みました。少しでも誰かの役に立って頂ければ幸いです。今は、2度と悪夢の大惨事が起こらないのを祈ってる毎日です。
(愛知県:KOROKOROさん)
メチャ仲の良い友人が仙台にいるけど、地震で大変だった現状を聞いてた私は、ただ聞いてるだけなのになぜか自然と私の目から涙がこぼれてきました。
震災から4ヶ月後に仙台の友人と再会しましたが、私以上に元気で笑顔だった印象で、それを見てよけいに辛かったです。友人や家族をこれからも大切にしていこう
多数のメールありがとう。
今後も頑張ります!
↓いつもペタやコメントありがとうございます↓
