結局子供は親の背中を見て育つ。

どんなに親のことをウザいと思ったりしても、物心ついた時から一番身近で多く関わった大人の影響を多く受け、良い悪いを自分なりに選別しながら成長していく。

 

 昨年11月母も亡くなり、まあこの歳だと珍しくも何ともないが、とうとうこの世に”両親”というものは存在しなくなった。どちらともその息を引き取る瞬間には立ち会えず、対面したのは既に冷たく硬直したキレイな姿だったけれども、今も特別喪失感を呼び起こすワケでも無く、声や姿はあらずとも、子供の頃から私と関わってくれたという諸々の記憶が全身に行き渡る感覚として、さみしさを感じさせないでいてくれるのかも知れないなと思う。

 

 ウチの両親はどちらも自分達の考えを子供に押し付けがちの人だったし、柔和な雰囲気の家庭ではなかったので、子供ながらに息苦しさを感じていたところも無きにしも非ずだった。大家族というか、父は長男で祖母と叔母も同居、その兄弟姉妹もよく家に訪ねてくる、私の姉も8つ上だったので、大人達に囲まれ、自分だけが違う世界にいるような疎外感も感じていた。そんな中で特に母の心からの笑顔の記憶が無く、私が常に”心からの喜びを感じて笑顔でいること”に正直でいたいと思っているのには、母に対しての反発の感情の表れを自覚している。自身が家族を持ってからは、大きな血縁関係の中でたった独りで立ち回らなければいけなかった母の辛さを理解し納得することはできるようになったのだが。

 

 決して手放しの自由を感じさせる雰囲気では無く、心配という名の過度の干渉にも飲み込まれていたことの多かった子供時代だったけれども、今の私があるのはやはり両親がいてくれたからこその事がどんなに多いことか・・・。父親からは自分の考えを持つことの大切さ、絵本から小説まで、書物から感じとり学ぶ機会を与えてくれたこと、レコードや音楽教室から色々な音楽に親しみ感情の世界を広げてくれたこと、一風変わった独特のユーモアセンス。母親からは何事も諦めず自分なりに頑張ること、食べることの楽しさ・ありがたさを教えてくれたこと、手作りの服をたくさん作ってくれて、私の美的センスに影響を与えてくれたこと。そして二人ともいつも最後には何だかんだと言いながら私のやりたいようにやらせてくれて、自分の責任に基づいた自由を与えてくれた。

本当はこの世にいるうちにちゃんと言っておくほうが喜ばれたとは思うけれど、時間をかけて湧き出てくるものが真実なのだということで、もう一つの世界でこの想いを受け取っていてください。私を私にしてくれてどうもありがとう!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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