今日は父の命日でした。


父は、私が25歳のとき、59歳の若さで逝ってしまいました。


肺がんでした。



急激に痩せ細り、病院にいったときはもう手遅れ。


余命3ヵ月と言われました。


体力がなくなっていて、手術も抗がん剤もできませんでした。


今思えば、肺にドレーンのようなものを指して、


赤い廃液の入った大きな容器を持って病院内を歩いていた。


私が入院中にドレーンと廃液のポシェットを持っていたのとほぼ同じ。




何も治療ができないから、残りの余命をご自宅で過ごされては、と言われ、


自宅で療養することになりました。


酸素ポンプを持ち歩いて、ちょっとだけお出かけしたりしたけれど、


すぐに息切れしてあまり歩けないし、血痰も出るし、本当に辛そうだった。


家族でできるだけのことをしてあげようと、母と姉と3人で一生懸命だった。


でも、自宅ではどうにもならなくなり再入院。


余命宣告されてからたったの2ヵ月で、逝ってしまいました。




父とは家族全員確執があり、


それぞれが一生懸命で、誰も体調の変化に気付いてあげられませんでした。


私は気付いてあげられなかった自分を責めて、


お風呂や自分の部屋で何年も泣いてばかりいたけれど、



あるとき気付いたの。


母も姉も、きっと同じ気持ちで泣いていたということに、


それでも、2人とも、頑張って笑っていたということに。


それを見て、私もいつまでもこんなんじゃいけないと思いました。




父の死を、なかなか受け入れられなくて辛かったけど、


10年くらい経ったころ、ふぅっと自然に、


父が家族みんなの心の中に、今も生き続けていることに気がつきました。


時々夢にも出てきて、話してるし。


亡くなった人が夢に出てくると良くないっていうけれど、


そんな迷信など私は信じない。




うまく言葉では言い表せないし、


心の中に生きているって薄っぺらい言葉に感じるけど、


でも、本当にそういうことなんだ。


心から、この言葉の意味を実感しています。




そして、最後の父の言葉を思い出します。


「幸せに包まれて…」と嬉しそうに笑っていたことを。




お父さん、あなたの娘は、あなたと同じガンという病になってしまったけれど、


死を恐れず、しかし生に貪欲に、この人生を生き抜く所存です。


なので、まだまだ会いにいけません。




どうか、末永く見守ってください。