孤児院に行った以降、私はさらに英語の勉強に取り組んだ。もっともっと英語を話せるようになりたいと思った。



留学生活は1ヶ月が経つとTOEICの模試では600点を取るのが当たり前になった。順調に進んでいた。友達は学校にいる人達全員の顔を覚えるくらい仲良くなった。50人が定員だったがこの時学校にいたのは40人ほどだった。




土日はよく同期のメンバーたちと買い物に出かけた。バギオは山岳地帯でとても寒く、夏だというのに毛布や長袖を着ないと風邪をひいた。

エージェントには寒いから注意してと言われていたが、予想を超える寒さだった。フィリピンは夏は雨季に入り、ほとんど雨の日が多かった。








私はフィリピンで23歳の誕生日を迎えていた。迎えた時はあまり友達がいなかったので、こっそり一人で自分におめでとうと言った。
家族からもメッセージが届いていた。お誕生日おめでとう。どうか無事に帰ってきてね。と両親からラインがきた。






学校内ではメンバー同士の恋愛模様も繰り広げられていた、バッチメイトの菜々はジュンに恋心を抱いていた。私は授業がジュンと一緒にすることが多かったので、そのことでやきもちを焼かれたこともあった。




また他の日本人の男の子も韓国人の女の子を好きになっていたりと、そのような恋愛話も楽しかった。フィリピン人の先生たちにも毎回、授業の時にはリナは気になる人いるの?と聞かれ、先生たちとあの子がかっこいいよね。とかこういう人がタイプという話で盛り上がることもあった。





そして私も1人、異性として気になる日本人の男の子がいた。翔太さんの時以来、ドキドキしてしまう人ができた。ただ、この時も私は自分の気持ちにあまり気づいておらず、友達に言われてその気持ちに気づいた。


恋愛は小さい頃から母や教会の人からダメだと言われていたし、よく分からなかったので、異性に対して自分がこう思っているとか考えることもあまりなかった。




私にあの子のことが好きでしょ?と聞いてきたのは、真紀という日本人の女の子だった。


真紀は私の1歳年下の22歳だった。有名大学に通っており、父は開業医をしていた。志が高く、大手銀行からの内定をもらっており、アメリカの支店で働くことを目標にフィリピンには来ていた。


真紀はとても男性からモテていた。学校では私が来てから1ヶ月程して仲良くなった。それまでは菜々や結衣と一緒に行動していたが、あまり気が合わずに菜々のわがままに付き合わされてうんざりしていた。





人間関係で疲れて体調も壊してしまったこともある。ある時、食中毒になってしまい、フィリピンの病院に夜中に日本人3人くらいと行った。その時に一緒に病院に行ったのが真紀だった。そんなことから仲良くなったのだ。


フィリピンの病院は設備が不足しており、夜勤中のナースは音楽を流しながら対応した。採血などをして薬をもらったが、海外の病院で貰う薬は怖くて飲まなかった。






結局、私はこのころから真紀と仲良くなり、同期のメンバーたちはジュンやマックとだけと交流するようになった。



日本人はお気に入りの人たちとグループを作ることが多く、台湾人は全員が家族という感じでタイワニーズ全体で盛り上がっていた。

韓国人は情が熱く、バーベキューなどをすると常に韓国人男性が一番世話を焼いて熱心に準備してくれた。韓国人女性は強くて凛としている人が多かった。韓国人のジュンは日本の女性の方がいい。優しくて柔らかくて穏やかだから。韓国の女性は強くて疲れるんだ。と私にいつも言っていた。





このように同じアジア圏でも国の違いから文化の違いも感じることができてとても学びになった。



私は同じ部屋のひろみちゃんと仲良くなれると思っていたが、彼女は想像していた女の子とは違い、男性の前だけで可愛い子として自分を見せれるような子だった。



女性にはあまり関心がないようで、私のことは少し馬鹿にしたような態度を取っていた。同じ部屋なので仲良くしたかったが、なかなか上手くいかずに、私はいつも部屋にはいないで階段の横にあるソファで勉強をしたり、休憩時間を過ごしていた。


そんなことから色々な人と話すようになって仲良くなれたので、ある意味ひろみちゃんには感謝している。








このように学校内での人間関係は様々繰り広げられていた。


私がこの時気になっていたのが、将来は歯科医を目指すような大学生だった。名前は大輝といった。





〜おわり〜