最近読んで、ちょっと面白いなと思った本がこちら。

 

兼本浩祐『普通という異常』健常発達という病 講談社現代新書

 

前半部分は、いじわるコミュニケーション、ニューロピティカル症候群についてなど、身近なあの人やこの人の顔を思い浮かべながら楽しく読み進めることができます。

後半はすんなり入ってこない部分が若干あって、何度か行ったり来たりしながらなんとか読みました。

 

n=1の育児体験に過ぎませんが、女の子がほかの子に小さな意地悪を繰り返して相手の反応を見ながら序列を決めていくという作業、いわゆる「いじわるコミュニケーション」は、多分幼稚園の年長さんくらいになると一部の早熟な女子の間で普通に行われていたと思います。

ここで空気が読めなかったり侮られたりすると、カーストは下のほうで固定されるようです。

園児のカーストとかどうでもええわと思わなくもなかったですが、当事者には一大事だったに違いありません。

 

我が娘といえば、まあ見事にカースト最下位でした。

 

降園後、園の近くの公園で一部のクラスメイトたちと暫く遊んでから帰宅するのが習慣になっていましたが、いつの頃からかリーダー格の女の子が突然

「みんなー!○○ちゃん(娘)から逃げて!」

と号令をかけ、わーっと娘から離れて走り去るという遊びに興じるようになりました。

お友達全員から置いていかれた娘は涙目になってみんなを追いかけるという具合です。リーダー格の女の子は、娘のそんな様子を心底嬉しそうにチラチラ見ながら公園中を走り回って娘を避けています。

 

親が手出し口出しする類のものではないと思って

「トロくて草」

などと斜に構えていた私も私ですが、それを見ているお母さんたちも、見てはいけないものを見たかのように目をそむけ、関係のない話題で盛り上がっています。

娘に「公園、行きたくなければ行かずに帰るけどどうする?」と尋ねると、行きたいと言う。

そのうちターゲットが変わったり固定で仲の良い子が出来たり、ずっとしんどかったわけではなく、カーストはほぼ最下位ですが安定しました。

 

小学校に入学してからも同様です。

一層酷くなったといってもいいかもしれません。

学校に用事があって、偶然娘たちの下校時間と私の帰宅が重なったことがありましたが、娘はお友達数人の荷物を全て一人で持たされていました。

「ああ、ジャンケンで負けた人が持つやつね」

と特に何も思わなかったのですが、手ぶらで娘の前のほうを歩いていた女の子が、私を見て顔色を変え

「荷物持ってなんて言ってないのに余計なことしないで!」

と焦った様子で娘から荷物を奪い返しに来ました。

娘に「荷物持ちジャンケンでしょ?」と尋ねると

「ううん?持ってって言われたから持ってた」といってキョトンとしています。

こんな感じで、女子は上下関係を決めていくようです。

 

通常は高学年へと進むにつれ熾烈さを増していくのかもしれませんが、生憎この地域は中学受験が盛んで、三年生の三学期以降に一度このカーストがぶっ壊れます。

 

年がら年中マウントやカーストのことで頭の中が占領され、地位を保つために神経症かと思うほど気を回し、空気を読み、ストレスをためる、それこそが定型発達という病ではないかという、本の内容は大体そんな感じだったと思います。

これじゃ勉強も趣味も中途半端になるよね、と変に納得したりします。

人の脳みそのリソースにさほど大きな差があるとは思えないので、その大半を人間関係に費やせば当然学業や技術芸能面は凡庸にならざるを得ない。でもそれがその人にとっての生きる戦略なのであれば、誰もそれを非難することはできません。

 

記事タイトルの件ですが、先に結論を言うと「共学と大して変わらない」です。

 

私は共学校にしか行ったことがありませんが、男子が女子に対して容姿でランクをつけ、冴えない女子に対し石ころか虫を見るような目で見下すあの感じは女子校には無いものです。

ただし女子校に入ってしまうと、容姿を武器に男子グループの姫として女子間の複雑なコミュニケーションを避けて生きるという逃げ場があった共学とは違い、芯の強さは持っていないと過ごし難いように見えます。

必要とされるコミュ力は各女子校のカラーによっても異なるようで、娘からたまに聞く話を総合すると、マウントを取りたい相手に理不尽を押し付けたりするような幼稚なやり方は一呼吸ののちに看破され、返り討ちに遭うことがあるようです。

相手が討ち死にする過程で、この子は付和雷同タイプだとか級長タイプだとか怜悧なタイプだとか、色々見えてくるものがあるそうで、彼女たちも日々アップデートを繰り返し、自分なりの美学を身に付けていく様子を垣間見ることができます。

人は人によって磨かれる、と親向けの宗教講義で何度か聞いた言葉は、上っ面の綺麗なスローガンではなく、娘の学校の泥臭い日常そのものを言い表した言葉でした。

 

これは別に女子校の専売特許でもなんでも無いですが。

 

結局どこへ行っても面倒くさい。

少なくとも共学育ちの私から見て、娘の学校の人間関係が特別難しいと感じたことはまだ無いです。

何かの参考になれば嬉しいです。