「義母」と言う言葉が好きではないので、
母と書きます。。。
主人の母は、2年前から癌になってしまいました
見つかったときは、
もうすでに
肺・脳・骨・リンパ腺
に転移していて、
手術ができるような状態ではなかったのが事実です
それから、抗がん剤治療もして
ガンマナイフ治療もしましたが、
病院が大っっキライな母は
治療途中で、
勝手に退院してきてしまいました
それが、もう1年以上前のことです
抗がん剤治療中は、ずっと
その当時の仕事(イギリスの雑貨屋さん
)もお休みをもらって
病院で付き添っていましたが、
治療を受けている本人はもちろんのこと、
見ている私まで、目を覆いたくなるような、本当に辛い治療のようでした。。。
見ているだけの私が、
何度、廊下で泣いてしまったことでしょう。
見ているだけの私が、
何度、主人に弱音を吐いたことでしょう。
そして、本人の母は、
何度、
「もう、こんなん、イヤヤ。」
とつぶやいたことでしょう。
病院を勝手に退院してきたと知ったとき、
正直、困りました。
困り果てました。
泣きました。
何か、わからない、何かに対して、怒りました。
三人兄弟の、末っ子な主人。
次男の主人。
その嫁のワタシ。
長男夫婦は北海道。
姉夫婦は東京。
皆、母が癌だと知ったとき、
こぞって嵐山の実家に詰め寄りました。
皆、こぞって声を聞きたがり、
電話がひっきりなしに鳴っていました。
なのに、
気丈に振舞う母の姿に、どこか安心を覚えたのか
時間が経つと共に、また母との距離が
離れていきました。
そんな子ども達の後姿を、いつも
「来てくれて、ありがとうね。」と笑って見送る母の気持ちは
どれだけ、心細かったことでしょう。
「待って」と、引き止められる言葉が言えたら、
「また、来てくれへんか?」と、呼び戻す言葉が言えたら、
母がどれだけ心細い思いをしているのか、
少しでも、理解してもらえたのかなぁと、今は思います。
私たち、末っ子夫婦は、
そんな歯がゆい母の姿を、ずっと見てきました。
だから、
病院を退院するということは
ワタシしか、傍にいられないということになるのです。
病院なら、24時間体制で
もし、母になにかあってもすぐに気づいてもらえる、
すぐに処置をしてもらえる。
そして・・・
私たちは・・・
じゃなくて、
「私は」、いつも通りの生活が送れる。。。
そう思っていたこと自体が、間違いだったのだけれど・・・。
仕事にも行き、家にも帰り、
お風呂にも入って、楽しい主人とのお喋りタイム。
フカフカのベッドの上で
「お母さん、今日は眠れているかな」
なんて会話をして、グッスリ眠る。
そして、週末は、お母さんところへお見舞い。
帰りはそのままお出掛けして、
平日は、またいつもの「自由な私の時間」。。。
それが、退院したらなくなるのだと思って、
急に、焦りと不安と、怒りと、いろんな感情が一気に
こみ上げてきたものでした。
「仕事だって、せっかく楽しいと思い始めていたのに、このままだと辞めないといけないの?」
「なんで、兄弟皆、誰も帰ってきてくれないの?」
そんな言葉ばっかり、
本当に、そんな言葉ばっかり、
グルグル頭の中を回っていました。
今思えば、
いつも「私」「私」「私」。。。
何様のつもりだったんだろうと思えて仕方がないくらい、
「私」が「困る」のがイヤ。
よく、こんな自分本位でワガママな私に
主人が付き合ってくれていたとビックリするぐらい、
自分のことも大っ嫌いになっていました。
正直、、、
こんなことで飾っても仕方がないので、
正直に言うと、
主人の両親がずっと嫌いでした。
自分の両親はフランクでくだけた感じ。
主人の両親は、とにかくお堅い。
知らない土地にお嫁にきたばかりの頃は
とにかく怒られっぱなしだった。
「だから関東はアカンねや」
「早く、子どもを産みなさい」
喋り方ははんなり言葉だからキツイ印象はないものの、
言われる言葉が突き刺さる。
主人の見ていないところで
いつも泣いてばかり。
でも、いつだったか、主人が気付きました。
「何を言われたんや?」
絶対に言わないと、
心で決めていたから、言葉が出なくて、涙だけ出て、
でも、主人には自分の両親のことが
キライになってほしくないから
涙だけがずっと止まらなくて。
その頃、
不妊治療を受けようかと悩んでいた時期でもあり、
両親から言われる
「早く子どもを」という言葉が一番、しんどかった。
主人だって、同じことで一緒に泣いた夜もあったから
言えば、言われることの悲しさが伝わるのだろうけれど、
やっぱり、言えなかった。
もし私が、
自分の親がそんな
何も知らないで、簡単に発した言葉で人を傷つけたことがある
と知るのがイヤなように、きっと主人もそんな気持ちになるだろうと
思って。
だから、
主人の両親のことはいつも、
心の中で
「何も知らないくせに」って思ってた。
そんな中、
母が癌になったのです。
病院を勝手に、一人で退院したと電話があった時、
これ以上、私を苦しめないでと
正直、思いました。
でも、私も19歳~20歳の頃、
体調を崩して半年間の入院を2回、経験しました。
その頃、考えていたことは
「早く、退院したい」
「皆に会いたい」
「皆みたいに、普通に、生活したい」
それだけだった気がします。
だから、お母さんの気持ち、
悔しいけれど、分かるのです。
分かる自分がいるから、ややこしい。
分かるから、退院を喜んで受け入れ、
その後のことも、なるようにしかならないと思って、
母の全ても受け入れる。
もしくは
分かるけれども、
私もやっと、普通の生活ができるようになったのだから
もう少し、そっとしておいて欲しい。皆のように、好きな人と好きなことして
過ごすことに、幸せを感じたい。
私はどちらを選択したかというと、
両方です。
分かるから、受け入れる。
好きになって結婚した人が、あなたの息子さんだから。
あなたの息子さんに、私は幸せにしてもらっているから、
あなたの全てを受け入れて、
あなたに時間や労力を使うことに
幸せを見つけます。
そんな風に思えるようになったのは
ほんのつい最近。
病院へ行かずに、
民間療法ばかりしているから
保険がきかず、お金のかかることばかり。
私たち夫婦は、上の兄弟二人と違って、まだ子どもがいないから、
なんとか、できる範囲の援助しています。
母の体調の悪い日は、家事ができないから、
私が仕事を休んで実家に行き、仕事から帰ってくる父のご飯を作って、掃除などをして、
それからクタクタになって電車で自分の家に帰ってきて
、また、自分の家のご飯を作ります。
たまに、お手洗いのお手伝いをすることも。
そんな生活になってみて、
初めて実感したこと。
私が元気っていうことが、
こんなに幸せなことなんだと。
なんだか、いっぺんに
たくさんの幸せに気付いた気がして、
今更ながら、
母に感謝しています。
大っキライで、大好きな主人の母。
明日は嵐山の桜を見に行きます。
あと何回、母と満開の桜が見られるのかな。
そして、今、母にこうしていることが
正解だったのか、不正解だったのか、
そんなこと、一生分からずに、母のように鈍感に、でも素直に、
主人と生きていけたらいいなぁと思います。
義母の介護・・・
そりゃぁ、大変だけれども、
捨てたもんじゃぁ、ないですよ