年末年始を大阪の彼の実家で過ごすことは、だいぶ前から決まっていた。そこには、愛犬・プーちゃんと愛猫・のんちゃんがおり、その2匹と遊ぶことも楽しみのひとつだった。実は猫が苦手な私は、のんちゃんと遊ぶことによって徐々に猫を好きになろうと目論んでもいた。
ところが先日、のんちゃんが突然死んでしまった。
死の前々日、偶然彼が帰省していて、その時は特に変わった様子はなかったそうだ。彼がPCに向かっていた数時間、膝の上でゴロゴロしていたとのこと。それだけに、びっくりした。
彼の両親がのんちゃんの異変に気付き病院に連れて行った時には、手の施しようがなかったのだそうだ。「腎盂炎」という病気だった。
彼の膝で寝転んでいたときも、もしかしたら本当は辛かったのかもしれない。その辛さを伝えられなかったのではなく、悟られないようにしてたのかもしれない。
のんちゃんをとても可愛がっていた彼の家族は大丈夫だろうか。
のんちゃんの異変に早く気付かなかったことを悔やんでいるのではないか。
そんな心配の後に、なんともいえない恐怖が襲ってきた。
いつかポンポン丸にもこんな日が来るのだろうか。
その日が、その瞬間がきたら私はどうなってしまうんだろう。
そんなとき、彼の元にさらにもう一つ訃報が届いた。彼が昔一緒に仕事をしていた方が、同じ日に肺がんで亡くなったとのこと。私はその方をまったく知らない。でも、36歳という若すぎる死であること、そして彼には奥さんと3歳の子供がいること、彼も奥さんも完治すると信じて強い気持ちで闘病し、結果無念の最期を迎えたということ・・・そんなことを聞いて、ますます怖くなった。
もし私の愛する人が生死にかかわる病気になったら?
私は強い気持ちを持って、共に闘えるだろうか。
仮定で話をするのは、なんだか失礼な気がした。正直、それまで受けたことのない位の大きな衝撃を受けるんだろうなといった、漠然とした想像しかできないからだ。安直な想像をして憂うよりも、今の健康が長く続くことを祈る方がましだ。
一方で、いま懸命に育とうとしている命がある。私のごく身近な人が、妊娠しているのだ。
いまはまだ、小さな小さな命。
でも確実に生きている。それがとても嬉しい。とても愛おしい。
生命の誕生って、なんて神秘的なんだろう。こんなにも素晴らしいことを、私もいつか経験できるだろうか。
死を恐れ、生を尊んだその日の晩、彼と飲みに行った居酒屋で隣に座った看護士さんがこう言った。
「大丈夫!人間はそう簡単には死なないから」
その言葉が、揺れに揺れていた私の心を落ち着かせてくれた。
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「ひょうよりも らいおんさんに にているよ」 