長男妊娠中の臨月、里帰り出産のときされたこと。


今なら里帰りなんて何のプラスもないどころか激しく心身消耗するだけだとわかっているが、まだあの頃の私は親孝行のためにという思いがあった。

同郷の夫も、出産予定日がちょうど繁忙期であることもあって、当然のように里帰りを勧めてきた。

大学へ入って実家がおかしいのではと思い始め、実家から逃れたくて夫と結婚し隣県に新居を構えたのに、しばらく離れていたことで実家がおよそ育児に適切な環境でないことを忘れてしまっていた。産後の世話をしてもらえる上、母の機嫌が取れるならいいことだと思ってしまっていた。

私も夫も息子も母でさえもだれも得することなどなかったのに。


初めての妊娠はつわりが終わればとても順調に過ぎていった。

母子手帳の記録は全て理想とされる数値が書かれていき、体調もよく、自宅に自分であれこれ悩んで選んだベビーグッズを揃えて行くのが楽しかった。

当時は派遣で仕事をしていたため早めに退職をし、妊娠8ヶ月頃には実家へ移動した。


この時の実家は私の生家ではなく、長い間住み慣れた思い出の家でもなく、両親が無理やり買ったマイホームのローンを払えなくなり家を売却・自己破産の末に引っ越した借家だった。

夫との結婚前に住んでいたのは3年ほど。思い入れはさほどないが、家族がみんな大きくなってから住みはじめた上、私と姉は家を出ており、それほど家財も多くなくきれいな家のはずだった。


もちろんそんなはずはなかった。


汚屋敷マイホームを手放したときにこれでもかと物を捨てたはずなのに、リビングの壁は謎のDIYによりカラーボックスが無秩序に取り付けられその中は本や書類がぎっしり。

階段には古い漫画雑誌か積み上げられ、とてもじゃないがお腹の大きくなった妊婦は通れない。

各部屋は床まで物があふれ掃除機をかけるのは不可能だった。

極めつけのキッチンは冷蔵庫は年単位で賞味期限の切れた食材でパンパン。床にまで食材が溢れ積まれ、油とカビで黒くドロドロになっていた。

引越し前の汚屋敷で育った身として覚悟はしていたが、「赤ちゃんのために毎日掃除してるからね」を信じてしまっていた自分に怒りがこみ上げた。


そこから出産までは片付けの日々。

与えられた和室とキッチン風呂トイレの共有ゾーンのカビ取りを必死にやった。

初孫に舞い上がった両親は中古ショップで次々に新生児肌着やら布おむつやらベビーベッドを買ってくれたので毎日それらをきれいにして過ごした。

なんとかきれいになった和室のカビだらけの押し入れを雪崩のように開放し、20年以上前のシミとカビ塗れの弟のベビードレスを引っ張り出してきたときは、自分で作ったからと固辞した。


食事の準備も私がせざるを得なかった。

前述の通り、食材は基本的に賞味期限が切れている。母は買い物依存症なので毎日買い物へは出るのだが、律儀に先入れ先出しをするので、調理に使われるのは一週間以上前の食材がほとんどだった。

第一子妊娠ということで自身の食生活に大層気を使っていた私は台所の支配権を無理やり母から奪った。冷蔵庫の古い食材を捨てまくり、その日買った食材を調理し、自分の健康を考えたメニューを食卓に並べた。

とはいえ居候の身ではあるため、日常の調理には影響のない製菓材料や珍しい調味料などは手を付けないで残しておいた。


そんな生活を続け母と穏やかな関係を保てるはずがなく、毎日口喧嘩が絶えなかった。

臨月となったある日、母は私の捨てようとした食材をまだ食べられる!もったいない!ここはお前の家じゃない!と言い放った。

この日の爆発まで、間違っているとは思わないが好き放題やらせてもらった負い目はあったので、私は仲直りの印に一緒にお菓子作りをすることを提案した。

その提案に母も落ち着き、一緒に買い物へ出た。メニューはレアチーズケーキ。

先程賞味期限も確認せずに捨てようとしていた古いクリームチーズは母が自分で使うからと、新しいものを購入しようと言った。

母のことだから家にあるチーズを使おうとするとばかり思っていたので、びっくりすると同時に私に対する食材は気をつけてくれる気になったのだと嬉しかった。私は全面的に反省し、お菓子作りの材料はすべて自分の財布から新しいものを購入した。


帰宅し母が材料と器具を準備してくれるというので私は手を洗いに洗面所へ。

キッチンへ戻るとクリームチーズはすでにボウルの中に出されていた。

レシピではクリームチーズの出番はもう少し後になるはずだったので違和感を覚えた。

入れ替わりに母がキッチンを出た隙にゴミ箱と冷蔵庫の中を確認すると、ボウルの中身は3年前に賞味期限が切れたもの、冷蔵庫の奥には先程ったクリームチーズがたくさんのゴミ同然の食材に隠される様にしまわれていた。


・古いのは使わないと宣言していたこと

・私が買った食材であること

・私に隠して入れ替えたこと

・こんな方法で騙せると侮られたこと

・古いとはいえまさか3年前だとは思わなかったこと

・臨月の娘にそれを食べさせること


色々などうして?が一気に駆け抜け何も考えられず、その後はとにかく手早く完成させた。


夕食は久々に姉と弟も揃い、家族全員で囲む食卓となった。

母は私と作ったと意気揚々とチーズケーキを振る舞う。

私は母以外の家族にラインを送り、3年前の毒ケーキだから食べるなと釘を差しておいたのでもちろん誰も食べない。 

全くバレていないと思っている母はなぜだと怒り狂い、父は言葉を濁しなだめるだけ。

私はやけ食いのようにみんなが残したケーキをすべて平らげた。


このときは母のような存在が信じられずひたすらショックだったが、今書き出して、母を咎め、私に食べるなと言ってくれない父も相当だなと思えたので、気づきがあってよかった。

当時はこのまま流産し両親と絶縁できたらそれでいいと思っていた私も病んでいた。

幸か不幸か私の体はなんともなかったので、長男は生まれたし、両親とも絶縁できなかった。