今回はマジな話です。
 上差し大学時代に友達にもらったもの。名前も忘れてしまったけれど。玄関ドアに飾ってます。



 私の雛人形は、最初からこんなのだったわけではありません。普通の七段飾りでした。

 いつから記憶があるのかな………幼稚園時代くらい❓💦

 とにかく子供心に、煌びやかで大好きでした。

 しかし、この雛人形には曰くがあります。

 昭和40年代前半の話です。
 私が生まれた時、母の実家から初節句として幾らかの現金が送られてきたとのこと。

 母は、せっかくだからと松屋町に雛人形を買いに行きました。

 「大層にしなくていいわ」と思い、男雛女雛と金屏風・桃の花・ぼんぼりだけ購入したらしいのですが

 祖母(私の父の母)つまり母にとっては姑が

 「こんな役にも立たん贅沢品を」と嫌みを言ったと。

 
 母にしてみれば、自分の実家から送られたお金で買ったし、なぜ初節句に文句をつけられるのか❓( ゚皿゚)( ゚皿゚)( ゚皿゚)と、怒り心頭🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥

 母は気性の激しい人で「それならいっそのこと、7段全部揃えたるっ」と考え、毎年一段分づつお人形と道具を揃えていったらしいです。

 完全に、(私の)祖母への当て付けです。


 この話がどこまで本当かはわかりません。とにかくややこしい人間関係の家で、毎日罵声の飛び交う家でした。

 この話も、祖母憎しでもしかしたら母が私に盛って話したことかもしれません。


 

 しかし、雛壇飾りを出すのは面倒くさい。いつしか母も、出してくれなくなりました。


 「お雛様出して」と頼んだら「あああ~面倒くさいなあ~❗あんた自分でやり❗」と言う母。

 しかし、子供が一人でできるわけがありません。ちなみに私は一人っ子。協力し合える兄弟姉妹はいません。


 一緒にやってほしいと頼んだら、手伝ってはくれましたが

 雛人形をガン❗ガン❗と叩きつけるように置く。壊れはしなかったけど。

 眉間に皺を寄せながら暴力的に雛人形を並べる母を見て

 「ああ、もうこの人にはものを頼んだらあかんのやな。」と。

 これが小学5年か6年の時だったような気がします。


 それから、いつしか自分も中学・高校生となるにつれ忙しくなり、お雛様を出さなくなりましたが

 大学生の時などは平安美を見たい一心で一人で出してました。

 母は、私が結婚する前にガンで亡くなりました。(祖母はその一年前に脳関係で死去。)

 お雛様は一式、結婚の時に実家から持ち出しました。

 住んだのは、狭くてボロい夫の社宅。
子供が小さいうちは出せませんでしたが、奈良で一戸建てを購入してから、極力出すようにしてきました。

 
 出だしは、あまり良い思い出のない私のお雛様。 実家の事も、あまり思い出したくない。墓に参る気もありません。

 母が祖母への当て付けのために買った雛人形。別に、母を偲ぶために出しているつもりもありません。

 ただ、美しく煌びやかな平安美を見たいだけ。

 数をどんどん増やしているのをあの世から見ているのだとしたら、母も祖母も多分、

「こんな役にも立たんもん買うてあほちゃうか❗」と思ってるんやろーな。


 何とでも言わば言え‼️(。-∀-)ニヤリ

 今は私の心の栄養になってるんやから。


 足腰立たんようになるまでやるで。


 😁😁😁😁😁😁😁😁😁