おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~ -20ページ目

おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

    ことしはきうてんさまのおんとし

(((∩´∀`))∩

ひ、ひばり……

 

大好評

『パパ三郎訪問記』!

 

自愛も虎千代も彦九郎さんですらも出てこないけど、

おら三郎は

ただただ

山科さんのふあんなのだった(・∀・)

 

天文二年 七月廿四日

 

廿四日、

乙丑、曇、天晴、

四過時分三郎鷹野(雲雀)へ出候、飛鳥、予、蔵人

各同道候了、へきの八幡にて津島之鱈、右近湯漬振舞

候了、津島之天王見物、暮々帰宅候了、雲雀四十餘取

候了、

※四過時分…巳(午前九~十一時)と

亥(午後九~十一時)の刻、

を過ぎたので

お昼頃かな?

 

※へき之八幡…日置八幡宮、と思うので、以下の地図にて、

上から勝幡、津島、日置八幡宮、わかるかなあ(^_-)-虫めがね

※津島之天王…おそらく牛頭天王の、

尾張津島天王祭(いろいろ詳しくまつりHP)、

 

鷹野でひばり(´・ω・`)

山科さん、複雑なおもいの同道だったろな…

小鳥大好き(無興なあの日)だからなあ…

 

案外、

鷹野の獲物の定番だったらしいから、

食用って割り切れるもんなのかなあ、

…

いづれにしても

さすがさぶろうのパパ、

パパ三郎のやることやね~

ここにだけ血脈感じるぅ~(`・ω・´)

 

本日

七月廿四日は、

三郎鷹野…

飛鳥、予、蔵人  各同道

 

の日!

 

 

 

 

本日七月廿三日は、

 

勢多橋欄干事申付之条

の日!

 

以下

書状特別紹介!

天正三年七月廿三日

 

勢多橋欄干事申付之条、甲賀中大工悉山岡美作守

申次第可遣候、但我々所用勤大工者、可相除候也、

    七月廿三日      信長(朱印)

      瀧川左近とのへ 

※山岡美作守…山岡景隆(1525~1585)、

景佐(1531~)の兄貴だとさ

 

え~たっき~同い年~(・o・)あにきぃ~~

甲賀中大工の総督みたいな面してたみたい~

 

ということで、

本日

七月廿三日は、

 

勢多橋欄干事申付之条

の日!

なんやかやこのころは

けんみんちがさまざま活用されてたみたいやね

びびりながらも慣れたけんみ…

( _´ω`)_「いやはや瀧左様、先日はほんにその…、

よくぞまいられました…、

景佐どの、風呂場の御案内たのむえ」

かげさ(-.-)「あにき、こちらへおまかりあれ!

御背中ながし…あ、

いや、あの、単なる決まり文句でさぁ、

あの、へへ…(あぶなかった…)」

キラキラ(-_-)キラキラ

 

本日七月廿三日は、

 

山岡對州、

瀧川左近充来、

石風呂所望

の日!

 

以下

けんみの日記の部分紹介!

(→五百年記念年のはこれ)

天正元年 七月廿三日

 

廿三日、辛丑、

令渡邊在城一条(乗)寺、以稲葉伊与守扱退城了、

即東之郷以人足悉破却了、當所人足之事申理、

無別儀也、山岡對州・瀧川左近充来、

石風呂所望之間申付也、羞夕飡了、

明智十兵衛尉以使者案内也、明日山本館へ令手遣、

今夜此方へ来、直ニ彼館へ可出陣之由申也、相意得

之由返事了、及暮明十来、五十人余在之、明朝

各(確?)認之儀可申付之由被申之間、用意了、

※羞…しゅう、すすめること

※手遣…軍勢を出動させること、へえ~(゜o゜)

※山岡對州…山岡景佐(1531~1589)たっきーよりちょい下、

舎弟分なんだわな

けんみとはじつこん気味だから、よく来る

今回は、

(多分)いくさまえのネギライ、

景佐が瀧左様に

石風呂おすすめしたんやないかな

 

※渡邊…渡邊昌、

なんやこのときは稲葉一鉄がその剛腕で退城さしたってさ

 

・元亀三年(1572年)には、

十兵衛の与力の磯谷久次の彦四郎の元服に、

渡邊重、昌兄弟が参列したらしいよ

そのあとの寝返り離脱って感じみたいよ

それで

十兵衛( `ー´)ノ「ぶっころす」って、

たっきーの石風呂の焼き石みたいに

やっきになっとるんかな?(゜.゜)…

 

まあ、こんな御粗末なやつ

御始末したのが

人事権争いにおけるじうべえのライバル、

という噂の

一鉄おやぢだけど、

まさかもしかして御取合ぢゃないよね…

 

※山本館…山本実尚

「御湯殿上日記」によれば、

永禄十二年(1569年)三好三人衆の配下にて、

将軍山城を焼いているらしい…

他にはあんまり情報ないけど、

三好三人衆が出てきたらなんもかも

おしまいやもんね(・ω・)

 

この日以降、

天正元年 七月廿四日を最後に、

次は

天正三年までけんみの日記無いんだよね…

いろいろあったんだろうねえ…(^_-)-サーチ

こわいことがね…

 

本日七月廿三日は、

 

山岡對州、

瀧川左近充来、

石風呂所望

の日!

 

※おまけに廿四日の日記※

 

二十四日、壬寅、

早天明十出陣、各認之義申付了、

山本館在所悉放火、未落城也、

※これにて、けんみの日記は天正三年まで無いのである※

 

おもえば、

山科さんの「元亀二年の暮」も、

この「天正元年七月の廿四日」も、

どちらもじうべえが登場して、

御日記が途絶えちゃうんだよねぇ…

 

うむふむ(-_-)…

…( ..)φメモメモ、ですね!