なんやかやこのころは
けんみんちがさまざま活用されてたみたいやね
びびりながらも慣れたけんみ…
( _´ω`)_「いやはや瀧左様、先日はほんにその…、
よくぞまいられました…、
景佐どの、風呂場の御案内たのむえ」
かげさ(-.-)「あにき、こちらへおまかりあれ!
御背中ながし…あ、
いや、あの、単なる決まり文句でさぁ、
あの、へへ…(あぶなかった…)」
(-_-)
本日七月廿三日は、
山岡對州、
瀧川左近充来、
石風呂所望
の日!
以下
けんみの日記の部分紹介!
(→五百年記念年のはこれ)
天正元年 七月廿三日
廿三日、辛丑、
令渡邊在城一条(乗)寺、以稲葉伊与守扱退城了、
即東之郷以人足悉破却了、當所人足之事申理、
無別儀也、山岡對州・瀧川左近充来、
石風呂所望之間申付也、羞夕飡了、
明智十兵衛尉以使者案内也、明日山本館へ令手遣、
今夜此方へ来、直ニ彼館へ可出陣之由申也、相意得
之由返事了、及暮明十来、五十人余在之、明朝
各(確?)認之儀可申付之由被申之間、用意了、
※羞…しゅう、すすめること
※手遣…軍勢を出動させること、へえ~(゜o゜)
※山岡對州…山岡景佐(1531~1589)たっきーよりちょい下、
舎弟分なんだわな
けんみとはじつこん気味だから、よく来る
今回は、
(多分)いくさまえのネギライ、
景佐が瀧左様に
石風呂おすすめしたんやないかな
※渡邊…渡邊昌、
なんやこのときは稲葉一鉄がその剛腕で退城さしたってさ
・元亀三年(1572年)には、
十兵衛の与力の磯谷久次の彦四郎の元服に、
渡邊重、昌兄弟が参列したらしいよ
そのあとの寝返り離脱って感じみたいよ
それで
十兵衛( `ー´)ノ「ぶっころす」って、
たっきーの石風呂の焼き石みたいに
やっきになっとるんかな?(゜.゜)…
まあ、こんな御粗末なやつ
御始末したのが
人事権争いにおけるじうべえのライバル、
という噂の
一鉄おやぢだけど、
まさかもしかして御取合ぢゃないよね…
※山本館…山本実尚
「御湯殿上日記」によれば、
永禄十二年(1569年)三好三人衆の配下にて、
将軍山城を焼いているらしい…
他にはあんまり情報ないけど、
三好三人衆が出てきたらなんもかも
おしまいやもんね(・ω・)
この日以降、
天正元年 七月廿四日を最後に、
次は
天正三年までけんみの日記無いんだよね…
いろいろあったんだろうねえ…(^_-)-
こわいことがね…
本日七月廿三日は、
山岡對州、
瀧川左近充来、
石風呂所望
の日!
※おまけに廿四日の日記※
二十四日、壬寅、
早天明十出陣、各認之義申付了、
山本館在所悉放火、未落城也、
※これにて、けんみの日記は天正三年まで無いのである※
おもえば、
山科さんの「元亀二年の暮」も、
この「天正元年七月の廿四日」も、
どちらもじうべえが登場して、
御日記が途絶えちゃうんだよねぇ…
うむふむ(-_-)…
…( ..)φメモメモ、ですね!