イタリア外務省の機関として日本には、
東京の大使館と大阪の総領事館がある。
もうたっぷり20年近く経つので、
当時そこそこの年齢に見えたあの職員さんも
おそらくもう勤めていないだろう。
その頃わたしは念願叶ってようやくようやく、
イタリア国の就労ビザを貰うことになった。
相当に長い道のりだった。
仕事があり正規に採用されていても
(つまり税金を払っていても)
イタリア政府が一年に出す就労許可には限りがあり、
この人数枠に入らないと駄目だった。
この「枠」というのは国別で、例えば
モロッコ… 9000人
アルバニア… 6000人
ルーマニア…5000人(当時まだEU加盟前)
フィリピン…3000人
ざっくり言うとこんな感じで、さらに
アメリカ…60人
カナダ…40人
スイス…15人
ニュージーランド…15人
こんなふうに続く。
人数はもう忘れたので適当に書いたけど
だいたい言いたいことは伝わると思う。
そして日本人枠はといえば… …
10人 またはそれ以下
イタリア全土で。
もう、極めて狭き門だった。
いわゆる経済大国と呼ばれるような国籍の人には、
「自分のとこで働いておけ」とでも言わんばかり。
イタリア人の労働を横取りするなという見方があった。
その外国籍ならではの、母国語や専門性を活かした仕事だと
判断されないと許可は出にくかった。
それに対し、内戦や貧困その他もろもろの理由で
アフリカや東欧諸国からイタリアを目指してきた人たち、
彼らには人道的な待遇が成されていた、という事になる。
とにかく何度目かの挑戦でようやく私にも
被雇用者として就労許可がおりることになり、
さらに数カ月の待期やら何やらを経てようやく最後まで来た。
日本のイタリア大使館でビザを発効してもらうのである。
イタリア大使館へ行く、とサラッと書けば1秒だが
それなりのチケット代を払い日本と往復し、
さらに大使館なり総領事館まで足を運ぶわけ。
だが、それまでの谷あり谷あり な道のりを思えば
そのくらい何てことはない。
長かったァ…と感慨も深く、
領事部にてパスポートを出し
「就労ビザを受け取りに来ました」。
Yeahhhhh
そこで窓口の人の第一声。
こちらの方は見ずに ボソッと
「 でるわけないでしょ。」
私「・・・・・(?)」
沈黙。
え、いま私に言った???
ホントこういう時は黙っているに限る。
感情的に何か言い返しても、何の得にもならない。
わざわざ相手に掛ける私の声が、もったいない。
こちらはついにビザを貰うので気分は上々。
目の前の人が不機嫌でも、
開口一番なにか八つ当たり的なことを言ったとしても
それは向こうの都合であって私には関係ない。
とかいって、
実際のところは 思いがけない反応に
ぽかーんとしてしまい
言葉も出なかったという方が正しい。
カタカタとコンピュータに私の名を入力したらしく
一瞬の間をおいて
「えおっ、あった」
(小声でも聞こえとるよ)
全身で驚く
あのリアクション今も覚えてる。
「あるから来てるんですヨ」と声に出さず言う。
あらー とか えぇーー とか
何やらボソボソと 独り言は続いた気もするが
然るべき手順でビザ付きパスポートを戻されるまで、
私はずっと黙っていた。
別に不快だとか、ムッとするだとか
全然そんなこともなくて
実物を手にするまでは信じまい、
あと○分、あと○秒 と
アタマの中で歓喜のカウントダウンしていただけ。
ありがとうございましたと手続きのお礼を言って
立ち去るときの清々しい気持ち、
あの
爽 快 感 & 解 放 感!
嬉しかったー。
忘れられない。