大使館窓口の人 | イタリア便り 甘い&辛い Italia dolce ed amaro

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北イタリア暮らし28年目
Dolce 甘い Amaro 苦い Piccante 辛い Salato しょっぱい、な日々

イタリア外務省の機関として日本には、

東京の大使館と大阪の総領事館がある。

 

もうたっぷり20年近く経つので、

当時そこそこの年齢に見えたあの職員さんも

おそらくもう勤めていないだろう。

 

 

その頃わたしは念願叶ってようやくようやく、

イタリア国の就労ビザを貰うことになった。

 

相当に長い道のりだった。

 

仕事があり正規に採用されていても

(つまり税金を払っていても)

イタリア政府が一年に出す就労許可には限りがあり、

この人数枠に入らないと駄目だった。 

 

この「枠」というのは国別で、例えば

 

 モロッコ… 9000人

 アルバニア… 6000人

 ルーマニア…5000人(当時まだEU加盟前)

 フィリピン…3000人 

 

ざっくり言うとこんな感じで、さらに

 

 アメリカ…60人

 カナダ…40人

 スイス…15人

 ニュージーランド…15人

 

こんなふうに続く。

 

 

人数はもう忘れたので適当に書いたけど

だいたい言いたいことは伝わると思う。

 

 

 

 

そして日本人枠はといえば… …  

 

10人 またはそれ以下

 

イタリア全土で。

もう、極めて狭き門だった。

 

 

いわゆる経済大国と呼ばれるような国籍の人には、

「自分のとこで働いておけ」とでも言わんばかり。

 

イタリア人の労働を横取りするなという見方があった。

その外国籍ならではの、母国語や専門性を活かした仕事だと

判断されないと許可は出にくかった。

 

それに対し、内戦や貧困その他もろもろの理由で

アフリカや東欧諸国からイタリアを目指してきた人たち、

彼らには人道的な待遇が成されていた、という事になる。

 

 

とにかく何度目かの挑戦でようやく私にも

被雇用者として就労許可がおりることになり、

さらに数カ月の待期やら何やらを経てようやく最後まで来た。

 

日本のイタリア大使館でビザを発効してもらうのである。

 

イタリア大使館へ行く、とサラッと書けば1秒だが

それなりのチケット代を払い日本と往復し、

さらに大使館なり総領事館まで足を運ぶわけ。


だが、それまでの谷ありダウン谷ありダウン な道のりを思えば

そのくらい何てことはない。

 

 

長かったァ…と感慨も深く、

領事部にてパスポートを出し

 

「就労ビザを受け取りに来ました」。

 

 

 

 

Yeahhhhh 

 

 

 

そこで窓口の人の第一声。

 

こちらの方は見ずに ボソッと

 

 

「 でるわけないでしょ。」

 

 

 

 

 

私「・・・・・(?)」

 

沈黙。

 

え、いま私に言った???

 

 

ホントこういう時は黙っているに限る。

 

感情的に何か言い返しても、何の得にもならない。

わざわざ相手に掛ける私の声が、もったいない。

 

 

こちらはついにビザを貰うので気分は上々。

目の前の人が不機嫌でも、

開口一番なにか八つ当たり的なことを言ったとしても

それは向こうの都合であって私には関係ない。

 

 

とかいって、

実際のところは 思いがけない反応に

 

ぽかーんとしてしまい

言葉も出なかったという方が正しい。

 

 

 

 

カタカタとコンピュータに私の名を入力したらしく

 

一瞬の間をおいて 

 

「え、あった」

(小声でも聞こえとるよ)

 

全身で驚く  真顔

 

あのリアクション今も覚えてる。

 

 

 

 

「あるから来てるんですヨ」と声に出さず言う。


 

あらー とか えぇーー とか

何やらボソボソと 独り言は続いた気もするが

 

然るべき手順でビザ付きパスポートを戻されるまで、

私はずっと黙っていた。

 

 

別に不快だとか、ムッとするだとか

全然そんなこともなくて

 

 

実物を手にするまでは信じまい、

あと○分、あと○秒 と

アタマの中で歓喜のカウントダウンしていただけ。

 

 

 

ありがとうございましたと手続きのお礼を言って

立ち去るときの清々しい気持ち、

 

あの 

 

 

爽 快 感 & 解 放 感!

 

 

嬉しかったー。

 

忘れられない。