次男がインフルエンザ(今度はB型)中で、会社はお休みしいるので
普段見れないテレビを見ようと
近頃気になってる心屋仁之助さんが出ているナイナイアンサーを録画して見てたの。
ギャル曽根ちゃんのところ、お兄ちゃんのお迎えの時間になったので途中で終わりにしたんだけど、さっき心屋仁之助さんのブログ↓を読んだら…
いいこと書いてあってさ~~
あぁ、私にも当てはまるところあるある…
と思ってたの
母の苦しみも、これかな~~なんて考えたり。
そしたら…急に、吐き気が~~~
なんだこれは…
相当大きなブロックがあるのかしら…
(勝手な予想)
いったん思考をシャットアウトして、楽になったけど
こうしてブログに書き出したらまた…
おぇ~~~
私には捨てられた経験はありません。
ないけど、父は自分の思う通りにならないとすぐに機嫌が悪くなり
私達子供を怒り、叩き、従わせて
最後には母が『おまえの躾が悪い!』と目の前で思い切り叩かれる姿を見る…という、私にとってはものすごい恐怖の中で育ちました。
(もちろん、それは機嫌の悪い時であり、
それ以外は子供命で、沢山沢山愛情も注いでくれたので、怖かったけど大好きでした←矛盾してるよね)
母は、理不尽な事で怒られる事に当然納得がいかないけれど、逆らうと子供にとばっちりが行くのでひたすら我慢…
そして父に怒られるから、と言われたことをやるように私達を叱る(でもそれは鬼のような形相ですごくすごく怖かった…後に私達を守るためにただただ必死の思いだったことを知りました)。
そんな日常だったので(私の記憶ではね)両親に怒られるのが怖いからとにかく怒られないように、褒められるように…
という思いから
いつも笑顔で
いつも楽しく
いつも元気に
「心配掛けないように」
「わたしは、幸せよ」
「わたしは、楽しく生きてるよ」
と、頑張って生きてきた。
…うん、そうなんです。
家族の前でそう演じてた自分に社会人になってから気がついた。気がついても苦しかった。
(ここは、もうその時の気持ちを認められてるのでラクになりました。
父と母の行動も、私達に対する愛情が故のことであることも、ようやく受け止められて乗り越えたところです)
…でも、そこで植わってしまった思い込みがあったんです。
母は、私が小学3年生ぐらいだったかな~長女の私によく父の愚痴を言っていました。
とにかく大っ嫌いだと
上から目線で、人をバカにした言い方しかできなくて、人として最低だって。
確かにその通りで私も母の気持ちはよーーーくわかるから聞いていたけど、
でもそれでも怖かったけど大好きだった父なので
いつ大きな夫婦げんかになるか?
いつ母から『離婚』っていう言葉が出るかビクビクしてたんだと思う。
だから、
「捨てられたことはあるけれど、捨てられる人ではない」ということ。
「捨てられるという経験はしたことはあるけれど、
捨てられる『ような価値』のひとではない」ということ。
ここを「知る」必要があります。
ここ読んだら、あ…そうなんだ!ってラクになった。
(捨てられた訳ではないから
自分の立場におきかえて読んでいます)
…私は捨てられるかもしれないものすごい恐怖の中にいたけど、捨てられる『ような価値の人ではない』んだ…うぅ
そして仁さんの言葉は続きます。
・愛されてても、捨てられることもある
・幸せでも、裏切られることもある
・楽しくても、タンスの角で小指を打つこともあるということ。
「出来事」と「自分の価値」は関係がないのです。
ただし
「出来事」と「自分が思っている自分の価値」は関係するのです。
そう、結局は自分の考え方だということ。
体験した出来事が自分の価値観を作るけど、『自分の価値』とは関係なかったんだ…
なんだ~そうだったんだぁ~~私、ちゃんと価値あったんだ。
自己肯定感が低くて、なかなかそこ拭えなくて、でも色々な人のおかげで少しずつ少しずつ認められるようになってたけど、
それでもまだ認められない自分がいたのは思い込みで
私の価値はちゃんと、どんなときもそこにあったんだね
そっか…。ハハハ…。
ずっとずっと苦しかったな~
うん、苦しかったよ
だって我慢してたんだもん。
嫌だったんだもん。
言いたいこと言えなかったんだもん。
私にはどうしようもなかったんだもん。
いい子にしてるしかなかったんだもん。
怖いパパもママは大っ嫌いだったけど、
でも大好きだったんだもん。
そして、その
「捨てられた悲しみ」「捨てられた怒り」
全部感じて全部吐き出したら
もしかしたら
「しかたがねーなー、あのバカ、特別に許してやるか」
と、次のステップに進めるかもしれません。
「想い」は吐き出さないと
心の中に溜まって行くのです。
そして
「わたしは吐き出している」
「でも、すっきりしない」ときは
「まだ、本音を吐きだしていない」
ということなのです。
「本音だと思っているものは、ただ八つ当たり」
本音だと思ってたことは、ただの八つ当たりってあたりかも。
だって、自己肯定感が低いの親のせいにしてたものね。つい最近、なっちゃんに気がつかせてもらったことだけど!
私の価値にも、言いたかったことにも
気がつけて、良かった
そうそう、じんさんも言ってたけど、
周りの人の態度は自分の言いたいことを投影してるって。
この仕組み…みんな誰でもそうなってるなんて、すごく面白いね
あーーー!一つ思い出した。
さおりさんの初級講座で最初、仕事の事突っ込まれた時に
「認められてると自分で感じられそうだから」っていうような事を答えて
さおりさんに「それをすると、満足できそうなんですね?」って言われて「…たぶん…そうかな~」と答えたんだけど、
今までそう答えたことにずっと違和感があって、度々思い返してたの。
だって、それって外側に求めてるし
認めるかどうかは、自分次第じゃん?って。知ってるのになんで、そう答えたんだろう??って
頭では分かってたけど、心はまだ受け入れられなかったんだね。きっと。
言いたいことがあったんだね。
この事に気がつくために私はあの時口にしたのかもしれないね。
うん、急がなくていい。焦らなくていい。
私は私のペースで
心屋仁之助さん、ギャル曽根ちゃん、
そしていろんなこと気がつかせてくれる
みなさんありがとう