画像フォルダの容量が・・
倒れるときは前のめり、ぽむ吉です。
今の画像フォルダの状態です。
フォルダ内の画像: 97 枚 (使用容量 11.31MB/20.0MB)
およよ、もう半分以上使っちったー。
使い終わってしまったらブログ引っ越ししないとなぁ。急に容量無制限とかにならないかな(笑)
近代建築探訪⑩ ~ 旧愛日小学校
今回の近代建築は、旧愛日小学校(昭和4年)です。
取り壊しが決定しています。
平成2年に開平小学校と合併し、廃校となりました。
淀屋橋のど真ん中にあるので、少子化の流れには逆らえなかったのでしょうね。
あの社民党の辻本清美女史の母校でもあるそうです。知らなかった。
元校庭は駐車場になっています。
校舎をつたう蔦が歴史を感じさせます。
こんな趣のある校舎を取り壊すのは悲しいですよね(何回このコメントをしたことか。。)
特に卒業生の方は思い出がたくさんある校舎なので複雑な心境なのではないでしょうか?
この写真を撮ったのはかなり前なので、もう取り壊しされているかもしれません。
また近くに行ったら、立ち寄ってみるつもりです。そのときはまたレポートしますね。
ガンダム展に行ってきた。
ガンダム展に行ってきました。
天保山のサントリーミュージアムで開催されています。
期間は2005年7月15日(金)~8月31日(水)
入場料は1,000円でしたが、ぽむ吉は金券ショップで事前に購入していたので900円でした。
天保山へはJR大阪駅から天保山行きのバスで40分ほどです。アクセスはちょっと悪いのですが、
そこは大のガンダム好きなのでわくわくしながら行ったのです。
テーマは「来るべき未来のために」
ぽむ吉的に解釈すると、、
ファーストガンダムの初回放映から4半世紀。
リアルタイムで見ていた世代も30~40代となり社会での中核を担っている。
ガンダムから受けた影響はあまりにも大きい。
今世界はテロ、環境汚染、民族紛争等混迷を極めている。
ガンダムという物語から何かを構築できるではないか。
アートを通じてガンダムの再評価、そして未来像の構築してみようではないか。と
期待を抱きつつ、天保山のサントリーミュージアムに向かったのです。
えーと、最悪でした。
がらがらでした。
入ってから15分。そのときすでに出口のお土産コーナーでクリスタルガンダムを買って、
バス停に向かっていました。(一応買ってしまうのファンの悲しい性)
1/1コアファイターは確かに迫力がありましたよ。
でもね、『ビームライフル型毛筆』で過去の何を再評価したいのか、
もしくは何を未来像として毛筆に託しているのかまったく持って意味不明。
そして、超巨大セイラさんにいたっては、セイラさんを冒涜しているとしか思えない造詣。
頭にきてコメント等は一切呼んでいないのですが、作者はなにかトラウマでもあるのでしょうか?
それともぽむ吉がアートを理解できないだけでしょうか?
さらに、スペースコロニーへのアプローチというか、考察というかそんな空間もあったのですが、
なんかこう、なんともいえない切な系空間になっていたりと、15分しかいなかったのであまり詳細を
覚えてない(というか覚えたくなかった)のですが、未来を提示するどころか、ガンダムそのものの
価値を落としてしまってるじゃないか、こら!
もしもこのガンダム展を機にガンダムを知ろうとしてた人がいたとしたら、「あ、やっぱりいいや」って
言いそう。いや間違いなく言う。
唯一まだアートとしてよかったと思ったのが、ホワイトベース内のアムロの部屋が再現されていて、
そこにモニターがおいてあり、アムロのことを好き(そう)な青年を日常の風景とともに淡々と写している
空間がありました。(文章で説明すると難しい)
アムロの部屋と、現代の青年と日常風景がさほど違和感なく同じ空間に存在していたのです。
アムロの部屋は何度も繰り返しビデオ等で見ていたので、妙にリアリティを感じました。
ビデオは日常空間で見ていたわけで、なるほどその二つを組み合わせてもさほど違和感はないのだと。
自分がガンダム好きということを再確認できました。それだけ。
ガンダム展の着眼点はすばらしいと思うのですが、企画のつめが甘いというか、テーマが絞れているようで
まったく絞れていないので、作品に統一感がありません。
作品も勢いがあるものが少なく(巨大セイラさんはマイナスの方向で強烈、夢に出てきそう)、アーティストも試行錯誤したんだろうなとある意味同情したくなります。
とここまで書いてきたのですが、ガンダムは一人一人強烈な思い入れがあるのでなかなか難しいテーマ
だとは思います。でも次回があればまた見に行ってしまうんですけどね(笑)
Seamaster Aqua Terra
やけどの冷やしすぎで凍傷になりかけたことのあるぽむ吉です。
暑いですがみなさんいかがお過ごしですか?
ぽむ吉はクーラーかけすぎでアタマいたいので、今は扇風機でガマンしています。
去年の冬頃でした。お客さんのところに打ち合わせに行ったのですが、
決めなきゃいけないことが山ほどあり、気づいたら4時間も経過していました。。
ぽむ吉1人対お客様3人。大変だった。。
で、そのときまでは腕時計を持っていなかったのですよ。
持ってたらちょっとは時間配分等考えられたし、そもそも社会人として腕時計を持っていないのもどうかなあ。。
ということで冬のボーナスで買った腕時計がコチラです。
OMEGA Seamaster 「Aqua Terra」 です。
定価30万円。。ぽむ吉は20万円ほどで買いました。いまだと18~19万円くらいが相場みたいですね。
銀行で大金を引き出して、ATMに備え付けてある紙袋にいれて時計屋さんに行きました。
支払うときその紙袋から取り出して店員さんに渡したわけですが、購入につきあってくれた友達が
「見ててなんだか悲しくなった(笑)」とのコメントを残しつつ、念願の腕時計をゲットしたわけです。
最初はスピードマスターでも買うかなー?とか思っていたのですが、シーマスターを購入しました。
決めたポイントがココです。
奥にあるのがジム、その足元がワーゲンバス、奥の緑色が江ノ電です(それは今回関係ない)
見てほしいのが時計の裏です。透けてるでしょ?
シースルーバックって言うらしいのですが、透けてるから中の機械の動きが見えるんですよ!
カッコイー!!
ココが気に入って購入を決めたわけです。
ぽむ吉にしては高い時計を買ったわけですが、飲んでいる時に腕時計が話題なったときに
ひと言うんちくが語ることができるかどうかが大事なポイントだと思います。
「裏が透けてるんだよ、かっこいいでしょ?」って腕からはずして見せるだけで「へー」って言って
もらえますから(笑)
あ、もちろんお客さんとの打ち合わせのときにも役立ってますよ(笑)
『よろしかったでしょうか』考
つけなければ寝付けずに寝不足で頭痛。
だれか助けてください(笑)ぽむ吉です。
で本題なのですが、、
最近もう聞きなれましたが、コンビニとかで、
店員『○○と××、以上2点でよろしかったでしょうか?』
ぽむ『はい』
てなやりとりはほぼ100%の方が経験していると思います。まあこんな話が出ると『よろしいですか?』が正解だよなあ。という話になるのですが、このコトバは単に言葉遣いがヘンで片付けられるものではないと思うのです。
『よろしかったでしょうか?』というやりとりは、商品をレジに持っていったときに発生するやり取りです。
『よろしかったでしょうか?』は過去形です。
コンビニ店員はこう思っているはずです。
購入したいからその商品をレジまで持ってきているはずだ、購入を決定したのは棚から手に取った瞬間である。私はあなたの購入しようとしている意志を念の為に確認しているだけだ、と。
で、『よろしかったでしょうか?』という言葉が店員から(意識的or無意識に)紡ぎ出されると思うのです。
これがレジで、『○○と××、以上2点でよろしいですか?』となると、若干意味合いが異って聞こえます。
店員が客に向かってその場で、商品選択の確認を迫っていますよね。
念のための確認か、その場での確認か。
ちょっとの差のようですが、緊張感が走るのはどちらかといえば後者です。
『よろしかったでしょうか?』は他者との緊張感を強いるコミュニケーションの回避だとぽむ吉は考えます。
単に言葉遣いがおかしいのではなく、このような心理が働いていると思うわけです。
ちなみに最近若者がよく使用する『ビミョ~』も判断を避けるため使用する語彙ですよね。
是非はともかく、直接コミュニケーションには異常に気を使う時代であるということには間違いないと思うのでした。
近代建築探訪⑨ ~ 旧第一勧銀高麗橋支店 正面柱
いやー、朝の散歩はいいものですね(ジョギングではなかったのかい?)
今日はまあまあ涼しかったですし、写真も何枚かとりました。
でもって今の近代建築の典型的な保存がされている場所を見つけました。
今回の物件は『旧第一勧銀高麗橋支店 正面柱(上半分くらい)』です。
柱2本だけですが圧倒的な存在感です。例によってモノクロにしてみました。
在りし日の姿はこちらのホームページ で確認できました。
なんとも立派な建物ですよね。帝冠様式というのか、勉強になった。
1992年に取り壊され、1994年(?)に上の写真のとおり一部保存されています。
ビルの谷間にごく一部のみとりあえず移築してみました。というような悲しい保存方法です。
ないよりはマシですけどね。。こんな保存方法が多いのですよ。そんな環境でもオーラを
放っているというのはすごい事だと思います。
あと最近イメージ保存といって、建替え後も以前の形を取り入れたするのが流行っていますけど、
ぽむ吉はあまり好きではないですね。
大阪ダイビルのテラコッタもこんな風になってしまうのかな。。
ぽむ吉ブログも建物たちも取壊し前のアーカイブとなってしまうのはやはりつらいですね。
でもってアメブロの画像フォルダの容量をもう半分以上使っちゃったんですけど。。
これからどうしよー(苦笑)
近代建築探⑧ ~ 大阪ダイビル中央玄関のテラコッタ
みなさん3連休はいかがお過ごしでしょうか?
ぽむ吉は早くも夏バテ気味なんで、ゆっくりしているつもりです。
このまえ、ダイビルの中にできた『カボ・デルポニエンテ』 というスペイン料理屋さんに行って来たんですよ。ちょい高めですけど、なかなかおいしかったですよ。『喫茶大大阪』 もはやく行きたいなぁ。
そんなわけで近代建築好きのみなさん!今回もダイビルですよ!
大阪ダイビルは遠くから見たらシンプルなビルなんですけど、近くでみるとなかなかどーして凝った装飾(テラコッタ)です。国産のテラコッタが使われたのはこのダイビルが初めてなんだそうです。
陰影がよくわかるようにモノクロにしてみました。どうです?いいでしょー!!
そうとうな凝りっぷりですよね。
上にある像は、大国貞蔵作『鷲と少女の像』です。ご存知でした??
『鷲と少女の像』のアップです。
ちなみにこのビルを設計したのは、渡辺節(1884~1967)です。あの綿業会館 も渡辺節の作品です。
機能主義と合理主義、そして装飾性の調和がみごとに取れているのがこの大阪ダイビルです。
きっとビルの取壊し後も、テラコッタは一部保存され活用されるのでしょうけどね。
どうせならビルごと残してほしいなあ。。
失われたら二度と戻らない都市の歴史の深みがまたひとつ消えていくと思うとやはり切ないですね。。
興味を持った方はなくなってしまう前にぜひ見に行ってみてください。そのときは正面玄関の上を見上げてみてくださいね。
大阪の廃墟
ぽむ吉は廃墟好きというわけではないのですが(ちょっと惹かれる程度)、今回のテーマは廃墟です。
大阪の某所で見つけた廃墟です。
あまりのディープさにぽむ吉さんクラクラしてしまいました。
廃墟が放つオーラというか、瘴気というか、ただならぬものを感じたのです。
それがこちら、、
「ラピュタはここに落下したのかー」(うそ)
見つけた瞬間「ギョッ」としましたよ。「え、森!??」みたいな。
屋根からなんか木が生えてるし。。どれだけ間放置されたのだろう。。
たぶん蔵だと思うのですが、ツタがびっしりです。奥の木も高いんですよね。夜この近くを通ったらホント怖いと思う。。小さい子泣くぞきっと。
敷地も広いですし、きっとお金持ちのお屋敷だったのだと思います。
正面に立て札が立ててあったのですが、競売物件であり、業者が落札したのこと。
敷地内の駐車場に古いキャデラックがおいてあり気味悪さ倍増。
廃墟は在りし日の姿が立派であればあるほど、廃墟と化した時のギャップが大きくなります。
その落差が一部の人たちを惹きつけて止まないのでしょう。上の写真も不気味ですけど、同時に美しさも感じます。
コノ建物は廃墟マニアの方が侵入してしまいそうな物件なので、あえてアップの写真ばかりにしてみました。
場所はお答えできないのであしからず~。進入は危ないですし、犯罪ですから(笑)
近代建築探訪その⑧ ~ 明治村に行こう! 後編
で、ぽむ吉は一番のお目当ての「帝国ホテル中央玄関」に向かったわけです。
ちょっとここで帝国ホテルについてよく知らない人の為に、、
帝国ホテルの完成披露式が行われたのは大正12年9月1日です。そう、関東大震災当日。。
しかし、完成したばかりの帝国ホテルは、窓ガラス一枚割れなかったそう(ほんとか?)
当時は世界一美しいホテルとの評判だったそうです。マリリンモンローやチャップリンも滞在しました。
そんなライド設計の帝国ホテルも、老朽化を理由に取り壊しが決定されます。
でもって当時の佐藤栄作首相が、外国プレスから帝国ホテルをどうするのか聞かれ、
「保存する方向で」と答えたわけです(えらい!)
一国の首相がそんなことを言ってしまったものだから移築せざろうえなくなり、
こうやってぽむ吉も見に行くことができるわけですなぁ。
東京でホテルとしての実働はたった44年です。日本の近代建築に対する扱いが集約されている気が
してなりません。
でもっていま帝国ホテルでは期間限定でこんなこと をしています。
ニ泊115万円だぁぁぁあとぉぉ!?
ライド設計のホテルぶち壊しといて、なにがフランク・ロイド・ライトスイートだ!!
・・・はぁはぁ、ちょっと取り乱したようで。。気を取り直して、、
わくわくしながら裏側から正面へとまわってゆきました。
うわー、写真フツー!
誰がとってもよく撮れるし、逆に誰がとっても同じようにしか撮れない帝国ホテル中央玄関です。
ぽむ吉はマヤ遺跡っぽいとこが好きなんですよね。
ぽむ吉思うに、水平方向の意識が強調されているような気がするんですよ。平べったい。
これが東京都千代田区にあったわけです。自然に囲まれた明治村の方がひょっとしたらしっくりくるのかもしれない。
で、中に入っていったわけです。
うーん、手ブレしてるしさ。。
細かい彫刻が随所にされていますよね。すてき。
外観も内装も複雑だけど、すばらしいセンスでまとまっている。多くの人が帝国ホテル(中央玄関だけだけど)に惹かれる理由は、ホテル開業当時の数々のエピソードとこの空間ですよね。
そんなわけでぽむ吉は明治村を満喫したのでした。もちろん紹介したのはほんのごく一部なので、見所はまだまだたくさんあります。どうです、行きたくなってきたでしょ?
近代建築探訪その⑦ ~ 明治村に行こう! 前編
ちょっと前の話になっちゃいますけど、今年のGWは旅行に行きました。
名古屋に行ってきたんです。え!?、愛知万博かって??ちがいますよー。
ぽむ吉が行ったのは近代建築好きの聖地「明治村」です。
名古屋駅から名鉄線で30分くらい。そこからバスでさらに20分くらい。
そこに聖地「明治村」があります。いやー前から行きたかったんですよね。
取り壊される歴史的価値のある文化財の保存を図るために財団が設立されたのが昭和37年だそうです。で、その3年後の昭和40年に明治村は開村しました。関西や中部の方は小学校の遠足とかで行くみたいですね。うらやましい。
(詳しく知りたい方は公式ホームページ をご覧くださいね)
もうかなり興奮しながら回っていたんですが、例によって例のごとく写真をいくつか。
聖ヨハネ教会(明治40年)です。もともとは京都にあった教会ですが、明治村に移築されました。
レンガ作りのステキな建物です。
この日は結婚式でした。ちょっと撮らせてもらいました。
明治村ウエディングってちょっとうらやましいですね、でも他の人もいるしちょっと恥ずかしいかも。。
遠景です。なかなか良く撮れてるでしょ?
札幌電話交換局(明治31年)です。重厚な印象をうけますよね。
中には電話の交換機が展示してあります。
ちょっとびっくりするこの建物は、川崎銀行本店(昭和2年)です。
川崎銀行は昭和18年に三菱銀行と合併したのですが、それまでは有力銀行の1つだったそうです。惜しくも昭和61年に建替えられることなり、一部が明治村に移築されました。
一部だけでも魅力ある建物(遺構?)ですから、さぞかっこいい建物だったことでしょう。。残念。。
ちなみに展望台になっています。あまり眺めは良くなかったですけど(笑)
どうです?明治村に行きたくなってきたでしょ?ここで紹介した写真はごく一部です。
建物だけではなくて、SLや市電も走っていますし、一日中楽しめますよ。いやー、明治村サイコー!!
でもね、ぽむ吉が一番見たかったのはフランク・ロイド・ライト設計「帝国ホテル中央玄関」ですよ!!これを見るためだけに外国からも観光客が訪れるという。
わくわくしながらぽむ吉は「帝国ホテル中央玄関」へと向かうのでした。
後編へつづく・・・