【緊急企画】近代建築探訪その④ ~ 阪急梅田 いままでとこれからと | 建築マニアクス

【緊急企画】近代建築探訪その④ ~ 阪急梅田 いままでとこれからと

先ほどほぼ完成した記事を消してしまうという惨事を引き起こしたぽむ吉です。「こまめなセーブは忘れずに!」といういにしえから(ドラクエ3くらいから)伝わる諺をつぶやかずにはいられられませんでした。合掌。。では気を取り直して、、


阪急2


以前もお伝えしましたケド、阪急梅田百貨店が建替え前の世紀の売りつくし 真っ最中です。なんでも 建物を南北に分け、南側から順に解体して新たな店舗を建てていくため、工事中も営業は続けるのだそう。少しずつ解体されていくのって見ていてなんだかツラいんですけど。。


もう一度気を取り直して、、、阪急の栄光の歴史を簡単に振り返ってみましょう。

阪急百貨店が誕生したのは、昭和四年(1929年)のことです。当時、経営難に仰いでいた阪急電鉄の小林一三社長は、片方の終点である宝塚に一大レジャーランドを築き、もう片方の終点である梅田に日本初のターミナルデパートである阪急百貨店を作りました。そして、その路線間の宅地開発をしてゆきました。そうして小林一三は日本の私鉄経営のお手本を作り上げたのです。


阪急沿線に移り住みだしたのは、新興サラリーマン家庭でした。平日は通勤に、そして週末は宝塚や阪急百貨店へ、という鉄道を使った人の流れを作り出したんですね。この時代に出現しつつあった大衆消費社会を小林一三は数々の事業で見事に体現させていったのです。


ぽむ吉の想像なんですが、新興ニューファミリーの週末は、阪急百貨店でお買い物 → 大食堂でライスカレーをほうばりつつ、屋上の遊戯施設を満喫 → 「パパまた行こうネ!」ってライフスタイルが当時の憧れだったのでしょう。例えばライスカレーはちょっとハイカラな食べ物でした(だってまだ戦前)。一日の 注文量が1万3000食を記録したこともあるそうです。ちょっと信じられないですが、阪急百貨店が消費活動を伴うレジャーを独占していたのでしょうね。


ここまで読んできたらお分かりだと思いますが、当時の阪急百貨店のメインターゲットは新興ファミリーです。小林一三の戦略も、増えつつあった都市生活者のライフスタイルをいかに消費に結びつけるかということに多くを腐心したのではないでしょうか?


話は現代に移ります。上のライフスタイルって正直なんだか古く感じますよね。。今のファミリーの週末はワンボックスカーで大型ショッピングセンターでお買い物ってイメージではないでしょうか?そうです、車社会の到来が阪急百貨店のビジネスモデルを狂わせました。(だから屋上がこんなカンジ になるわけで)


今阪急百貨店はターゲットをファミリーから、20~30歳の女性に切り替えている最中だとぽむ吉は踏んでいます。この年代の購買力はとんでもないですからね。ぽむ吉は小林一三以来の『ファミリーに新しいライフスタイルを提供し続ける百貨店』が大好きです。でもきっと阪急側にとって今後それは必要ない、むしろマイナスなイメージなのでしょう。建て替える理由は売場面積の増加もあるでしょうが、阪急百貨店が持つイメージの再構築もあるはずです。女性の感性をくすぐる百貨店への変貌、という。。


この現状を小林一三ならどのように対応したのでしょうか??やはりあっさりとファミリーの百貨店をあきらめたのでしょうか?


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ここから先はぽむ吉ギャラリーです。


店内の写真を撮っていたのですが、、


店員  「ちょっと」

ぽむ吉 「はい?」

店員  「(撮影の)許可は取っていますか?」

ぽむ吉 「いえ。。」

店員  「写さないでください」


というちょっとした事件(?)がありました。

ぽ、ぽむ吉はただ壊される前に風景を残しておきたかっただけなんだよ。。


「どうすれば許可とれるのですか?」「撮ってはいけない理由は?」と聞きたかったんですけど、なんかもうどうでもよくなっちゃいました。もう阪急でカイモノシナイ。。店内の写真撮ろうと思っている方気をつけてくださいね。


※加筆※
建物の屋内の撮影について調べたところ、基本的に不可とのこと。
もしも撮りたければ許可必要。今後は十分に気をつけたいと思います。


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コンコースです。

シャンデリアと装飾がすばらしいですよね!これもなくなってしまうのでしょうか?



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こちらもコンコースです。

ぽむ吉見ていないのですが映画「レインマン」のロケで使用されたとか。ステンドグラスがイイですね。



阪急6


すでに工事が始まっています。以前は天井が高くて、雰囲気のあるコンコースだったのですが。。。いっこうに工事が終わる気配のない横浜駅のようになっています。



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店内の写真はダメって言われたけど、店内の写真です。

ほとんどの場所は改装によって当時の原形は残されていないのですが、この階段は当時のものだと思います。漂うオーラが違うんですよね。



阪急4

ぽむ吉の想像なんですけど、阪急の"H"を意匠化したデザインだと思うんですよ。こういったこだわりがきっと随所にあったんでしょうね。。



阪急百貨店に対する思いを書いてみました。

多くの人は、きっと新しい阪急百貨店を歓迎することでしょう。新丸ビルがそうであったように。近代建築のすばらしさに気付いてしまった一部の人がこのように悲しんでいるという構造は今後も続くのでしょうか?もしそうだとしたら残念でなりませんし、すこしでもよさをわかってほしいと思いぽむ吉はブログを更新し続けるのです。