遠くの星を見て、それが一つであること。
その確信が持てない。
視線を下げて信号の青を見る。
それが一つに見えていると思っているということに
思い違いをしている、と言えるかもしれないほど
揺らいでいる。

疑っているわけではない(私の右手を見ればそれは1つだと言える)
1001匹の存在を背負う1匹の猫、というような意図的な
疑いなんかではなく、
私の中での1という数との一致でもなく(そんな数え方をしたことはない)
これまでと同じように?(そんな数え方はしたことがない)

まず1つ見つけ、その後は別の仕方で(数え上げる?)
2以降は暗誦する。
数を諳んじるよりも早く、物を数えることができない。
5=3+2、一番多くても4まで。

1は数えることがなく、2以降はある意味で身体的。


内藤-亀田について。

いじめっ子が実は(相対的には)弱かった、というのはなんというか
話にはよくありがちな、しかも現実的であるので良いカタルシスであったのかなぁと。

内藤は口下手なのに、思いよりも言葉を言いたがる人に思えた。

負けた18歳は、誰に見捨てられる?
いつか「あの日」と言うことがあって、惨めになるだろうか?
額面どおり精神的に未熟なのであれば、死ななくてもすむだろうか?


気になって見てみた。tbsの掲示板
http://www.tbs.co.jp/kameda-boxing/bbs/bbs_001.html
ワークにしてもシュートにしても気色悪い。




叫ぶべき言葉が見つからないと言う。
思うままに?
Wの理想。「情熱を取り囲む寺院」
叫びを表現するには奥ゆかしさがあるべき。
だからバタイユが嫌い。
kurt cobainのドキュメンタリー映画「about a son」を観た。

なんというか、(誰だかよく知らないけど)監督の作品の映画なんだなぁ、と。
字幕だけ追っかけてた感じなので映像はよく見ていなかったけど、
「where did you sleep last night」の曲にあわせた
飛行機の映像はなんとなく巧いなぁと思った。

収穫として、VaselinesとScratch Acidを聴きたいな、と。


ん~~~、思い出してみるとやっぱ少し違うかな。
インタビューの構成ありきで、映像を貼っ付けという感じかぁ?
巧拙は別として、少なくともオマージュ的なものではないと思う。
※「好きな人が誉められると嬉しい」=「あの歌手デビュー前から注目してた」と言う感覚と等しい。※sigh※

そういえば、映画を映画として観る、という大人なことはしたことがないねぇ。
なのでいつも期待外れなのかと少し反省。
※特にJ:アーヴィングの映画化ものはひどかった。サイダーハウスルールは観てないけど。
※※ホテルニューハンプシャーで「バナナだ。」は入れて欲しかったなー
※※※「ガープの世界」。。。。まぁ酷いこと。


all the day all for me.
my mother in tree
they affect away, but it's already
my name is authorized,
to me a death gives off Tuesday.

the lemonful spoon swept her ghost
good will she could pray
la motion blue by night beds spaced tare
cure, cook paled plum
why the moon answered the message.

the torch reaches nearly moon, we share the proof.
canceld whore's inviting , we share the moods.
瞬間、負債の単位。
「与えられてある」ことの負債。
堪えきれず呻く。私の誕生。

与えられ続ける、呻き続ける。
それは不可能なこと。

負債を払う。responsibility

与える。負債を与える。
常に与えるとは、攻撃的なもの。

私は抱えることができず、
そこに「あなた」が顕れる。

産めよ、増えよ。
見回すと私たちはただ沈んでいく。
カエサルのものはカエサルへ。
神が再び顕れる。

一つの転機。
与えることが倫理となる。
私たちは再び沈み始める。
救済とは人を釣鐘に括りつけること。

そしてまた一つの転機。
神は死んだ。
釣鐘は落下する。

しかしどこへ?
無遠慮な膨張、定位の試み、そして否定。
結局「私たちはかつてより隔たっている」としか
言うことができない。
アンビバレントな贈与のままに私たちは混乱している。
そして眠る。





私たちの間にはジャーゴンとして擬音しかないから
形式的な挨拶にほんと困るショック!

でも、おめでとう。
二種類以上の人間がいると想像することができない。
しかも排中律に依ってはいない。
これは語彙上の問題だろうか?


自分を不完全と思うよりは、病気だと思う。
その程度、人々には信仰心がある。
Wittgenstein

一致するということに、想像以上に、冒されている。

「本来の」という言い方の別の可能性があるか?
逆hash、もしくはそう言うこと。

当然一致の厳密さ、正当さなどはどうでもよくて、
方法として自然に受け入れられる別の可能性が必要ということ。
私だって知っています。
語るべきことがなくても、救われたと言い得ることを。
ただ私に顕れるのは神ではなく、人なのです。
私について言えば、人のできないことは何もなく
「それは.....ということでしょう?」と換言してしまうことで
※特に私のせいでしょう?と。
”一撃”というものがあり得なくなるのです。

謙虚さがありません。
ですが温度差というとき、それは"2"と"七"のように
見せかけの翻訳にすぎないのです。
拙いと言ってしまえれば、良いのですが
初動が全く異なります。

つまりは私はあなたの望みに応えることなく
アナグラムとしてことをなすために、論理を盗むのです。

不幸な人、私の言う不幸な人はこの世には存在しません。
論理的に存在しません。
それは、「不幸な」の定義によるのではなく、
「存在する」という言葉の定義によるのでもなく。