ちょうど今頃が、最初の妊娠をしたときの子のお誕生日となる時期です。
無事に生まれていれば・・・と、時々フッと年齢を思うときがあります。
妊娠に気づいてあげることが出来ず、存在を知った瞬間は手放さなければいけなかった命です。
手放さなければ私自身がどうすることも出来なく、私は私自身を選びました。
と言うよりも、選ばざるを得なかった状況でした。
亡くなった子の年齢を数えてはいけない。
と、十分承知の上で、それでもやめることが出来ずにいます。
きっと今頃、自我が芽生え始めた子のために、キャラクターのケーキを注文していたかもしれない。
どんなに忙しい部署でも、きっとたろちゃんはこの日ばかりは早く帰って来てくれていたかもしれない。
あの子は、治療をあきらめかけていた私たち夫婦に、妊娠することが出来ると言うことを教えてくれる。ただそれだけの為にやってきた、そんな親孝行な子なんだよ。
と、思おうと思った時期もありました。
流産したときの子たちの時も。
でもね、それでも、
なぜ・・・?
と思わずにはいられないんです。
子どもが親を選ぶ。的な本を目にしたとき、希望を持つように読んだことを思い出しました。
でも、その中の1文に自分を責めてしまう言葉を見つけ、悲しい思いが増幅したこともありました。
結局、私たち夫婦に不安材料があるから戻って行ってしまったんだ。
と。
そんなことは無いよ。
と励ましてくれる人もいます。
でもね、それでもいろいろと思わずにはいられないことって、実はあるんです。
今は、『まるまる』を感じるたびに、夫婦揃って
「やっと授かり、成長する命を大切にしよう」
そう思っています。
育ててあげることの出来なかった子たちの分も、大切にしよう。
そんな風に、この梅雨の時期は思うのです。