どーしたらいいか、わからくなったときの話
電話が鳴る。毎日よく鳴るもんである。
電話を出るときの手は左手?右手?
それはどっちでもよくて、そのとった手は左耳、右耳のどちらにあてるだろうか。
多い答えは、
左手→左耳 or 右手→右耳
左手の場合は自然と左耳に受話器がいくのではないだろうか。
では、保留を押すのはもちろん・・・左手→左耳→右手 or 右手→右耳→左手
であろう。ふさがっている手はそのままで開いている手で保留を押すのが一般的であるような気がする。しかし世の中は広いもので、違った動作をする人もいる。右手→左耳→持ち替えて→右手
といった風に電話をとる人がいる。手がクロスしている。そして持ち替えて保留を押すのだ。手間のような気がするが、その人にとっては一番やりやすいのだろう。
そういう人を見つけると、何故かわからないが、どうも仕草が気になるものである。
何かやってくれるはずだという期待が膨らむのだ。
そうやって、意識しているとやっぱり何かやってくれる。いや、そう信じているからやってくれるのだ。
かなりの好青年風な方なので、まじめにその人の部門の上司でない他部門の上司になぜか相談していた。
「あのー私、この○○に参加した方がいいのでしょうか?」
何故、自分の上司に聞かないのかは、謎であるが、その上司の返しもおもしろかった。
「おそらく、2つの選択肢があるだろう。」
「①、○○君は素晴らしいので、是非○○に参加してほしいんだよ。 そういってくれるのを心待ちにしていたんだよ」
「②、○○君は別に○○に関しては、おってもおらんでも一緒なので、逆に参加されると迷惑なんだからいらないよ」
「・・・のどちらかだと思うよ。考えてみたら?」
と言った。
すると、即答で
「後者だと思います!」
・・・周りの人は噴出していた。やはりおもしろい。何故後者だと言い切れたのかも、相談したのかも、わからないからおもしろかった。いつもやってくれているのだろうけど、なかなかでくわせなくて残念。また注意して観察したいと思う。
どんなことでも、私は選択肢がある場合その選択肢以上に選択肢があると思う。
AかBを選びなさい。
①Aを選ぶ
②Bを選ぶ
③AとBを選ぶ
④両方選ばない
⑤Cを選ぶ・・・
確かに、条件や立場、状況によって異なってくるが、選択肢を選ばされるのではなく、自ら選ぶ必要があると思う。そうすれば選択の幅も広がりいろんなことが見えてくると思う。
どっかで読んだ記事にこれに似たようなことを書いてあって、妙に納得してしまった話がある。
「AさんがBさんに犬の散歩を依頼しました。主導権はどちらにありますか?」
という質問である。果たしてどちらに主導権があるのだろうか?
一般的にはBさんである。行くか行かないかを決めれるのだから
・・・しかし主導権はAさんである。
なぜか。
Bさんに「一万円あげるから犬の散歩行ってきて」というのだという。そうすれば、選択肢は自然とひとつになり、必ず行くであろう。
と書いてあった。物事というのは、逆の立場に立った場合、選択肢は常にそれ以上にあるものを、自分自身の持っていき方によって、それを集約することができる。そのためにも、常に主導権は相手ではなく、自分にあるように、考えていかなければいけないのだと思う。納得して、やることに意味があり、それが相互間でプラスに発展していくのだと思った。
ただ、この話はこうしたい!という目標ありきの話なので、本気でどうしたらいいか考えていた場合には「どうしたらいいのですか?」と聞くことは大切でもある。ただ、やるのは自分なので、結局聞いたところで自分自身に返ってくる問題である。いろいろ情報を集めて、その自分自身が選んだ結果が、やってよかった!と思えること。もしそれが間違っていたと思えば、合っていると思うことにすぐ変えればいい。
とりあえず深く悩んだときは、いろいろ考えて考えてその後は、ややこしいことは考えず、適当にシンプルにいきましょ~
電話を出るときの手は左手?右手?
それはどっちでもよくて、そのとった手は左耳、右耳のどちらにあてるだろうか。
多い答えは、
左手→左耳 or 右手→右耳
左手の場合は自然と左耳に受話器がいくのではないだろうか。
では、保留を押すのはもちろん・・・左手→左耳→右手 or 右手→右耳→左手
であろう。ふさがっている手はそのままで開いている手で保留を押すのが一般的であるような気がする。しかし世の中は広いもので、違った動作をする人もいる。右手→左耳→持ち替えて→右手
といった風に電話をとる人がいる。手がクロスしている。そして持ち替えて保留を押すのだ。手間のような気がするが、その人にとっては一番やりやすいのだろう。
そういう人を見つけると、何故かわからないが、どうも仕草が気になるものである。
何かやってくれるはずだという期待が膨らむのだ。
そうやって、意識しているとやっぱり何かやってくれる。いや、そう信じているからやってくれるのだ。
かなりの好青年風な方なので、まじめにその人の部門の上司でない他部門の上司になぜか相談していた。
「あのー私、この○○に参加した方がいいのでしょうか?」
何故、自分の上司に聞かないのかは、謎であるが、その上司の返しもおもしろかった。
「おそらく、2つの選択肢があるだろう。」
「①、○○君は素晴らしいので、是非○○に参加してほしいんだよ。 そういってくれるのを心待ちにしていたんだよ」
「②、○○君は別に○○に関しては、おってもおらんでも一緒なので、逆に参加されると迷惑なんだからいらないよ」
「・・・のどちらかだと思うよ。考えてみたら?」
と言った。
すると、即答で
「後者だと思います!」
・・・周りの人は噴出していた。やはりおもしろい。何故後者だと言い切れたのかも、相談したのかも、わからないからおもしろかった。いつもやってくれているのだろうけど、なかなかでくわせなくて残念。また注意して観察したいと思う。
どんなことでも、私は選択肢がある場合その選択肢以上に選択肢があると思う。
AかBを選びなさい。
①Aを選ぶ
②Bを選ぶ
③AとBを選ぶ
④両方選ばない
⑤Cを選ぶ・・・
確かに、条件や立場、状況によって異なってくるが、選択肢を選ばされるのではなく、自ら選ぶ必要があると思う。そうすれば選択の幅も広がりいろんなことが見えてくると思う。
どっかで読んだ記事にこれに似たようなことを書いてあって、妙に納得してしまった話がある。
「AさんがBさんに犬の散歩を依頼しました。主導権はどちらにありますか?」
という質問である。果たしてどちらに主導権があるのだろうか?
一般的にはBさんである。行くか行かないかを決めれるのだから
・・・しかし主導権はAさんである。
なぜか。
Bさんに「一万円あげるから犬の散歩行ってきて」というのだという。そうすれば、選択肢は自然とひとつになり、必ず行くであろう。
と書いてあった。物事というのは、逆の立場に立った場合、選択肢は常にそれ以上にあるものを、自分自身の持っていき方によって、それを集約することができる。そのためにも、常に主導権は相手ではなく、自分にあるように、考えていかなければいけないのだと思う。納得して、やることに意味があり、それが相互間でプラスに発展していくのだと思った。
ただ、この話はこうしたい!という目標ありきの話なので、本気でどうしたらいいか考えていた場合には「どうしたらいいのですか?」と聞くことは大切でもある。ただ、やるのは自分なので、結局聞いたところで自分自身に返ってくる問題である。いろいろ情報を集めて、その自分自身が選んだ結果が、やってよかった!と思えること。もしそれが間違っていたと思えば、合っていると思うことにすぐ変えればいい。
とりあえず深く悩んだときは、いろいろ考えて考えてその後は、ややこしいことは考えず、適当にシンプルにいきましょ~