IB教育 主体性(その2 主体性)

 

 

 

 

教員をみていると『主体性』の理解が怪しいように思える。

単に「自主性」「やりたいことをやる」あたりを『主体性』と呼んでいるようだ。

ゆるゆるだ。

 

たとえば、大谷選手が二刀流に挑戦して結果を出した。

これは大谷選手に主体性があると評価できる。

一方、私が二刀流に挑戦してもなにも起こらない。

これでは私に主体性があると評価できない。

(おそらく怪我をするからマイナス評価だ。)

 

主体性には『結果』が伴わなければならない。

 

通常、主体性はとんでもなく高いハードルに取り囲まれている。幾重にも取り囲まれている。

ほとんどのひとは高いハードルをクリアできず、主体性に触れることすら出来ない。

 

 

 

IB教育の目指す主体性とは「やりたいことをやる」というような生易しいものではない。

『主体性』には、とんでもない『熱量』が求められる。

とんでもない熱量を消費しなければ、主体性を取り囲むハードルを越えられない。

ほとんどのひとは主体性を問われる以前に門前払いになると思う。

(その熱量の土台として『自己肯定感』がある。IB小学校が自己肯定感にこだわっているのは正解だと思う。)

 

 

 

 

森博嗣氏が「主体性」のためにハードルを越えていくさまは、とても参考になる。