「ピッとやってワー」

 

 

 

第一子をみていると学校の勉強の理解について、とてもばらつきが大きい。

これは「同時発達バイリンガル」に原因があるのではなく「ipadのユーザーインターフェイス」に原因があるのではないかと考えている。

 

 

繰り上がりの足し算を勉強したとき

 

①100玉そろばんを使う

これは「ipadのユーザーインターフェイス」に近い感覚で答えを出すことができる。

画像処理の連続で出来る。

記憶無しで良い。目の前の100玉そろばんの動きだけ出来る。

 

②指で計算する

これも①とあまり変わらない。

 

③さくらんぼ計算を使う

これがまったくできない。

頭の名なかが「ピッとやってワー」になっている。

映像による処理になっていて言語での処理になっていない。

 

Ⅰ 10を作る

 これは「ピッとやってワー」で出来る。

 しかし、ここでリセットがかかってしまう。

 10を作ったことが言語により記憶化されず、映像は消去されてしまう。

Ⅱ さくらんぼを作る

 このとき前提となるⅠは既に消去されている。

 前提が消去されているため何のために「さくらんぼ」を作るのかわからない。

 (Ⅰの記憶が無いため、もう一回、10を作り始めてしまう等がおこる。)

 

単に繰り上がりの足し算の答えを出すだけなら出来るのだけれども、言語(算数)でも説明できないと答えには、意味がない・・。

(逆に言語で説明できているように見えるのだけれども、映像・量として理解していないというのも困る。)

 

 

「ipadのユーザーインターフェイス」の影響が大きすぎて、かなり困った状況になっている。

この世のすべては「ピッとやってワー」で答えが出るという信念が築かれてしまっている。

それ以外は、存在しないというくらい。