ハイコンテクストな日本語について

 

 

 

渋谷ハロウィンには主催者がいない。

またスケジュールも存在していない。

10月の下旬になると、ただ空気を読んで仮装したひとが大挙して渋谷に押し寄せてくる。

もしも雨が降れば、仮装したひとは渋谷に現れない。

翌日、晴れれば、また仮装した人が大挙して渋谷に押し寄せる。

ただ「空気読め」がそれを支配している。

 

そもそものハロウィンは、宗教行事である。

宗教行事であれば、「スケジュールが存在していない」「雨が降れば誰も来ない」というようなことにはならない。

 

渋谷ハロウィンには、もともとの本質が存在せず、形式だけが存在している。

この「もともとの本質が存在せず、形式だけが存在する」というイベントは日本にとても多いと思う。

おそらく日本人にとっての本質は「空気を読む」ことの方に入れ替わっている。

渋谷ハロウィンでは、「空気を読んだ結果、形式が現れる。」ということになっている。

 

(同時期に開催されている池袋ハロウィンには、強力なコンテクストが存在している。強力なコンテクストが存在していて、すっぽかされることがないため池袋ハロウィンは「都知事の参加」のようなことまで可能になっている。)

 

 

同時発達バイリンガルの子供を見ていると日本人のハイコンテクストも十分に備えている。

日本語を話すときは当たり前にハイコンテクストな日本語を話している。

このハイコンテクストな日本語は、高度なことをする場面(学問・ビジネス)では、とても使い勝手が悪い。

ときどき修正を試みているが、まったく改善が見込めない。

たぶん、国語力を習得していく10歳前後まで(母語の時期の)修正は無理なように感じている。

 

一方で、子供は英語環境のときは英語のコンテクストで考えたり行動したりしている。

あいまいな日本人と主張のしっかりしたアメリカ人を使い分けているようにみえる。

 

このようにコンテクストを2つ持っていると1つのことを多角的に捉えることができるようになると考えられているが、本当にそのような効果があるのか見ていきたい。

これができると「多様性」「イノベーション」等のような重要な事柄で有利になる場面がたくさんある。