こんにちは。コぺルです。

 

「罰として掃除をしなさい!」

 

ドラマや漫画の世界で、戯画的に描かれた学校によく出てきそうなセリフ。

 

現実に、先生が子どもたちにこんなことを言えば、問題になりそうですが、

何が問題なのでしょうか?

 

(とは、いえ、20年前くらいなら普通に言われていたようにも思います。)

 

 

 

 

①「罰を与える」は、前時代的

 

まず、「罰を与える」ということ自体が、現代的になじまないということが挙げられます。

 

体罰の規制やそれに伴う市民意識の向上もその一つです。

 

人権意識の高まり、個人の尊重は、甘んじて罰を受けることを許さないのです。

 

 

②「罰を与える」に教育効果はない

 

また、発達心理学・教育心理学では、すでに何十年も前から罰による教育効果は否定されてきました。

 

行動主義の時代から、罰は無気力を学ばせる効果は示せど、主体的な思考やポジティブな感情を引き出すことはないことを、数々の実験が証明しました。

 

子どもの発達を中心に研究したロシアの発達心理学者、ヴィゴツキーは言います。

 

罰は奴隷を育てる。と。

 

いずれにしても、今から100年近くも前の見解です。

 

もし、私たちが徹底した全体主義により、子どもたちを学校や社会に隷属させたいのならば、罰を与えることは効果を発揮するでしょう。

 

大人や社会に逆らっても、無駄なんだ。黙って、従っていよう。

                      ――そんな無気力を学ばせればよいのです。

 

 

③掃除をすることは「罰」なのか?

 

そもそも、「掃除をする」ということは「罰」なのでしょうか。

 

教師は、日々子どもたちとともに清掃活動をしながら、掃除のやり方を教え、掃除の必要性を考えさせ、ともに学校をきれいにする喜びを共有しているはずです。

 

その教師が、どんな顔をして

「罰として、掃除をしなさい」

なんて、言えるのでしょうか。

こんな詐欺的なことはありません。いったい「掃除をする」ということは何なのか。

 

 

よく似た話があります。(罰ではなくご褒美ですが)

 

クラスで良いことをすると、ポイントがたまり

「10ポイントたまったから、今日は宿題なし!」

 

あるいは、

「今日はみんな頑張ったから、宿題なし!」

 

「宿題をする」とは何なのか。

こちらの例は、意外と多いと思います。該当される教員は、もう一度ご自分の教師としての哲学を見直された方がいいのではないでしょうか。

 

掃除も宿題も教師のためにやっているわけではない。自分のためにやっているのだ。

そういう根本の意識を、わたしたちは日々確認する必要があるのです。