『駅』竹内まりや

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■『駅』中森明菜

 

 

 

 

 

■『駅』

 

歌:竹内まりや

作詞:竹内まりや

作曲:竹内まりや

発売:2005-10-13 00:04:43

見覚えのある レインコート
黄昏の駅で 胸が震えた
はやい足どり まぎれもなく
昔愛してた あの人なのね
懐かしさの一歩手前で
こみあげる 苦い思い出に
言葉がとても 見つからないわ
あなたがいなくても こうして
元気で暮らしていることを
さり気なく 告げたかったのに…

二年の時が 変えたものは
彼のまなざしと 私のこの髪
それぞれに待つ人のもとへ
戻ってゆくのね 気づきもせずに
ひとつ隣の車輌に乗り
うつむく横顔 見ていたら
思わず涙 あふれてきそう
今になって あなたの気持ち
初めてわかるの 痛いほど
私だけ 愛してたことも

ラッシュの人波にのまれて
消えてゆく 後ろ姿が
やけに哀しく 心に残る
改札口を出る頃には
雨もやみかけた この街に
ありふれた夜が やって来る

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 竹内まりやさんの代表曲と言える『駅』ですが、この曲は元々1986年に中森明菜さんのアルバム『CRIMSON』に竹内まりやさんが提供した曲とのことです。

 

この事実は、私は一番上に張った動画を見るまでは知らなくて初耳だったのですが、色々調べてみると上の動画にも触れてあるように、竹内まりやさんの旦那さんの山下達郎さんが、明菜さんの解釈による歌い方に怒ってしまって、奥さんのまりやさんに達郎さん自らがアレンジを買って出てセルフカバーすることを勧め、まりやさん自身のアルバムとシングルであらためて発表したとのことです。

 

その結果、竹内まりやさんの『駅』はメジャーな曲になり、竹内まりやさんの代表曲となって2008年には、竹内まりやさんのホームページでの好きな楽曲のファン投票で、1位を獲得したとのことです。

 

いままで私は、この曲に長年心を惹かれつつも、しっかり鑑賞することもなく、ただメロディーの良さから竹内まりやさんのオリジナル曲の中では、この曲が1番の代表作だろうと漠然と思っていただけでした。

 

偶然YouTubeに流れてきた動画を先日観て、初めてこの曲をしっかりと鑑賞しましたが、解釈をしっかりやった結果、何故この曲が長年私の心に残っていたのかがしっかりつかめました。

 

まず中森明菜さんへ楽曲提供するにあたってのイメージ像は、当時21歳だった明菜さんは、大学を卒業したばかりのオフィスレディーで、東急東横線の利用者という設定とのことです。

 

まず中森明菜さんの解釈による歌唱ですが、上の動画でわかるとおり、声を抑制してしっとりとしたサウンドで、ゆっくり切々と歌っています。

 

この歌唱法から、明菜さんはこの曲を、年上のサラリーマンへの一方的な片思いによる失恋と解釈して、歌っていることが見えてきます。

 

つまり明菜さんは、「私だけ 愛してたことも」という歌詞を「“私だけが”彼を愛していて彼の方は私を愛していなかった」と解釈して、一方的な自分の片思いによる失恋と解釈して歌っているのでしょう。

 

若い娘によくありがちな、前のめりな一方通行の片思いによる失恋という解釈ですね。

 

当時若かった明菜さんは、自分にとって等身大の解釈をして歌ったのでしょう。

 

楽曲提供者の竹内まりやさんも、アレンジャーも、それで良しとして、レコーディングとプロモーションビデオの制作に取り掛かったのだから、作詞者である竹中まりやさんも、ここでは一度妥協したということですね。

 

明菜さんの解釈による歌唱も、これはこれで明菜さんの主人公像の気持ちが伝わってきて良いと思います。

 

これはこれとして、明菜さんと明菜さんのファンにとっては、正解であり成功だったと思います。


固定ファンである若い男性ファンや新規に開拓する予定の同年代の若いOL達に聴かせる分にはこれでもいいだろうという制作者側の判断だったのだと思います。


製作者側としては難しい解釈で歌わせて失敗するよりは本人にとって感情移入しやすい解釈で歌わせた方が良いという方針を取ったのでしょう。

 

しかしまりやさんの旦那さんの山下達郎さんは、この解釈に納得できず怒ってしまった。

 

普段温厚で怒ることはめったにないという山下達郎さんですが、仕事に関しては完全主義者で妥協を許さない性分であるから、この解釈に我慢できなかったのだと思います。

 

つまりオリジナルの竹内まりやさんの意図では、本来の解釈は、「”私だけが”彼を愛していた」のではなく「”彼が”愛していたのは”私だけ”」が本来の歌詞の意味なのだと思います。

 

明菜さんは、歌詞の意味を真逆に取り違えて歌ってしまったのだから、音楽制作に妥協を許さない山下達郎さんが、怒るのも無理は無いと思います。

 

私は、竹内まりやさんの歌の方しか知らず、まりやさんの歌で、この曲に長年心を惹かれていましたが、明菜さんの若い娘の一方的な片思いによる失恋では、ありきたりの歌となってしまい正直私の心には残りません。

 

その点に注意して、竹内まりやさんの方の『駅』の動画を何度か観てみましたが、やはりこの部分は「”彼が”愛していたのは”私だけ”だった」と解釈する方が、しっくりくるし感銘を受けます。

 

逆にそうでないとこの曲は感銘を受けない。

 

この『駅』と言う曲は、「”彼が”愛していたのは”私だけ”」と解釈して表現しないとこの曲の物語の真意が表現できないし、聴き手もまたそう解釈しないと真の感動が得られないのです。

 

竹内まりやさんの方の『駅』を聴いた解釈は、私では次のようになります。

 

この歌詞を追っていくと、「それぞれに待つ人のもとへ 戻ってゆくのね 気づきもせずに」と言う歌詞が出てきます。

 

自分に待っている人がいるなら、自分のことだから知っているのは当然ですが、なぜ2年ぶりに見かけたのに彼の帰りを待つ人がいるのを知っているのか?

 

それは、彼には主人公が付き合っていた当時から、奥さんがいておそらく子供もいたからです。

 

「見覚えのあるレインコート」とありますが、明菜さんの設定の新卒かその数年後くらいの同世代の若いサラリーマンではレインコートを着ておしゃれをする習慣は無いと思われます。

 

この男性はおそらく30代で、妻子持ちだったのです。

 

彼氏は、妻子のある年上の男性サラリーマンということで間違いないでしょう。

 

「懐かしさの一歩手前で こみあげる 苦い思い出に 言葉がとても 見つからないわ」で楽しい思い出よりも苦い思い出が先に立つとあります。

 

不倫の関係であるからこそ難しい関係で、良い思い出よりも苦みが先に思い出されてしまうのでしょう。

 

それとも彼から一方的に別れを宣告されたからか?

 

別れを切り出したのは彼の方だったのか?主人公である彼女の方だったのか?はわかりませんが、「今になって あなたの気持ち 初めてわかるの 痛いほど」とあるから別れを切り出したのは、彼の方だったのでしょう。

 

彼は彼女を本気で愛していたけれど、世間体や子供の事など諸々大人の事情を考えて、彼女を捨てて家庭を取ったのです。

 

でも当時は主人公もまだ若く、彼の本当の気持ちはわからなかった。

 

彼女は、「あなたがいなくても こうして 元気で暮らしていることを さり気なく 告げたかったのに…」とあり、彼に話しかけて自分の近況を告げようとしたかったのですが、苦い思い出が込み上げ話す言葉が見つからず声がかけられなかった。

 

そうして、主人公は彼の一つ隣の車両に乗って彼を観察することになります。

 

かつて自分が愛した面影を追っていたのでしょう。

 

しかし、そこにはかつて彼女が彼を愛していたころの明るいまなざしは無かった。

 

以前の明るいまなざしは彼女と身を切る別れを経験したことによりすっかり消え失せ、そのうつむいた横顔は悲しげで陰鬱なまなざしに変貌してしまっていたのでしょう。

 

その時主人公である彼女は、すべてを理解します。

 

彼が本当に愛していたのは奥さんではなく自分だったのだと。

 

それまで主人公は彼の気持ちがわからず自分と奥さんの間を行ったり来たりした結果、奥さんとの愛を取ったのだと考えていたのでしょう。

 

しかし、すっかり陰のある姿に変貌した彼の悲しげな眼差しを見てすべてを理解したのです。

 

「彼は奥さんのことなど愛していなかったのだ。私だけを深く愛していたのだ。しかし大人の事情を優先して家庭を取ったのだ。」と。

 

この時主人公の女性は、彼の本当の気持ちをすべて知って彼に対する思いが込み上げてくる。

 

主人公は、彼の変わり果てた姿を見て思いが込み上げ涙が溢れるほどに彼のことをまだ愛していたのです。

 

そして、彼に向けて心が強く揺さぶられます。

 

しかし、ここからは私の想像になるのですが、おそらくこの主人公の女性もこの時結婚していて家庭を持っていたのではないでしょうか?

 

家庭を持つ身となったからこそ、2年前はわからなかった彼の気持ちがこの時初めてすべて理解できたのです。

 

結婚相手では無い異性を深く愛してしまった者同士として、彼女は一瞬危うい心情を揺れ動きます。

 

彼が自分と別れたことによって寂しく陰鬱な眼差しに変わるほど、自分を深く愛していたのが痛いほどわかってしまったことによって、主人公は彼への思いが募り心が揺り動かされます。

 

主人公は、彼にとって自分との別れがそれほどの打撃だったことに衝撃を受けて、彼への思いが一気に高まります。

 

家庭を持つ身である葛藤の中、瞬間的に主人公の心が、かつての彼への恋慕の情一色に染まります。

 

そして、その恋慕の情に突き動かされるままに、彼が電車を下りラッシュに飲まれ改札口に消えていく姿を、自分もラッシュの後を追って見届けようとします。

 

主人公は、彼の後姿を追って彼の利用駅で下車するのです。

 

人妻の身となった主人公にとって、彼に声をかけることは出来ない。

 

彼の奥さんの元に、彼を送り出してやることしか出来ない。

 

しかし、その後ろ姿だけはせめて最後まで見送りたいという思いに駆られて、彼の後を追います。

 

 

「ラッシュの人波にのまれて 消えてゆく 後ろ姿が やけに哀しく 心に残る 」とあり改札口を出て彼は消えてゆきますが、家庭を持ってるが故に声をかけられず見送るしかない今の主人公の心の痛みと、彼女を深く愛していたにも関わらず、同じく家庭を取って彼女を手放すしかなかった彼の心の痛みが重なり合い、その後ろ姿が“やけ”に哀しいものに主人公の心に映し出されます。

 

ここで、レインコートの彼への焦がれる思いがクライマックスに高まり聴き手を郷愁へ誘います。

 

最後の「雨も止みかけた この街に ありふれた夜がやってくる」という歌詞が、彼の象徴だったレインコートが必要なくなり、彼の面影が文字通り消えることを意味しています。

 

改札口の向こう側の世界に、彼は消えてゆく。

 

しかし、その流れで、主人公は、今まで1度も降りたことのなかった彼の利用駅の改札口の向こう側に出てしまいます。

 

この改札口の向こうは、彼の家庭に含まれる部分であり、ここに降り立つことは、彼女にとってのタブーであって、彼女は今までここに立ち入ることを絶対しなかった。

 

いわば、禁猟区だったのです。

 

 その時、雨が止みかけて、この物語の象徴だったレインコートも必要なくなり、彼の面影が幻のように消えて行ってしまうのです。

 

この雨は、二人が流した心の涙を表していますが、一連の電車の出来事の中で流した涙であり、一時のにわか雨だったことが暗示されています。

 

その涙の雨が、二人の不倫の記憶をすべて洗い流し、新たに再生して、それぞれの人生を生き直すべく再出発することが仄めかされています。

 

この駅での一連の出来事は、彼女の心象風景に映った出来事でしたが、その心の中のレインコートの彼の姿がこの禁猟区に入るとぼんやり薄れ、玉手箱のように消えていってしまう。

 

雨が止みかけたという描写によって、彼の象徴のレインコートの面影が徐々に薄れて幻の様に消えていってしまう事が、暗示されています。

 

そしてこの出来事で起こった彼との心の交錯のその深い余韻だけが、しばらくの間残ります。

 

「ラララ」のリフレインが長く続くのは、その心の余韻が長く後を引くことを表しています。


ハードボイルド風の難解なサックスの演奏が二人の立場の難しさを表現しています。山下達郎さんの計算し尽くした演出が光ります。

 

そしてその余韻も、やがて消え去ります。

 

それから、彼女はようやく現実に戻ります。

 

今までの電車での白日夢のような出来事が消え去って、その余韻もやがて去り、彼女にとってのいつものありふれた平凡な夜が訪れます。

 

そして、彼女は現実と向き合います。

 

禁断のタブーの地であった改札口の向こう側に出ることによって、今までの電車での出来事が幻のように消えるとともに、過去の禁断の不倫の恋愛の苦い記憶がまた現実としてよみがえってきます。

 

ここで彼女は、昔の彼との決別を決意します。

 

過ちを二度と繰り返すことはすまいと、心に決めます。

 

そして、自分の取るべき道を選び、再生に向かいます。

 

現実に立ち返った彼女は、もう一度改札口を通って、電車に乗って自分が下りるべき駅で下りるのです。

 

彼女は家に帰るのに、昔の彼とは別の駅で下りるのです。

 

もう昔の彼のことは二度と思い出すことはすまいと心に決め、彼女もレインコートの彼と同様自分を待つ人のいる家庭に帰るのです。 

 

彼へのあふれる思いと揺れる心を、胸の奥底にそっとしまいながら。

 

 

駅は、それぞれの人生の分岐点。

 

 

それが、この『駅』と言う曲のテーマなのでしょう。

 


文学作品では、不倫による無理心中を描くものですが、歌にするとそれは重過ぎる。

歌にするには、過去の苦い恋愛の思い出、そしてその過ちと悔恨、さらに揺れ動く心情が良い。

シェークスピアの小説のように、思い合って無理心中するのは大きな悲劇ですが、お互いの強い思いを心の中に押し込めて、大人の対応を取って別々に生きるのもまた小さな悲劇ですね。

 

 

この『駅』のような複雑な大人の男女の心情を描いた楽曲は、得難い作品です。

 

 

駅には、それぞれに人の数だけ、いろいろな思い出が交錯するのでしょう。


駅には、それぞれ多くの人の物語がある。


この竹内まりやさんの『駅』は、日常使っている駅に、人それぞれの物語があることを、思い出させてくれます。



この竹内まりやさんの『駅』には、文字通り“駅”という場所による偶然の邂逅によって、かつて強く惹かれ合い深く愛し合っていた二人の思いが交錯し、主人公の女性の心が強く揺り動かされる姿が描写されています。


そして、昔の彼には知られないまま、彼女はすべてを理解してかつての不倫の恋愛にここですべてを清算し、決着をつけて、昔の彼との訣別を、密かに決意するのです。


レインコートの彼への愛をあきらめ、過去の人とするのです。

 

 

そして自分の選ぶべき道である家庭を取り、平和な日常に戻るのです。

 

 

少なくとも、そう努めるのです。


竹内まりやさんの主人公は、センチメンタリストでありながら、現実的な生き方を選択する、分別のある大人の女性像ですね。

 

しかし、この歌を聴いた後、ほの哀しい余韻がやけに後を引いて、苦い痛みを引きずってしまうのは何故でしょうか?

それは、この主人公の女性は、それでもまだ、昔の彼への未練を引きずっているのが、歌の節々から伝わるからでしょう。

 

未練を捨て切れないところが、この歌の魅力なのでしょう。

 

 

この駅での出来事が忘れかけていた昔の彼への思いを逆に一層強くして、一生忘れられない人にしてしまった。

 

 

レインコートの彼への恋慕の情を一層強くしてしまった。

 

 

運命の逆説的皮肉と言うか、業というべきか?

 

 

この駅という曲の物語は、絡み合った見えない糸が引き合わせた因果の結果であり、運命の巡り合わせだったのでしょう。

 

 

いずれにせよ、人の気持ちというものは、特に恋愛感情というものは理性で割り切れるものでは無いですね。
 

 

この曲を聴いて、深い感動が生じる理由は、世間の様々なしがらみや制約のある、複雑な大人同士の恋愛の心情を、描いたからこそなのでしょう。

 

 

お互い相手を深く愛しながらも、決して結ばれることのない、すれ違いが運命づけられている、実ることの無い悲恋だからこそ聴く者に感銘を覚えさせるのでしょう。

 

 

竹内まりやさんの『駅』は、聴く者に何か思いを残し、感銘を与える、jポップ史に残る貴重な名曲だと思います。

 

 

 

 

----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

 ■『駅』竹内まりや レコーディング盤

 




 

■『駅』中森明菜 リカバリー盤

 

 

 

 

 

 

 

 

※参考資料

 https://ioritorei.com/entry/230201/music__akina.nakamori_station_guide