安保関連10法案の審議採決が参議院で行われている。国会の内外は、気が狂った様な反対運動が展開されている。しかし、この件、前の衆議院選挙の時に既に議論になっていると、時事通信の田崎史郎氏が今朝も言っていた。
いまになって、そんなに熱くなって禅問答的反論をしたり、鴻池氏の委員長室を物理的にブロックしたりするなんて、馬鹿げている。選挙を意識したパーフォーマンスを、重要法案を”人質”にとってする野党の連中の姿勢にはうんざりだ。

ただし、集団的自衛権行使を可能にする法案に問題が無いかと言えば、たくさんあるだろう。第一に憲法との整合性が問題なのは言うまでもない。憲法との整合性が最優先なら、この法案よりも憲法改正を行うべきである。しかし、集団的自衛権行使を可能にする法改正でもこれだけ反対が多いのだから、現状では憲法改正など出来る筈はない。従って、その挑戦は最優先ではなく、国際政治環境の急激な変化に差し当たり対応することが最優先だと与党は主張しているのである。法は国民の利益を確保するためにあるのであり、それに手足を縛られて重大な損害を得る可能性がある場合は、緊急非難的に特別法で乗り切ることは当然であると考える。“憲法9条は守りましたが、国は滅びました”は、法律の正しい運用である筈がない(補足1)。国会前のデモに参加している憲法学者たちに、是非この考えをどう思うか答えてもらいたいものだ。

自衛隊と個別的自衛権は合憲だが、集団的自衛権は違憲だという複雑な憲法解釈は、自衛隊を創設するために自民党政府が用いたごまかしだったと思う。つまり、自衛隊とそれを用いた個別的自衛権行使は、憲法9条を一歩超えているのだが、その外にもう一線ひいて、個別的自衛権までの行使であれば、憲法13条があるから合憲なのだと言って、急場を乗り切ったのである。その後始末をこれまでしなかったのは、自民党政治家の無責任の所為だと思う。


国連憲章51条に、加盟国は個別的自衛権と集団的自衛権を用いて、他国の武力攻撃に対処できると明記されている。また、日米安全保障条約の前文にそれを引用して、“両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、(中略)次の通り協定する”と書かれている。つまり、日本国は既に集団的自衛権を認めているのである。その集団的自衛権という言葉に、潜在的というような言葉はついていない。権利があるけど使えないなどというのは、これも、誤摩化しである。「生存権はあるが、現在その権利は主張できない」という言葉に意味があるとしたら、死後復活が可能な神の世界においてだけである。

民主党が今回の法案が、超えてはならない一線を超えるようなことを言っているが、それは自分たちと選挙民の両方を誤摩化していると思う。もし、自衛軍と個別的自衛権行使に反対なら、そのように主張し、自衛隊の廃止を提案すべきである。否、今までにその提案をしてこなかったことは、既に賛成を表明していることになる筈である。従って、今回その具体的手続きとしての自衛隊法やPKO協力法などの改正を行うことに、何故今になって反対するのか解らない。

議事堂の前の一般市民は、日本が既に受け入れている国連憲章も日米安全保障条約も詳細に読んでいないので、今回の法案で初めて日本国が集団的自衛権を確認し主張するものと考えているかもしれない。そのような人たちを巻き込んで、自分たちの反対の輪に組み入れる野党は卑怯である。今回の法改正は、単に出来ていなかった準備を行うたぐいのものである。

憲法は、米国の占領が終わった時点で改正するのが適当だっただろうが、どういう訳かやらなかった。冷戦時代に、ベトナム戦争などに参加しないですんだのは、憲法をかえなかった一つの良い効果だっただろう。冷戦が終わり平成の時代になって、直ちに改正をすべきであったが、自民党の力も落ち短期政権の連続で出来なかったのだろう。冷戦終結前だが、中曽根さんの時代が最後のチャンスだったかもしれない。ロンの信頼が本当に篤かったのなら、ヤスは憲法改正できた筈だ。今となっては、どこかから爆弾の一発くらい落ちないと、国民の目が覚めないだろう。(追加)その後の長期政権は、小泉総理の5年半である。小泉氏はそのようなことの出来る政治家ではない。若い頃の姿には、一流の政治家の風格は全くなかったと記憶している。

補足:
1)これに対しては、反日政党はそのような脅威などどこにあるのか、言ってもらいたいと居直るだろう。そこで、中国は重要な脅威であり、それへの対応のための準備が緊急課題である、とは外交上言えない。
人間の知的能力には多くの面があるが、それらは、1。記憶力、2。論理・分析力、3。想像力、4。直感力、5。空間的時間的感覚、6。美的感覚、などだろう(補足1)。知的能力は、生命体としての能力の一つであり、生命力の一側面であると思う。
 
これらの能力も更に何種類かに細分されるだろう(補足2)。つまり、知的能力は”多次元のベクトル空間(補足3)を張る”とでも言えるだろう。上記6つの側面は思いつくままにリストアップしたまでであり、他にもいろんな組の捉え方があるだろう。
 
6番目に美的感覚と書いたが、これは、生命力と知的能力の境界に位置する重要な能力であり、人を人たらしめる能力だろう。ただ、生命体固有の能力の部分と、文化により調整される部分を持つ。
 
知的能力の内、そのエネルギーは体液循環により与えられ、情報収集は感覚器と神経系、更に脳の記憶領域からの引き出しにより行われる。それらの処理と最終的な出力すべき情報の組み立てなどは、主に頭脳が担当する。
 
人は、生命維持(社会の維持も当然含まれる)と再生産を能率的に行う為に、様々な能力を持っている。知的能力は、その行動の指針を得るための能力である。
 
知的能力は、自分自身と他の生命体(社会も含む)、そして自然などの周囲・環境と、それらの運動や変遷などを理解し、それらに働きかけるための作戦を立てる能力である(補足4)。それらを実行する能力として、四肢を使った運動能力、あるいは、目や耳などの感覚器を使った状況把握能力、更に顔の表情と口舌を使った対話・説得能力などが付け加わる。これらすべてが総合されて、人間の能力を成す(補足5)。
 
 今後、このブログを書くための準備として、この文章を書いた。このような考察は、哲学(philosophy= 知を愛する)の内どの学問分野に属するのか解らないが、筆者は素人である。プロの方がおられたなら、コメントを歓迎します。
 
補足:
1)知的能力を鍛えるのが学校であり、途中の成果を試験するのが大学入試だとすると、それらの現状が如何に不完全であるか解るだろう。特に入試では、主に最初の二つの能力をテストするに過ぎない。
2)記憶にも、図形・パターンの記憶、事実の記憶、論理の記憶、概念の記憶、感覚の記憶などがある。更に、記憶場所によって長期記憶と短期記憶に分類される場合もある。論理の記憶は、論理展開の能力と重なる部分である。このことで解る様に、知的能力はある種の多次元空間での信号伝達能率と有用情報抽出能力とでも言える。
3)ベクトルとは長さと方向を持った量であり、矢を思い浮かべれば理解できる。我々が生きる物理的空間は、x軸、y軸、z軸の3つの方向があるので、3次元ベクトル空間といえる。
4)自分自身に働きかける行為として、学習や休息・娯楽も含まれる。
5) これらの考えを理解するには、コンピュータを想像すると良い。頭脳は、CPUと記憶装置、更にそれに組み込まれたソフトで構成される。コンピュータは人間の頭を参考にして作られたのだろう。
我国の安全に対する重大な脅威となる他国の軍事行動を、同盟国と集団となって阻止することを可能にする法律改正案が、参議院で議論されている。野党はこの集団的自衛権行使が憲法違反であるとする従来の解釈から、廃案を目指している。更に、国民の一部もデモなどで反対の意志を表明している。
 
与党と野党の議論は全くかみ合っていない。与党は最近の国際環境の変化を理由に、その必要性を法案提案の理由としているが、野党は憲法との整合性を理由に反対している。自衛隊(自衛軍)を持ち、自衛の戦争を行う権利を合憲としている、従来の(憲法9条と憲法13条)憲法解釈を認めるのなら、何故今回の安保法制に反対するのか、私は今ひとつ理解に苦しむ。憲法学者たちの過半数は、自衛隊すら憲法違反だといっているのだから、彼らは現時点で出る幕はない。 

つまり、核兵器を持つ周辺のある国が軍事行動をした場合、自衛隊のみでは対処できないのは明らかである。その場合、“自衛隊と米軍が日本国の自衛戦争において集団的に行動する”という今回の方向は、自衛戦争及び自衛隊が憲法9条の例外規定となるという(憲法13条による)従来解釈を前提にすれば、不自然ではない。

 一部国民のデモで用いられているプラカードをみると、「憲法9条を壊すな」、「戦争させない」、「戦争法案反対」などと書かれたものが圧倒的に多い。しかし、憲法9条の解釈を変えるという話は国会ではされていない。また、戦争をしないとは野党も言っていない。つまり、デモ隊のプラカードは野党の考えにも一致していない。自衛戦争を可能だとする従来の憲法解釈をも否定するものである。
 
野党の主張の主な点は、「自衛隊の集団的自衛行動が、日本の自衛の範囲を超える可能性があるのではないか?」という理由から、集団的自衛権行使そのものを否定している。
 
野党の考えは日本国のためにならないのは、以下のような喩え話で考えるとわかりやすい。
 
近くで自宅に侵入することを狙っていると思われる強盗らしき人間がいる。そこへピストルを持つ警官が駆けつけて強盗と対峙している時、後ろにもう一人強盗が現れて、背後からナイフで警官に斬りかかろうとしている。そのとき、野党の考え方をとれば、自分が現時点ではたとえ強盗の脅威の下に無いとしても、こん棒を用いて警官の背後の強盗に殴りかかる行為(集団的自衛権行使)は、自衛のための武力行使にあたらないことになる。
 
野党は憲法に違反するといって反対する。なぜなら、強盗が明白に自宅に侵入して自分に危害を加えるかどうかは現時点では”物理的に”明白とはいいがたいこと。更に、警官を襲おうとしている強盗がこちらに向き代わって、自分が襲われるかどうかわからないからである。

デモを行っている民衆の考えは、プラカードの内容から考えて全く的外れに思える。しかし、野党はデモをする民衆の応援をし、彼ら民衆側からSEALDsの代表を選び公聴会に呼んで協力を得ているので、本音はデモをする民衆と同じだと思われる。