1)昨日地下鉄サリン事件を起こした犯人の死刑執行があった。この事件の真実の姿はなかなかわかりにくいが、産経ニュースが報じた様に、司法はその動機を「麻原死刑囚が救済の名の下に日本国を支配して自らその王になることを空想。その妨げになる者を殺害しようとした」のである。国家転覆を目指した政治テロであったということは確かだろう。(補足1)その前提で以下議論する。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180706-00000515-san-soci
 

先ず、今回の死刑執行の報道を受けて、日弁連会長は死刑廃止を改めて訴えた。アムネスティ日本もこの件での死刑執行に反対してきたが、それと同じ路線上のものだろう。https://www.sankei.com/affairs/news/180706/afr1807060106-n1.html

 

また、社会心理学専攻の西田公昭立正大教授は、「麻原(死刑囚)については仕方がないが、他の6人の死刑執行についてはショックだ。テロリズムが世界的な問題となる中、心の武装を解除する方法が国際的に議論されている。6人の事件後の心理的変化などは、今後のテロリズムの重要な鍵を握っているにも関わらず、十分な心理学的調査などが行われる前に死刑が執行されたのは犯罪抑止の面からみても残念で悔やまれる」とコメントした。

 

また、教団からの信者の脱会を支援している滝本太郎弁護士は、「松本死刑囚の刑が執行されたと聞いてようやくこの時が来たと感じたが、ほかに6人が執行されたと聞いてぼう然とした。彼らは松本死刑囚の手足でしかなく、これから事件のことを何度も振り返ってなぜ自分が教団にはまってしまったのか説明してもらうという有益な仕事をしてもらいたかった」と述べたと報道されている。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180706/k10011514101000.html

 

今回の死刑執行に反対する日弁連会長の声明では、死刑廃止論の立場から麻原彰晃の死刑にも反対している。一方、西田公昭氏と滝本太郎氏の今回の死刑執行に対する反対は、麻原以外の6名の死刑に関するものである。従って別に議論すべきだろう。以下にこの件及び上記意見について私の考えを記す。

 

2)麻原死刑囚の死刑にも反対する日弁連やアムネスティ日本は、もう少し反対の理由を明確にしてもらいたい。


この件は、化学兵器を使った国家転覆を目指した事件であり、現在我々が生きているこの社会を否定する行為であった。従って少なくとも主犯者の行いは、政治的テロリズムであり、日本国に対する戦争行為と解釈すべきである。繰り返すが、この件は日本社会の内部で終始した犯罪では無い。

 

従って、この件を行政の中で処理するのは本来おかしい。国家の法律には、“内戦行為を裁く”という考え方はあり得ない。従って、テロ等準備罪(共謀罪という名で施行)が仮にあり得るとしても、その行為の本丸に当たるテロ罪は無い。テロは犯罪ではないからである。つまりテロ実行者は、日本という社会から脱出し日本人という特権を捨てた上で、反日本国及び反社会行為に及んだのだから、即座に射殺されても何の疑問も残らないのである。

 

従って、アムネスティ日本や日弁連は、死刑廃止という立場で今回の死刑執行に反対するのは論理的ではない。反対するのなら、「テロ行為を行政で裁くのはおかしい」という論理で反対すべきである。この件、是非両団体のコメントを聞きたいものである。

 

勿論、社会から犯罪とも見なされずに殺される覚悟の上なら、個人はだれでもテロを働く自由はある。それが成功したのなら、新しい日本国の誕生となる。明治維新では、薩長の若い人たちは、当にそのようなテロを江戸や京都で働いた。(補足2)

 

3)次に、麻原以外の死刑執行に反対する意見について少し書く。この類の意見は、テロ実行犯は実はテロリストではなく、テロ計画者のみがテロリストであるという論理なのかもしれない。もしそうなら、世界中のテロの中で、テロリストは一人なのかもしれない。

 

上に引用の記事の中で滝本弁護士は更に以下のように述べている。「私を殺そうとした人に事件後に会ってみたらいい人だった。いい人がいいことをするつもりで犯罪に手を染めたという前例のない事件だったということをこれからも伝えていきたい。事件を風化させないためにも松本死刑囚以外は刑を執行してはならなかったのに、返す返すも残念だ」

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180706/k10011514101000.html

 

しかし、このテロで殺される予定の人は滝本氏だけではない。警察の対処が遅れれば、論理的には、数千人、数万人の死者を出す内戦に発展したかもしれない出来事である。弁護士資格を持っている人がこのような理解の程度とは驚きである。

 

社会心理学専攻の西田公昭立正大教授の意見は一聴に値するが、その考えなら何故麻原の死刑執行にも反対しないのか。麻原のこの件を引き起こした動機が解明出来ているのなら、それを先ず発表してもらいたい。


私の印象では、日弁連、アムネスティ日本、滝本弁護士、西田教授の全ては、根本では同じ考えのように思う。人が人の命を奪うことが、何よりも嫌いなのであり、その考えは一つの宗教である。

  

補足:

1)従って、この件は犯罪行為としてではなく、テロとして考えるべきである。一般には犯罪とされ、その”犯人”は刑法により裁かれているので、ここでは両方の単語を用いる。

2)明治維新については何度かブログに書きました。

毎週木曜日の夕方、プレバトというテレビ番組内で放送されている俳句番組がある。夏井いつき氏という先生の名添削が、この番組を人気番組にしている。言うまでもないが、俳句は風景や出来事について、人の感覚に訴える形で読む仮名にして17文字で形成される短い詩である。
 
その高い人氣の一方で、この番組での成功がテレビタレントとしての地位を上げることから、様々な疑惑が囁かれてきたようだ。その一つが、俳句が得意な別人に作って貰っているという疑惑である。https://zizineta.com/purebato/ 今回、新たに盗作疑惑も出てきた
 
67日に放送されたその番組で、東国原英夫氏が発表した①「梅雨明や 指名手配の 顔に×」という句が、昨年6月に宮崎日日新聞の文芸欄に掲載された②「梅雨寒や 指名手配の 顔に×」と酷似しているという指摘が、ツイッターでなされたという。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180705-00000041-dal-ent
 
この句が発表された時、夏井先生の評価が非常に高く、東国原氏は名人9段に昇段ということになった。

盗作の証明は難しいかもしれないが、数学で確率論を少し勉強したことのある人なら、間違いなく盗作だと思うだろう。(補足1)ただし、この句が東国原氏の頭の中で、一度吸収同化され、その後記憶から消え去り、その後自分の発想として出てきたという言い訳はあり得る。しかし、それは支持されないだろう。
 
ここで指摘したいことが、もう一つある。二つの俳句を眺めてみると、やはり②の句に重みがあると、東国原氏なら思うだろうということである。つまり、「指名手配の顔」に対して、東国原氏はどのような感情を持つだろうかと考えてみた場合、過去テレビなどで叩かれ、芸能界から閉め出されていた東国原氏の感覚では、むしろ②の俳句がふさわしいとおもうのである。
 
否、壮年から老年の域に達した普通の日本人(男性)なら、自分の人生を振り返り、梅雨明と☓印のついた指名手配の写真を並べる俳句を作る気にならないだろう。これまで何度も東国原氏の素晴らしい俳句を見ている。何かと才能に恵まれた東国原氏が、このようなことになったのは大変残念である。
 
補足:
1)梅雨、指名手配、顔に☓の3つがたまたま同居する確率は非常に小さいだろう。また、類句が昨年6月という僅か一年前に発表されていること、その新聞が宮崎の新聞であることなども、その疑惑を指摘したツイッターの主の推論を支持する。更に、東国原氏は番組の中で屡々、以前番組で読んだ誰かの俳句を、作者とともに復唱するという記憶力の良さを示している。
1)国際社会に善悪の基準(”モラル”)が生じたのは、其々の国家で個人が顔を出したからだと思う。つまり、それは18世紀のヨーロッパで生じた議会制民主主義の導入などの結果である。その歴史を共有しない国家が、世界の中の主要国に含まれることになり、国際社会は再び善悪の基準劣化の危険性に直面している。
 
国際社会には、元々構成する国家を“暴力装置”で従わせる超国家的権力やそれを正当化する権威もない。従って、本質は野生の支配する空間である。そこには従って、人間社会のようなモラルも法も、元来存在しない。(補足1)
 
しかし、現在個人のモラルに似た国家の“モラル”が、個人のモラルの投影として持ち込まれているように思える。そのモラルの投影の原動力は、繰り返しになるが、国家の運営に携わる人々を、個人としての権利を持った国民が選ぶというプロセスにある。
 
つまり、世界が独裁に向かうとしたら、同時に上記“モラル”も消え去ることになる。何故なら、モラルの役割は各個人が協力して社会を形成し、個人的利益追及を抑制することであり、そもそも独裁とは対極にあるからである。(補足2)
 
独裁国は“戦争あるいは紛争”において、勝利或いは解決に向かって個人を無視した戦術をとり、そこには配慮すべき個人の権利などは存在しない。また、軍事技術は高度に発展しており、従ってそのプロセスにおいて必然的に個人にとっては悲惨な場面を含むだろう。国際社会は益々文明社会から遠くなり、野生への世界に近くなる。
 
本質的に野生の支配にある「国際社会」での生存競争において、中途半端な“モラル”を持つ民主国は、それを持たない手足を縛られない独裁国と比較して不利である。その結果、民主国も生き残りのために独裁的国家に変貌するだろう。つまり、独裁は世界に伝搬する。世界から“モラル”は消失し、世界は混乱に向かう。それが、現在世界が向かっている方向だと思う。
 
2)現在世界の混乱は、全くことなった政治体制の国が覇権国と次席覇権国として存在することである。共産党独裁国家であった中国が、鄧小平の資本主義の導入という経済発展への近道を経て、その後スターリンや毛沢東の時代の独裁国の姿に変身した。
 
その巨大化した経済力を軍事力に転換し、世界制覇に向かって直線的に進んでいる。一帯一路およびAIIBにより、世界覇権を目指している様である。(補足3)それは、独裁国が運命的に持つ経済における非効率性を、発展途上国の支配や西欧先進国の経済力の吸収で補い、自分の体制維持を図っている様にも見える。
 
その危険性に気づいたのはオバマ政権末期の米国である。そこから高度な戦略的思考により中国封じ込めを行うべきところを、短絡的手法に切り替えてしまったのが、トランプ政権ではないのか。
 
北朝鮮の核兵器開発に対し、持たなくても良い恐怖を米国民に植え付けた。そして、それを取り除くと称して、朝鮮戦争そのものを解決するという歴史的偉業の主人公を目指した。そのために北朝鮮への経済制裁と米軍による軍事的圧力を稚拙に用いたため、結果として北朝鮮を中国の持ち駒としてプレゼントすることになった。
 
それだけでなく、将来韓国を含めた朝鮮半島全体を中国にプレゼントすることになり、日本も孤立の結果、このままでは最終的に中国圏となる可能性が大きいと思う。
 
実際、尖閣諸島は近々中国に侵略されるだろう。(補足4)最近特に危険性が増したのは、トランプの米国は北朝鮮に対して軍事オプションは取らないことを明確にしてしまったからである。米朝首脳会談の失敗により、そして、中国や北朝鮮のトップに比較して劣った米国トップの能力により、東アジアは今後混乱し、“モラル”を持たない中国の直線的行動により支配される可能性が大きいと思う。
 
そのシナリオが成立しなくなるとすれば、中国経済の崩壊とそれに対する習近平政権のハンドルミスだと思うが、それに期待するのは情けない。

以上は、理系素人のメモとして書きました。(4日早朝、三箇所語句修正)
 
補足:
1)国際秩序は、現在主に第一次大戦後整備されたパリ不戦条約や戦時国際法により保たれているようである。国連憲章などは、大戦後ということもあり理想論の方向に大きく展開している。(素人なのでこのあたりの知識はありません。)
 
2)独裁者は、常に自分の命の危険を感じている。そしていつかは命を失う。従って、独裁者の人間性(モラル)はその国家に投影されない。中国の大躍進運動や文化大革命のころの悲惨な光景は、ワイルドスワンズに書かれている。その本は、中国では発禁である。
民主政治の下での国民は、国家が続く限り存在する。従って、個人の生死を超えたモラルが存在し得る。(国民全体が命の危険を感じた時、その国家は全体主義という独裁制を採り、”モラル”を喪失する。)
3)中国は、バングラデシュやモルジブに独自に軍事基地を構築している。そのやり方は非常にスキャンダラスである。最近は、南太平洋のバヌアツに進出していて、オーストラリアも警戒しているという。
4)現在、中国海警局の公船が領海侵犯を繰り返している。7月から、海警局公船の乗組員はこれまでの公務員扱いから、組織改編により、軍人に準ずる武装警察官に統一されたという。http://www.1242.com/lf/articles/112610/?cat=politics_economy&pg=cozy